第32話 虎の穴の中を覗く

 しかし、奇妙な男は少しもたじろがず、「いやあ、ちょっとこれなんですがね、社長に頼まれたので持ってきたんです。どこにいますか、社長?」と手に持っている菓子箱を見せた。


「なんだ、それは」

男に訊かれて、奇妙な男は少し蓋をずらして中を見せた。

 するとその中にチラリと見えたのはぎっしりと詰まった札束だった。


「――ああ、そういうことか。左手が社長室の入り口だ。ドアを入ればその奥の応室間にいるはずだ」と、現金を目にした若い男は、奇妙な男にすっかり気を許して簡単に中に案内している。



 奇妙な男は何食わぬ顔で左手のドアを静かに音を立てずに開けると、その向こうにある屏風の奥の応接室で、何やら深刻そうな話をしている低い声が聞こえてきた。



 ――牧田の声だ。


「そうですよ、俺はてっきり社長に消されるかと──」


「ハハハハ、誰がそんなことを吹聴したものかね。しかし、あの女たちが昔ウチのタレントたちだったとはな。あいつら、まだ高校生くらいだったんじゃないか? 本名すら忘れたよ。

 岡本にしても本名は違うと思うが、顔をすっかり忘れていたな。


 あいつらは良いカモだったよ。この世界、そう易々と売れるわけもないのに、のこのこやって来てすぐにでも女優やモデルとして売れると思ってるんだからな。


 うちは昔はホストを雇ってたバーだったからな、うちが芸能界でそんな力なんてあるわけはないだろ。

 しかし、あいつらはそれを知らずに、芸能事務所と名を打てば必ずやってくる。


 金のあるやつからはどんどん吸い取り、無い奴には体で稼がせる。それがウチの方針だよ。

 いやあ、君は本当に立派になったもんだな。俺なんかよりも稼いでるだろ? どうだ、タレントを誰か回してくれないか?」



 赤羽は酒も入っているのか、調子に乗ってべらべらと今までの悪行を得意げに喋っている。


 今度は牧田が久しぶりの赤羽との再会に気を許し、誰もいないと思ってか、思わず今回の悪事について洩らした。



「いやあ、社長には敵いませんよ。でも、先日の独身貴族ですがね、観てもらえましたか? 

 あのとき、ちょっとしたハプニングがありまして。もう解決したんですがね。

 始まる前にあのMCがたまたま気づいてね、彼女たちの事を思い出して助かったんですよ。


 始まってみると、やはり永久と百合奈の二人の言動が怪しくなってきましたんでね、脱落させたふりで拉致して監禁しておいたんです。

 ただし、殺すわけにはいかないですからね。スペシャルが終わったら解放しますけど。


 まあ、ちょっとした犯罪ですが、でも、大丈夫。顔も見られてないですし、この計画のすべてが赤羽社長と僕の仕業だなんて誰も知らない。

 知ってるのは、闇アルバイトで雇ったやつらとあの言いなり女だけです。


 あいつらはもう次の仕事を始めてるでしょうから、俺のことをバラしたら、自分らの身も危うくなりますしね。女は知られたくない過去をこっちに握られている。誰も手も足も出ない訳です。アンの場合はただの放送事故として扱っておきますよ」


 得意そうに話す二人の会話の一部始終を、奇妙な男は密かにケータイを屏風の上にかざし録画していたのだった。




 これで十分だろうと出て行こうとした時、受付の男が慌てて入って来た。


「ちょっと、あんた、本当は誰なんだ? 考えたら、今日のアポイントはないはずなんだが」とジリジリ近づいて来る。




「誰だ! そこに誰かいるのか?」


 屏風の向こうから赤羽と牧田も慌てて出てきたのだった。


 すると、奇妙な男は急いで菓子箱を部屋の真ん中に放り投げた。中の札束が部屋中に舞い散らばり、辺りは札束の海になった。

3人が部屋にばら撒かれた札束に気を取られている隙に、男はエントランスから素早く走り出たのだった。



 奇妙な男は急いで近くの車に乗り込んだ。すると、助手席で震えながら座っている美羽が男を見て今にも大声を出そうとしている。


 男は美羽の口を手で塞いで、シーと言うと、バサリとカツラを脱いでみせた。


「ゆ、裕くん?」美羽はやっと奇妙な男の正体を知った。



「美羽、静かに。このまますぐに戻るぞ。しっかり証拠は掴んだ。さあ、あいつらが出て来る前にここから逃げないと!」



 そういって、車を素早くUターンさせギュンとアクセルを踏むと、繁華街の中に消えていったのだった。


 美羽は運転席の変な格好をした裕星をジロジロ見ながら言った。


「さっき事務所に来て助けてくれたのも裕くんだったんだね? でも、そのカツラと服はどうしたの?」



「――ああ、これか? さっきあの近くの古着屋で急遽買った。それと玩具の紙幣もあったから、菓子箱に入れて気前よくあいつらにくれてやったよ」と笑っている。




「裕くんって本当にすごいわ! どんな時も私の事を守ってくれる、本当にスーパーマンね!」




「スーパーマン? でも、俺は頼りになるだろ? だけど、それは美羽を守るためだからだ。そうじゃなければ、人見知りのただのポンコツ男だよ」とクシャりと笑った。




 美羽は改めて裕星の機転の良さに感心していたが、それも自分に対する愛情だと知り、さっきまでの恐怖が払拭され安堵感に満たされていたのだった。

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