越谷実業學校3年丁組 雪乃上悠宇 於 上皇鴨場附設弓道場

閑話『AQ革命時代の温故知新 中等學校之部』①

 越谷実業學校の全學徒は校庭に整列中。


 ドーンと午砲ごほうが校庭に響く。

 野田の陸軍射撃場からの正午半ドンの空砲。


 響きの落ち着きを待ち、壇上の體育教師がピィーッと呼子笛を鳴らす。


 進めの笛を受け、5年生から順に実業生はゾロリ列をなし歩きだす。

 向かう先は、春日部千間台梅林公園。

 芸文科の俺は、3年生の行列の最後尾。


 つまりは灰色制服姿に坊主刈りの実業男子ばかり目に入るということ。


 大和たいわの世においても、「実業男子たる者、髪型は坊主刈りに限る」との越谷実業の不文律はなお健在。

 昭和の大天災の後に公衆衛生上の必要から出された「中學徒男子ハ髪ノ長サ一寸ヲ越ユルコトヲ得ズ」とかいう文武省通達の拡大適用が元、らしい。


 しかし、皇紀も二千七百年の半ばを越え今や多様文化尊重の時代。

 越谷では、全員が坊主刈りの一団は、天嶽僧院の修行僧たちのみ。

 若干の女學生もいるものの、越谷実業はそれに準ずる坊主刈りの一団。

 灰色制服姿に坊主刈りの実業生男子は、他校からは、灰色グリースとテンペール風に揶揄やゆされているらしい。


 とはいえ、越谷実業でも髪型は近く自由化される見込み。

 昨秋に、越谷実業は近隣の叡智學院に吸収合併され附設校となったのだ。

 叡智學院こと、彩乃國サイナー叡智學院中等學校。

 男女比1対1、今風の共學校にして、県内有数のお坊ちゃまお嬢様校。

 サイナーの文字は、先進的な圧縮學習コンプレッシングの教育機器導入に伴い追加されたものらしい。トレンディという奴、か。


 そして、経営する大山田學院長は、規律のためだけの規則を嫌う女史とのこと。

 男子だから坊主刈りなのだ、という実業教師の論理は通用しないだろう。


 ✧


 坊主刈りの列は梅林公園に入った。明日から梅まつり。

 白加賀、梅郷などの木札が吊るされた園内の樹々には、白や紅の花が咲く。

 つぼみはもうほとんどなさそうだ。

 遠目には既に満開に見える木もある。


 俺たちが向かう先は、皇紀伝統の鴨猟が行われるという園内の上皇鴨場。

 県内でも数少ない、皇族に縁ある止无事無やんごとなき場。

 ここで、本日の叡智學院の年度末の演舞会は開催される。

 さすがは、県内有力者のご子息、ご令嬢が通う叡智學園。


「これからは越谷実業の皆さんも叡智學院生です」

 そそな學院長女史のお言葉で、越谷実業生も本年から参加することとなった。


 上皇鴨場に、ハイカルなブレザー制服姿の叡智學園生と、時代錯誤な坊主刈りで灰色グリースな実業生とが並び立つ……學院長女史の狙いは、止无事無やんごとなき場でその対比を父兄にまずは示すことなのかもしれない。


 上皇鴨場の入場門。

 背を反らせた陸軍兵3名が、門をくぐる実業生たちににらみをかせている。

 兵詰め所の裏手には、市の弓道場がある。

 

 俺は列から外れ、担任教師の角田に向かい、直立する。

「芸文科、雪乃上ゆきのかみ悠宇ゆう。展示会案内役のため、弓道場へと向かいます」

 そう言って一礼をする。

 後手うしろてで歩いていた角刈り中年男の角田は「うむ」と大げさにうなずく。


 角田のように臣民教育が行き届いていた世代は、軍人の目があるところで厳しい表情を取り繕うというのは本当のようだ。


 次いで、門番の兵たちにも深く一礼をする。

 臣民修身教練が月1となった新課程育ちの俺だが、もちろん軍や特警には目をつけられたくない。


 俺の家系、雪乃上ゆきのかみ分家はとが持ちだ。


 三代前の曾祖父が時の帝國特警に捕まった末、劣悪共産思想を広める惰民と断ぜられ思想矯正のために南米テンペールへと強制移民されている。


 半世紀以上も前のことであり今さら惰民ゆえの強制移民などない、と信じたいが。


 弓道場の入口には立て看板。


 皇紀2775年度 埼多摩県絵画・造形藝術コンテスト

 『AQ革命時代の温故知新 中等學校之部』 上皇鴨場展示会場。

 

 入口で上履きに履き替える。この弓道場は立派な床張りなのだ。

 受付の紺ブレザーの女學生に軽く会釈をして、会場奥へと向かう。

 最奥が本日の俺の安寧の場、油絵セクション。


 まずは引き継ぎのため、午前担当の芸文科の稲元先輩の元へと向かう。


「……ただ、やっぱり、AQについては二度ほど聞かれたな。ま、ペンキ屋の息子の僕と違い要領がいいユウだから受け答えに問題はないだろうけどね」

 と午前の感想をもらす先輩に、

「節エネの流派が違うだけですよ。AQは予習しときます」

 と返す。


「お前の場合、今日は節エネとはいかないかもな。ひょっとしたら有名人に……」

「やめてくださいよ」

 俺は本当に嫌そうな顔で返したと思う。


 すると、稲元先輩は笑みを消さないままに、「案内係」と青で書かれた腕の腕章を外し、俺に手渡した。


 俺が「案内係」の腕章を左腕につけ終えると

「まぁとにかく午前は楽なもんだったよ。節エネ主義バンザイ、だな」

 と、午前の授業を休みにできた喜びと共に、稲元先輩は上機嫌に去っていった。


 これで、引き継ぎは完了。


 ✧


 演舞会が始まったらしい。上皇鴨場の方から拍手や歓声が聞こえてくる。


 藝術展示会場の方は静かなものだ。演舞会の方は出入り自由なのだろう。

 紺ブレザー姿の學生やご父兄方が時おり訪れるが、皆静かに展示物を見ていく。

 

 昨日の展示準備の時に、既に展示物は全て見ている。


 来場者の方に視線を送るのもなんなので、俺は壁にかけられた電界紙エレクトリパペルを眺め過ごすことにした。

 表示されているのは、本会の趣旨説明の資料。

 アナログ世界(A)と量子世界(Q)とを接続する新技術AQが、社会のどのように変えて行こうとしているのかを概説している。


 全部で10枚からなる説明書きが、順に電界紙エレクトリパペルに表示されていく。1分に2枚ずつ。20分は経ったので、既に3回分を眺めたこととなる。

 


 流石に概説の中身は頭に入った俺は、電界紙エレクトリパペルをなおも眺めながら、そぞろ思いにふけっていった。

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