第17話

「はあ、はあ……あ……」


 痒い。

 頭皮が針山にでもされたかのように、鋭い痛みが集まっている。数時間前に義姉が発したものとも違う、純粋な血の匂いが空気を流れた。視界の端で、土を掴んだ手を捉え、地べたに倒れていることに気が付く。


 この程度で? 縊死いしはもっと痛かった。石ころより雑草の豊富な墓地のようだが。


 ふふっ、と口元で笑いながら、頭を上げる。

 背中に当たる金属。直立を邪魔されたらしい。それくらい、人間として当たり前の権利だろうに。


「まあ、当たり前じゃないか……」


 鍬を振り上げた人物は、そんな基本的人権を尊重された生き物には見えない。


 縦幅より横幅の大きい体型をしていて、服はあちこちほつれ、貴族以上に洗ってない身体が異臭を漂わせる男だ。その上、貧乏そうなのに肉は厚く、髪は乱れ、吐く息は野太くて、原始人を思わせた。


 色々偏見が酷いと思うけれど、頭皮を一部紙ナプキンみたいに破った男に、悪い印象を抱かないほうが難しい。私の目は彼を口汚く、悪罵した。


 二時の方向に、エリオットが仰向けに倒れている。彼は、私の次に殴られたのに、その後気絶するまでたがやされたのだ。神官を材料にした野菜は美味しいのかね。墓だけど。


「ヒイ、ヒイ……ハア、ハア」


 今のは私じゃなく、鍬男の呼吸だ。

 鍬は人体を傷つけるための道具ではない。そんなもので叩いたから、疲れたのだろう。

 私は、男の視界にはっきり収まっていることを知りながら、もう一度、腕、頭の順に起き上がろうとした。


 トン!


 軽い音に反し、背中がしびれた。間髪入れず、痛みに悶えた足にも衝撃が走る。横向きになり、私は叫びながらふくらはぎを抱きしめた。

 頭は一度しか狙われていない。エリオットのときもそうだったから、硬いものを叩きたいとか、そんな本能に駆られているのかも。


「ウ、ウウウウ」


 狼の唸り声のようなものを上げて、男が近寄ってくる。臭い。鼻が曲がるし、鍬は奪えないし、素手でどうにかできる腕力はない。苛立ちと焦燥感で、私は泣きそうだった。


 どうして、この男は暴れたのだろう。先程、原始人のようだと思ってしまったけれど、彼の一連の行動を見る限り、多少の理性は残っている。


 男は、最初は素直にセルウィン家の墓を掘っていた。古いものは何も出てこなかったけれど、何個か掘っていくうちに、人骨が出てくる。白骨化しているなら、探索対象ではない。


 十個、二十個と掘り進め、今の代に近付いてきた頃。男は急に、私をちょいちょいと手招きした。何か、おかしなものが埋まっていたのか、確認しようとすると、鍬で頭を叩かれた。それを見たエリオットが駆け寄ると、彼もまた、鍬の餌食になり、邪魔者を片すかのように、執拗に殴打された。


 そして、今。

 再起を二度、妨害されるという、間抜けな事態に陥っている。


 エリオットが少しでも動いてくれれば、彼の矛先は変わるのだろうが。人間、普通は上半身から起き上がるものなので、そちらの動きを察知されなければ……いや、馬鹿か。立っていれば、私がどちらの半身から起立しても、すぐに分かって、妨害できるじゃないか。

 足も痛いし……全く、こっちは散歩で疲れているというのに、追い打ちをかけやがって。


 男は、ゼイゼイ臭い息を吐きながら、私の足を掴んだ。短く漏れた悲鳴は、誰のものか。革靴を引っ張られ、私は、両足とも裸足になった。

 取った靴を掲げて見たり、細部を眺めたりする動作から、彼が強盗目的で殴りかかってきたことが分かる。


 不運なことだ。やはり、鍬だけ借りて、私が掘ればよかった。


 とはいえ、何時間も歩いて底が壊れた靴を履く私より、聖職者として、常に清潔な身なりを心がけるエリオットのほうが、金になるものを身に付けている。男はすぐに、私から狙いを外し、エリオットの服を剥ぎ始めた。


 動ける。今なら気付かれない。


 私は、息を潜め、地面を這いつくばりながら、土を退けた。鍬の奪取は諦める。爪が汚れ、虫がへばりつくのを不快に思いながら、墓穴はかあなを掘った。


 そして、見た。見えてしまった。土を纏いながらも、皮を着た五指が、青白く、食い荒らされた腕が。


 握ると、陽光による温かみがあり、それそのものの体温は感じられない。とっくに死冷も死後硬直も過ぎたのだろう。土中だから、野良犬に食べられている可能性もある。

 ただ、安心はできない。これが彼女だったことを調べるためにも、もう少し――


「オーウェン様!!」


 少女の声。ジャクリーン? まさか、


「伏せてください!」


 墓穴を染める影が、一回り大きい。その影は、長い得物を振り上げ、私を殴打しようとする。半ば諦めながら、私は、頭を守った。


 ボウッ


「ウアアアアアアア」


 地面で金属音がした。振り向くと、男の肩や足に火が点いており、彼は全身を滅茶苦茶に動かして、パニックに陥っていた。


 その後方十メートルに、団子結びの茶髪が見える。杖は持っているが、依然、手を翳す形での魔法による攻撃だ。


「マーガレット、」

「オーウェン様! 危ない!」


 顔を青くする彼女の危惧は、的外れとはいかなかった。男は、燃え広がって光る足を前に出し、蹲っていた私の腰を蹴った。ジュウウ、と服か皮膚かが焼ける音がした。今度こそ、私は針山などという生易しい感想では済まされず、絶叫して地面を転げ回った。


 痛い痛い痛い、熱い熱い熱い!!

 腰の痛みに意識を支配されるが、次に、先程殴られた頭が執拗な痒みを訴えた。その上、ふくらはぎの切り傷もジクジクと泣く。


 安心した私が馬鹿である。あの豚みたいな弟妹に舐められたマーガリンだ。植物を成長させる魔法以外にも使えるものがあったとして、危機的状況で役に立つはずもない。


 私は顔面を洪水にしながら、苦悶した。

 そこで意識が途切れたのは、幸いだ。

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