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 バーリンダムの街並みは昼でも薄暗い。


 多くの工場が立ち並ぶこの工業都市は、常に工場の煙突が吐き出す大量の煙に空を覆われていた。


 イアンがバーリンダムの見回りを始めて、もう一年ほどになる。薄暗い街並みにも慣れ、地図が無くとも道に迷うことはない。


 見回りの際にケガや病気で苦しむ人がいれば、手を差し伸べるのも当たり前になっていた。


(それでも、僕の力は一時的な救いにしかならない)


 先ほど、転んでヒザをすりむいた女の子の痛みを消した。その痛みは、どこへ行ったのか。


 女の子がケガをしたのと同じ場所に、イアンは同じ痛みを感じていた。


 イアンの能力ペインキラーは、傷を負った人々の痛みを肩代わりする能力。傷そのものを癒す効果は無く、イアンが痛みを代わりに負う時間も永遠ではない。


(僕のヒザ……もう痛みは消えてるな)


 イアンが肩代わりした痛みが消えるということ。それは元のケガ人のところへ痛みが戻ったという証拠だ。


 イアンは先ほどの女の子がまた痛みに泣いている姿を思い浮かべて、ヒザの代わりに胸を痛めた。


 顔を上げて空を見上げても、真っ暗な空は少しも心を晴れやかにしてくれない。


 少しだけ伸びた前髪が目の上に掛かり、その黒色がまたうっとうしく感じる。


(黒は、イヤだ。イヤな色だ)


 恐らくこの世界に生きている誰もが、そう考えていることだろう。二千年間、人類が背負ってきた罪と罰の証である色なのだから。


 出来ることなら、二度と見たくない光景。神罰に苦しむ人々、耳をつんざく悲鳴。


 空を覆う煙と自分の髪の色。それらから神罰を連想したイアンの耳に、それそのものと思われる悲鳴が届いた。


「うわあああぁぁっ! たっ、助けてくれぇぇ!」


 驚いて振り返るイアン。叫び声は、そう遠くない場所から次々と聞こえてくる。


「レトリビューションだ! 逃げろぉ!」


「『ヨシュアの木』に連絡を! バプティスト様に来てもらうんだ!」


「待って! さっきリディーマー様を見かけたわ。リディーマー様を連れてきて!」


 自分を呼ぶ声を確かめるまでもなく、イアンの足は駆け出していた。


 何人かとすれ違う。パニックで足をもつれさせる人たちが来た方に向かって走る。


 通りの角を曲がったところに人だかりが出来ている。どの人も怯えた表情で遠巻きに何かを見ている。


「すみません……通してください」


 人だかりの間を縫って前へと出る。五メートルほど先の道の真ん中に倒れている人物がいる。


 イアンは表情を険しくさせた。人が倒れていること以上に、その人の身体を取り巻く黒い渦を目にして。


「レトリビューション……やはり」


 思った通りの出来事。だが事実は、想像以上の事態となっていた。


「おおっ、リディーマー様が来てくださったぞ!」


「リディーマー様、早くあの人を……レトリビューションの渦を!」


 恐怖の悲鳴が期待と安堵の歓声へと変わる。


 それを背中に受けながら、イアンは目の前の事態に足をすくませていた。


(これは、もう……僕には、どうすることも出来ない)


 レトリビューションと呼ばれる黒い渦。罪を犯した人類に課せられた神罰。


 それ自体はイアンも何度か目にしたことがある。黒い渦に身体を取り込まれ、その渦が起こす激しい苦痛に泣き叫ぶ人の姿も。


 だが、今のこの状況はどうだ。


(こんなにも……人ひとりの身体を飲み込むほどの大きさの渦は、初めて見る。それなのに、全く身動きしないあの人は、もう……)


 死んでいる。


 遠目ながらもイアンは確信した。


 死体からレトリビューションの黒い渦が発生したのだろうか。それともレトリビューションが与える苦しみに耐えられず、命を落としたのだろうか。


 いずれにせよピクリとも動かない様子から、倒れている人物の命が既に無いことは確実であった。


「早く! 早く助けてあげてっ!」


「このままじゃ街ごとレトリビューションに飲み込まれちまう!」


「お願いだ、リディーマー様! 俺らを見捨てないでくれぇ」


 すがるように、あるいは押しつけるかのように人々はイアンに悲痛な叫びを突き付ける。


 その声に対して、イアンは何も行動を起こせなかった。ただ無力な自分を心の中で責めた。

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