【壱】神宮姫転校前の内偵

一女乙組 雪乃上夏目 ✧ 大和44年晩秋から大和45年2月

第6話 女學生仲間の卒業洋行① ゲイ・エ・レズピカ展

 千葉島は花見川の上流、遠くに野田霞湾と東京湾の双方を望める高台の地に建つ雪下せっか会館。


 会館の離れに、大和たいわ元年築の書庫がある。

 当時流行りの擬古洋風の3階建て。

 その屋上に、かまぼこ天井の屋根裏部屋。

 明治の擬洋風建築にも見られた風のその部屋に、今は、名門高女、第一高等女學校生の雪乃上夏目ゆきのかみなつめが下宿中。


 その夏目は、一女乙組の女學生仲間の希美のぞみ沙織さおりと共に、年末から欧州への卒業記念の洋行に出ていた。


 明けて新年。七草の節句の日。

 半月ぶりに夏目は部屋に戻った。

 シャワーを浴び、白のネグリジェに着替えた夏目は、ベットに腰掛けるなり目を瞑り、すん、と鼻を鳴らした。少年の香りを感じた気がする。


 初めにハトコの悠宇ゆうのはにかんだ顔が、次いで、洋行中に目にした絵画、『ダイダロスの眼差し』のイカロス少年が思い浮かぶ。

 

 夏目はくすりと笑う。


 ✧


 ギリシア神話上の工匠ダイダロスは、幽閉された塔から抜け出すために、息子のイカロスに特製の翼を与えた。

 背に翼を生やしたイカロスの飛翔を見上げるダイダロス。

 飛びたったイカロスの背を下から捉えた眼差しの先は……若きイカロスの官能的なお尻。


 画の筆力は十分に高い。

 天鬼テンキ属を模した角がイカロスの後頭部にあるあたりで、藝術評論家は今風の戯作の類とみなすのかもしれないが。

 

 ミラノ旧市街のバルセッキ邸美術館でひっそり開催されていた、男同志女同志ゲイ・エ・レズピカがテーマの美術展。


 日本ひのもとでは未だ日陰者扱いの同性愛だが、欧州では受容が進んで久しい。それ故に地元民の注目もさほど集めていなかったであろう、その美術展。


 目ざとく見つけ出し、洋行の最終目的地をそこに定めたたのは、春からは樺太は豊原帝大の文科で美學を修める沙織さおり

 黒縁メガネに三つ編みのおさげという文弱女子姿で一女に入學するなり、テンペール物の少年同志愛チコカマ・アモール漫画をクラスに持ち込み、腐突フツツカモノとアダ名された。

 乙組でもトップクラスのテンペール語知識を持つ彼女は、現地の情報誌を見事に読みこなし、同行の二人の思いを越えた奇特な観光路をここまで切り拓いてきた。


 美術展でも二人を先導する沙織さおりは、ダイダロス視線の少年の後ろ姿をしっかりと堪能した後、次なる同志絵画を求め、彼女は邸の奥へといそいそ歩んでいった。


 その姿を見送った夏目と希美のぞみが、絵の前に立つ。


「このセクシィなお尻、解剖學の教科書でも通用するんじゃないの?」

 と、写実的な臀部でんぶ描写を前に軽口をたたく希美に対し、

「教科書には、ここまで精密に描く必要はないわよ」

 と、夏目は呆れたように返す。

 

 昨秋頃、夏目の席の上には、大抵は人類解剖學の教科書があった。

 帝都女子医専の2回生への飛び級入學に挑む夏目は、細かいところまで問われる解剖學の試験準備に追われていたのだ。自然、夏目に話しかけるたびに希美のぞみの目にも解剖學の教科書が目に入ってくる。


