第19話 特警別邸地下室

 桜田門近くにひっそりと立つ古びたレンガ作りの建屋にヤマは入った。

 建屋の通称は、特警別邸。

 築70年を超える地味な建屋で、大きな地下室がある。昭和の大天災前、米帝との決戦に備え掘られた防空壕ぼうくうごうが前身だとのこと。


 公式には防空壕はとうに埋められたことになっている。

 つまりは、特警極秘の任に関わるための室。


 その地下室で、ヤマは特警壱課いっか長の御燈ごとうの署名入りの報告書をひとり読んでいる。


 冒頭に目を通すなりヤマは独り言ちる。

「なるほど、安吾が安生やすよりに、ねぇ」

 


 一通り目を通した後、ヤマは報告書をドサリと机の放り投げた。

 そして、天井を仰ぐなりヤマは目を瞑った。報告書は無表情のままに読んだヤマだったが、今は口角があがりどこか楽しそうではある。

 

 ほどなく室の扉が開いた。


 ヤマは目を開けることなく言う。 

「まぁ、インテリ聞氣きき猿の安吾ならば、勘解由小路かでのこうじのお華族様のふりも上品にこなせるだろうって、ことですかい?」


「そんなところです」

 ひとり室に入った御燈ごとうがヤマに答える。


 不惑を越えた御燈ごとうは、今や特警壱課いっか長。ヤマは、部下の一人。

 が、ヤマの不躾ぶしつけな物言いを御燈ごとうは咎めない。 

 キャリア組として警視庁けいしちょうに入庁した後、御燈ごとうは、特警弐課にかに配属された。弐課にかで、御燈ごとうの教育係を担ったのが、警察學校から叩き上げのヤマである。


 当時、ヤマは、ギヤングや共産党アカの動向を探る手練手管を御燈ごとうに実地研修したものだ。怪しげな輩を相手に、時に軽口を聞き時に脅しながら情報収集を進めるヤマ。

 当時の御燈ごとうは、時に「内規に反しておりませんか」などヤマに苦言を呈することもあった。

 小柄で丸顔、黒縁メガネと、なお帝大文科の東洋哲學徒といった風のひ若き御燈ごとうの言に、ヤマは「これだからインテリは」と苦笑したものだった。


 20年の時を経て、御燈ごとうは順調に出世を重ねた。

 が、二人きりの時には、御燈ごとうの方がなおヤマに敬語を使う。

 一方のヤマはというと、御燈ごとうが課長となってからはやや丁寧な口調となっていた。


「安吾の隔秘の任の件を、わたし経由で通達してくれた時から、こんなところだろうと思ってましたが」

 そこで、ヤマは目を開けて顎を下げ御燈ごとうの方に向いて言う。

「いよいよ庁外シャバには出られなくなる任に奉ずる時がきたってことですかい」


「そういうことになります」


 今も当時と変わらない黒縁メガネの御燈ごとうは真顔で端的に答える。

 

 一呼吸の間を置いて、御燈ごとうは言う

「ただ、面白い任ですよ。ヤマさんのような適任者がいなかったら私が着任したいほどの」

 御燈ごとうの丸顔に笑みが浮かんだ。


「課長が庁外シャバに出れないような任についちゃいかんでしょう」

 そう返したヤマにも笑みが浮かんでいる。

 

 御燈ごとうより15歳年上のヤマ。警察學校を出て17歳で巡査となって以来、40年間の警察務めでまもなく還暦だ。二十歳の年に、仙臺せんだいでお見合い結婚した妻のハツノは、4年前に他界している。ヤマとハツノの間に子は生まれず、ヤマは独り身である。

 特警の上層部が、ヤマを危険な任に着かせても良い者と見ていても不思議ではない。

 

 課長となった御燈ごとうが、久しぶりに新人キャリアの教育係の任をヤマに命じた。その時から、ヤマには、これが最後の教育係の任だろうとの予感があった。捜査のイロハの最後の弟子である安吾は、中々に勘が良く合格点を出せていた。

 そんな安吾が勘解由小路かでのこうじ安生やすよりとして隔秘の任に着いてからの動向報告書を御燈ごとうは、ヤマに読ませてくれた。

 なんでも最近は青鬼姫だとかいうのに気絶させられたりもしているようだが、安吾は五体満足で任を続けられているよう。


 ヤマは笑みを消さないままに問う。

「それで、面白い任とは?」

 親子ほど年齢差のある安吾を、願えども得られなかった息子のように思える気持ちがあった。そんな安吾が安生やすよりとなってからのことを知ることができた。どんな任であれ、未練なくさっぱりとした思いで受けられる。還暦を越え秋田で茶でもすすりながら過ごすよりもいいさと、ヤマは思う。



 御燈ごとうは、例によって一呼吸置いてから言った。

「ヤマさんには、金星姫の中に入り、勘解由小路かでのこうじのご先祖様とお会いいただきます」


 御燈ごとうの言う意味がわからなかったヤマは怪訝な顔となる。

 

「ご先祖様というのは、昭和の大天災で天に召された勘解由小路かでのこうじハナさんのことです」

 真顔でそう言った御燈ごとうの顔をまじまじと見返しながら、ヤマはニヤリと笑う。

「金星姫の仲立ちでホトケさんと面会とは、確かに面白そうな任じゃねぇか」

 ついにくだけた口調となった。

 

 どうやら金星姫は、前世に飛ばしたり輪廻転生のようなことができるらしい。

 独り身の年寄りに向いた任のようだ、とヤマは思った。

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