閑話『AQ革命時代の温故知新 中等學校之部』②
節エネルギー主義者の新人類。
『新人類流派一覧』なる新聞連載によると、若者らしい青春の情熱を持ち合わせず、事なかれ主義により生のエネルギーを節約する類の若者の呼称、だそうだ。
若者らしい青春の情熱を持つ持たないとの紋切り型はさておき、節エネ重視の面倒事なかれ主義という点は、稲元先輩と俺は該当する。
ただ、家業が塗装業の稲元先輩と、親が末端公務員で帝國団地暮らしの俺とでは、エネルギーの節約の仕方は必然的に異なる。
日頃からノタリのんびりを貫いているらしい稲元先輩。
週末は公園散歩などをして過ごすという。
実業の芸文演習では、今風の分かりやすい作画を素早く行った上で、余計なことは知らぬ存ぜぬとばかり、残りの時間はぼうと外を眺めたりしている。
あと1年もそのように過ごし家業のペンキ屋を継ぐと皆に思われている。
余計な会話は生じにくいだろう。
一方、俺の芸文演習。絵筆をずっと手にし続ける。
面倒事がない休日は実業の図書館で本のページをめくって過ごす(読む気になれない時でも)。
もっとも団地暮らしの公僕の子の俺の休日には、しばし面倒事が待つ。
町内掃除や貧民街の炊出しなどは面倒ではあっても余計な会話や気遣いの必要はなく面倒はない。
が、母が毎年のように委員を引き受けている地域婦人会の活動は厄介なのが多かった。
小學の頃、啓蒙演劇の子役に毎年のように駆り出され、ご近所のおばちゃん方からやいのやいのとはやされながら、興味が湧かないセリフを口にし続けた。
中1の時に芸文科への進路希望を出した俺は、今よりも節エネ指向だったのだろう。これで、話しかけてくるご近所のおばちゃん方に進路を聞かれた時に「絵描きを目指すことにしました」と応えることができるようになる、と思っていたのだから……
実際には、ご近所のおばちゃん方はそこからも話を続けるのだったが。
✧
斜め前から視線を感じた。
年配の……上品なご婦人が俺を見ている。
俺は「案内役」だった……視線をご婦人に向け、会釈をする。
ご婦人が会釈を返しながら歩み寄ってきた。
「こんにちは。ずいぶんと熱心に見ていらっしゃるわね」
一呼吸をおいて、俺は無難と思われる返事をする。
「こんにちは。はい。近時の技術は大したものだなぁ……と思っておりまして」
「ふふ。これは電気で文字や絵が浮かび上がるのですものね。不思議な感じ」
「はい、僕たちの目に見える世界がこうした新技術によってどのように変わっていくのか。芸術を學ぶ者が、それに思いを至らせてみることが今日の展示会のテーマとの事でして……」
概説の4枚目までをまとめて話す。
世の自動計算機には、3種ある。
まずは、電波計算のアナログ(A)式と電子計算のデジタル(D)式。
それに、近時の量子計算のカンタム(Q)式。
このうち、アナログ式は記録用の磁気テープやテレビのブラウン管などのこと。
対して、デジタル式は沢山の計算を素早く行うことができ、科學技術研究などで重用されている。
ただ、デジタル式を構成する回路は複雑な汎用計算を行う際に大きな熱を出してしまう。そのため、複雑な計算を行う電子計算機を小型化することは難しい。
対して、近年開発されたカンタム式の量子回路は特定の計算をほとんど発熱せずに素早く行うことができる。そのため量子計算機には冷たい計算機との別名が与えられている。
カンタム式量子計算機は近く
『本年のノーベル物理學賞、カンタム式量子計算の基礎理論への貢献者、東北帝國大學名誉教授の津久波博士への授与決定』との報は、昨年一番のニュースだったろう。
博士の写真と共にカンタム式のQは文字はブラウン管や新聞紙面に幾度となく登場してきた。津久波博士のQについて、ご婦人に説明は不要だろう。
横浜みなと駅から帝都に入る経路のマグレブ線が開通したのは俺が生まれる少し前の頃。その頃、線の延伸計画は地元財界の最大の関心事だった言う。
当初計画では、浦和までの延伸を予定。
それを、東武財閥を中心とする地元財界が政治家への根回しを大利根川向こうの野田にまで拡げ、新利根川橋の建設計画を取り付けるなどして、マグレブ線の千間船場までの誘致に成功した……地元のご婦人への説明など、不要であろう経緯だが。
「
「そうねぇ。列車に描かれているQMというアルファベットを以前は少し不思議に思っていたのだけれども、津久波博士のノーベル賞以来、QMに馴染みが出てきましたわ」
と、ご婦人は微笑んだ。
ノーベル賞以来ありがたみが増した東武カンタムマグレブ線のQMは、
浦和高砂の邸宅街にお住まいののお坊ちゃまお嬢様方の何人もが、メイドを引き連れマグレブの
7枚目からは、アナログ式の技術とカンタム式の技術が結びつく近未来に起きる社会革命についての概説だ。
アナログ(A)式とカンタム(Q)式とを併せ、通称、AQ革命。
俺はコンテストの募集要項で初めて見た。
ノーベル賞のQにあやかろうとした文武省が作った造語なのかもしれない。
『指数関数的に伸びていくカンタム式の計算総力をAQ革命を通じ社会に還元』
そう付言されたグラフを俺は指差して言う。
「今後、カンタム式計算機は世に遍く普及していくものとされています。このカンタム式の力は芸術表現の場でも活用されていく見込みです」
8枚目のゴッホのひまわりが表示される。
脇に『カラー
追加の説明は不要だろう。美術書で見るひまわりより少しだけくすんではいるが、充分な再現力ではある。
油絵としてのひまわりに、俺はさほどの興味とないのだが。
「これまでのデジタル式よりもはるかに安価に信号変換処理ができるとのことです。カラーテレビが実放送化される際にもカンタム式の素子が活用される見込みとのことです」
受付係向けに配られたガリ刷りの記述通りに俺は説明をする。
9枚目。
カンタム式素子を用いた三次元成形装置が表示される。
ようやくに、AQが本日の展示会とつながった。
方位の測定が可能な撮影機で取った映像から、シリコーンの立体成形複製を自動で行う装置とのこと。この成形装置を叡智學園が購入なさったことで、文武省主催のコンテストへのお誘いがきたらしい。
ついでに學院の附設校となった越谷実業の芸文科生にも参加の声がけがなされた。
授業でこの件を話す美術教師は、三次元成形装置っていうのはずいぶんとお高い装置らしいよ、ということばかりを妙に強調していた。
装置を今まで見たことがないままの俺は
「この三次元成形装置というのは、まだまだ高価なようです」
と教師から聞いたままの話をした。
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