第20話 湯霊場

 御燈は、ヤマの特警隔秘の任の説明をはじめた。


 これからヤマはユレイバと名付けられた浴槽で眠りにつく。ユレイバが初耳のヤマを、御燈ごとうはユレイバの儀が行われる小室へと案内する。


 小室に入るとパアッと明かりが灯る。


「ハイカラなもんだ」

 小声でヤマはぼやく。


 近頃は当たり前となりつつある自動式の点灯器。が、自動ドアの類と同じく、人様の手を介さない装置の類を、ヤマはどうにも好きになれない。


 部屋の奥に浴槽がある。その前に達筆で書かれた札があった。ヤマの老眼は湯霊場と迷いなく読めた。


「湯に霊に場で、湯霊場ユレイバ、ってか」


黒縁メガネの御燈は札の近くまで寄ってから

「ええ、そういう漢字を当てるようですね」

と答えた。元がド近眼の御燈。不惑を越え、こちらは老眼が始まってメガネのピントが狂っているのかもしれない。


「こちらの浴液は謂亥いい猿の陰陽使いたちが調合してくれた特製液です」 


謂亥いい猿ってぇと、沙耶華さやかのお嬢ちゃんかい?」


「えぇ、沙耶華さやか君も浴液に随分と念を込めてくれたようですよ」

「そりゃぁ、仏様になっても化けて出ようって気もおきなそうな液になっていそうだな」

 御燈ごとうの答えに、ヤマはいかり肩をすくめてみせた。


 ユレイバに霊場の字が当てられている通り、ここで永遠の眠りに就き、昭和の勘解由小路かでのこうじハナさんとやらに会いに行くことになるのだろう。

 特警には珍しく気立ての良い娘である沙耶華さやかが用意した湯で眠りにつけるのは、悪くない。

 報告書には、お華族様となった安吾は沙耶華さやかと恋人を演じているとあった。安吾が軟派することになったというエルフ混じりの雪乃上夏目という壱女のお嬢さんの方もずいぶんと別嬪べっぴんさんだと報告書にはあったが、沙耶華さやかだって器量良しだ。

 安吾と年上女房の沙耶華さやかとの間の子ならば、初孫を持った気分になれそうなものだと、ヤマは思う。

 

 ヤマの親父の富蔵は子煩悩だった。三男だったヤマが32歳の時に脳溢血でポックリと逝ってしまった富蔵にヤマは、孫を見せることが叶わなかった。そして、子宝に恵まれないまま、ヤマは嫁のハツノと死別した。

 これから、湯霊場ユレイバで眠りにつき、世間様シャバと別れを告げる。世間様シャバへの未練を断ったつもりだったが、どうやら孫を見せたかった孫を見たいといった類の煩悩はあるらしい。

 

沙耶華さやか君との間にできるお子さんかは定かではありませんが」

 思わず苦笑していたヤマの心の裡を見透かしたかのような、御燈ごとうの言葉。

「金星姫の宣託によると、ヤマさんはハナさんの導きで安吾君のお子さんと顔を合わせることになるようです」

 

「んだすか。世間様との縁が続くってぇなら、ありがたいことだべ」


 年を経て少しぎこちなくなった秋田弁が照れ隠しのようにヤマの口から出た。ふと、山を越えて通った大館の國民こくみん學校でほのかに憧れを抱いた女教師の顔がヤマの脳裡に浮かぶ。そうか、沙耶華さやかはどこか、あの教師に似ているのか。そんな思いに一足早い走馬燈のようだとヤマは苦笑した。


御燈ごとうさんよぅ。還暦土俵入りも近くなって世間様シャバに未練なんてもうないだろうと思っていたけどな。世間様シャバ恋しさは人並みにおらほにもあるもんだなぁ」

 ヤマはゆっくりと言った。


 一呼吸置いて、御燈が噛みしめるように言った。

「それが人間というものなのでしょう」


 ✧


 そこから先、二人はしんみりとした話はしない。


「ヤマさん、安吾君の報告書を読んで、誰か会ってみたいと思った人はいますか?」


「そりゃぁ、別嬪さんの夏目やら妙な踊りをした青鬼って天鬼のあたりも気になるが、能面のP子ってのが気になるわな。なんなら仕合うってみてもいいかもな……」


 還暦も迫り流石に衰えはあるもののヤマは投げ技の達人である。仙臺の警察學校でかじって以来、古式の柔術に親しんでから、ヤマはすっかりガニ股となっている。突進力には秀でないガニ股のヤマだが、組んでしまえば、大抵の者を右に左に自在に投げ落とす自信はある。ハイカラな防具をつけての仕合いならば、並み居る剣術家を圧倒したというP子に打たせてからの投げができるのやも。

 

 そう想うヤマをに御燈は柔らかな目をむけていた。

「金星姫の話ですと、湯霊場ユレイバに浸かった後も、ヤマさんには良き相手と仕合う機会もあるようですよ」


「そりゃぁ楽しみだ」


 15も年下の御燈ごとうに気を遣わせてしまっていることに気づき、ヤマは軽口を取り戻していく。


「眠りにつかれた後にお足を切らせていただきますため……今生では仕合うことはできなくなりますが」


 御燈はヤマの両足首の切断を告げる。

 

世間様シャバに化けて出る時には四谷怪談の真似事くらいはできそうでいいわな」


 そう告げるよう定めれらていたのであろう御燈が少し言い淀んだことには気づかぬ体で、ヤマはうらめしやのポーズを取っておどけてみせた。

 特警の上の方は何にだって疑ってかかる。ヤマが湯霊場ユレイバから目覚めて良からぬことをすることにも警戒していることは想像がつく。輪廻転生とやらをして、昭和のハナさんと会った後に安吾の子に会い、活劇のようにお相手と仕合えるというならば、今生の身体に足がなくなるくらい、なんてことはない。

 

 ✧

 

 地下室の御燈とヤマのやり取りを見守っていた特警の験氣けんき持ち達は、最後に御燈が、深々と90度の礼をヤマにしたことに驚いた。

 

 ✧


 全身麻酔を受けた際に両断されたヤマの両足首を執刀医から受け取った御燈ごとうは、ヤマが湯霊場ユレイバに浸かるまでを見守ってから別邸の地下室を出た。

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冰翠 Å 貴族院が終わる日のトランスフェレーシャ 十夜永ソフィア零 @e-a-st

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