第3話 内務省別館 特警研修室③

 土御門長官が陰陽庁へと戻ると、特警壱課いっか長の御燈ごとうが歩み寄ってきた。

 

「安吾君、これまでの精進、ご苦労様」

 安吾へねぎらいの言葉をかける。


「僕は、元は文弱の類でね。だからか、特警が全てとは思わないし、特警の是としがたい面が見えてしまってもいる。加えて、今の特警組織は守りの時だ」


 特警壱課はテロルの類の悪質な強行犯を担当する花形部署。

 壱課の長である御燈ごとうは、数々の難事件に当たってきた同期の出世頭。その彼が東京帝大の文科で東洋哲學を修め詩を嗜んでいたことは庁内では有名な話。


 小柄で丸顔、黒縁メガネの御燈ごとうと、見た目は文科の先生のよう。


 安吾は黙して御燈ごとうの言を聞く。


「こうした中、壱課では新たに魔薬捜査を扱うことになった。

 現場で事件性を判断する検視けんし官が犯罪と魔薬との関わりの調査に携わる。

 その検視けんし係の長に着任したのが、本日の講師役、友永君だ」

 御燈ごとうは友永に視線を向けた。

 

「改めまして、安吾君。特警壱課いっか検視けんし係長の友永沙耶華さやかです」

 そう挨拶すると、友永は微笑んだ。スラリと背が高い。

 藍色のスーツにヒールを履く彼女が並んで立つと、身長175センチメートルの安吾と同じ目線だろう。

 

「友永君は、先月までは二課で極左の知能犯を担当していてね。知恵比べもだいぶ得意になったことだろうが、元々は大學で合成化學を學んでいた。入庁後は科捜研で薬學にも親しんでいる」


 魔薬捜査においては合成薬物の深い知識も必要と聞いた。

 魔薬を扱う検視係に彼女の経歴は相応しいのだろう。


「今後の壱課は、捜査への科學的知見の活用をいっそう進めていく。友永君のような人材と共に、ね」


 御燈ごとうの言は熱を帯びていく。


「科學的機序の解明がまだの分野にだって踏み込んでいかねば。特に、金星姫の多界の未来視みらいしいにしえのシャーマンの宣託とは比べるべくもない予測精度の背景には、再現可能な法則性、おそらくは相応の物理法則がある。科学のメスが入っている陰陽術と同様に……

 ともあれ、今後、高い精度の未来視みらいしと共に在れるならば、今後の特別警察活動は良いものとなっていく、と僕は信じている……

 さて、土御門長官の仰っしゃる通り、金星姫の宿主マスターは定まった。テロリストどもが宿主マスターを狙うことも予想される……

 さらには昭和の大天災の再来の可能性も……

 今回、宿主マスターの警護は陸軍の特務部隊が担う。

 なので安吾君、改め、安生やすより殿。

 貴君の任は、宿主マスターの身辺を探ること、だ。

 私が話せるのはここまで。

 任の詳細は、勘解由小路かでのこうじ侯爵邸で聞いてくれ給え」


 御燈ごとうは軽く咳払いをして、続けた。


「あくまで隔秘の任。特警との連携も特別なやりかたで行う。

 只今より、安生やすより殿と友永君は、恋人同士となる。部下の恋人との会話を私が詮索することはもちろんない。

 以後、自由恋愛の範疇で任務を遂行するように」


 真顔で言い切った御燈ごとうと、あっけに取られている安吾。

 見比べた友永は、こらえきれずに笑い出した。


 御燈ごとうはなお真顔のまま、続ける。

「何を話そうと君たちの自由だ。課内では、ヤマさんだけには安吾君が恋人と一緒にいるのを見かけても冷やかさないように、と言っておく」


 そして、

「さて、あとは若い二人にお任せするよ」

 と言い終えると、御燈ごとうは遂に含み笑いを浮かべた。

 

 二人の敬礼にも笑みを残したまま答礼し、御燈ごとうは部屋を去った。


 ✧

 

「さぁ、安生やすよりさん、部屋を替えましょうか?」

 友永が脇に寄り耳元で囁くように言ったため、安吾は反射的に身を引いた。

 

「友永係長、どちらへ?」 

「さやか……さやか……さやか……さ・や・か」

 そう言いつつ、友永は正面に立つ。


 根負けした安吾は言い直す。

「さやか係長、どちらへ?」


 友永はふっと笑む。

「庁外では、係長はつけちゃだめ、ね。

 隔秘の任のレッスン中よ」

 と、友永は右手の人差し指を安吾の唇に押し付ける。


 唇に柔らかな感触を感じながら、安吾の脳裡に疑問符が浮かぶ。


 大丈夫なのか?

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