第20話

「私がオーウェン様の記憶を消そうとしたのは、あなたの記憶があなたを形作るからです」

「…………」

「私は、オーウェン様ほど、失敗を際立たせる方を知りません。幼い頃から、私はあなたに魔法を教えてきましたが、授業のたびに逃げられ、旦那様のお叱りを受けました。その上、独学で魔法を扱えて、称賛されて……」


 マーガレットは、家庭教師として貢献できなかった、と。


「成長しても、あなたの奇才は変わりませんでした。寧ろ、教鞭を執っていた頃より……ご存じですか? 私が初めに耳千切りの魘魅をかけたのは、エリス様との子供なんです」

「やめて」

「あなたの行いを見て、彼らは、私を物扱いし始めました。殴ってもいい、蹴ってもいい、犯したっていい、ただの道具に」

「だから、ヴェロニカに魘魅を?」


 彼女は、質問に答えない。脱線しているからだろう。


「ハロルドは、なぜ殺したの?」

「お分かりのはずではありませんか? あなたは――」


 ドンドンドンドン!

 扉の振動とともに、皮膚全体がざわめきだす。


「ここを開けろ! オーウェン・コンスタント・ミーハン!! アナタをジャクリーン・リンダ・セルウィン殺人容疑で、誅殺ちゅうさつする!!!」


 喉に熱いものがせり上がってくる。名指しされておきながら、私は、金魚のように口を開閉するだけで、口が利けなかった。


 やめろ、笑うな。

 その微笑を見て、誰が安心できるというのか。家庭教師の仕事は、人命救助ではないはずだ。


 マーガレットの背中を認め、金切り声が飛び出した。喉が痛い。


「オーウェン様?」

「もういい、もうやめて……」

「…………」

「もう、質問はしない。物忘れゲームもしない。魘魅だって、かけなくていいようにする。全部、あなたの言う通りに」


 その先には、要求があった。

 彼女を少しもおもんぱからない、身勝手な欲求が。


 それを知ってか知らずか、マーガレットは顔を赤らめて、茶髪を指に巻き付けた。後ろの衝撃音が聞こえていないのだろう。

 彼女は、肌身離さず持っていた杖を私の上に翳し、くるくると動かした。目を閉じて、よく分からない呪文を唱えながらも、口角は幸せそうだ。


 私の寝ていたテーブルが青く発光する。

 目を細めながら、私は、


「純粋な疑問なんだけど」

「はい、なんでしょう」

「私のどこを見て、記憶を消すのに失敗したって思ったの?」

「言葉が扱えるところです」


 即答だった。

 なるほど、それなら彼女は、本当に一切合切、オーウェンから全てを奪いたかったのか。


 過去の行いが彼を形作る。一から彼女が与えれば、彼女好みの彼ができる。それは、私が転生者でさえなければ、納得できる屁理屈だった。

 理屈などでは、絶対にないが。


 白い手が金糸きんしを滑る。暫く櫛の役目を果たしたあと、それは、頬にぴたりとくっついた。儀式の光と同色の目から、呆けた美青年の顔が見える。

 ドアノックに耳を澄ましつつ、


「まだ、消えないの?」

「すぐにでも。オーウェン様」

「何」

「――――。いえ」


 視線を逸らすマーガレット。

 彼女の言わんとすることは、何だったのだろう。


 石造りのドアは、内側によってしか、揺れを止められないのか。土を掻き分けて見えた棒は、骨か、そもそも一部か。神官は狸寝入りをしていたのではないか。腹も出ずに、身重と判断できるのか。

 全てを懐疑するうち、片っ端から思考が形を失った。


 眼球はとっくのとうに運動を休めてしまい、残る四つの感覚も働かない。悲しみも喜びも、怒りも憎しみも、何もなくて、現実さえ、ない可能性がある。

 圧倒的な虚無の中、意識が産声を上げて。


 目の前に、一つの縄があった。

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