 一女の最終學年、満州の新京帝大の理學科に進んだ彼氏と遠距離恋愛の仲となった希美のぞみ。早々と同じ新京帝大の法科に進學を決めると暇を持て余しがちだった。

 そのため、入學試験の準備に忙しく浮いた話どころではなくなっていた夏目の机に、ついつい立ち寄ってしまう。


 夏目が生理學など他教科の教科書を開いている時。

 「法医學講義の予習をさせて」などと言い、解剖學書をペラペラめくり可笑しげな図などを見つけては、夏目に話しかけたものだった。

 萬属ばんぞく共栄を國是こくぜとする大日本帝國の認定書ゆえ、アジア族の人属に加え、いわゆる主要三属である天鬼テンキ獲瑠麩エルフ土矮麩ドワフの解剖學的特徴の章もあった。

 希美のぞみの言う通り、天鬼テンキの男女の全身解剖図では、臀部でんぶの比率は人属より大きめに描かれていた。


 展示会では、同属同志が睦み合う絵画と、異属同志が睦み合う絵画とがほぼ同数となるように調整されているようだった。多くは西洋画だったが、中華流の水墨画やドワフ流の土壁画なども専用コーナーを設けて展示されている。


 夏目は、ヒト属とエルフの女同志の睦み合いを描いた水墨画に感心させられた。ゆるりと抱き合う東洋女とエルフ女とが、調和的に描かれている。墨の濃淡がエルフ属の尖耳と細い髪とを自然に浮かび上がらせている。解題によると、大韓帝国からスウェーデンに移住したキム女史の作。

 

「お気に入りのようね」

「洋画より、しっくりくるわね」

 背後からの希美のぞみの声に、夏目は素直に返した。 


 共に東洋女ではある二人だが、東欧女とも見えるらしい。共に整った顔立ちでスラリと手足は長く、今風の女學生の見た目。洋行中、街々の欧州男が軟派ナンパをかけてきた。

 一番人気は、夏目。

 日本ひのもとの女としては少し彫りが深い顔立ちに碧眼気味の眼。

 そして、線の細い髪。

 欧州男が好む東方憧憬オリエンタリズムの理想像なのかもしれない。

 夏目の母は、白ロシアの貴族男とデンマークのエルフ女の間の子。

 夏目の父は純血の日本人。

 帝國の戸籍法上はハーフで、国際連盟の世界人口統計ではエルフ属のクォーターとされる。本来の髪は天然金髪ナチュラルゴールドであり、耳もやや尖っている。

 ただ、常日頃からの陰陽隠形により遠目にはまった大和撫子やまとなでしこである。


 二人より少し背が低く寸胴ずんどう気味な沙織さおりにも、欧州男たちから軟派ナンパがかかる。特に土矮麩ドワフ属が多いスペインとイタリアでは、沙織さおりが一番人気の風である。

 土矮麩ドワフ系の男は、黒縁メガネの下になかなかに可愛げがある顔つきの沙織さおりに、親近感を覚えるのだろう(世界人口統計上も、土矮麩ドワフ属男子と黄色人種女子の異属間婚姻比は高い)。

 

 三人は、第二外国語としてテンペール語を学んできた乙組インテリ女史。

 軟派ナンパの声に、彼女達がラテン系のテンペール語で返すと男たちは喜び、葡萄酒飲屋オステリアでワインをおごるよ、などと口々に誘ってくる。

 年より若く見えるであろう三人にそんな声がかかるのは、16歳から飲酒が許される欧州ならではか。

 

 洋行モテ組の夏目と沙織さおりを、希美のぞみは、アヴェンツゥラな初体験も乙なんじゃない、と、からかう。

 恋の火遊び的な意味で、世の通俗誌では今なお使われているアバンチュールは和製仏語。テンペール語で冒険アヴェンツゥラは、未踏の地に挑むような場合に用いられる。


 帝都の男子の多くには高嶺の花と映ろう夏目と、ガリ勉女学生と映ろう沙織さおり。いずれの恋バナも未踏の地への冒険、との意を込めたはやしだろうか。


 夏目も沙織さおりも、欧州男の軽口の数々にほ気乗りしていない風だったが。

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