第15話
「あのさ」
「はい」
「最上級使うのやめない?」
敬語の話だ。
「何故でしょうか? オーウェン様は、ジャクリーンの将来を預けるお方です。大切な家族を一任する御仁に、」
「一任できないんだよ。今回みたいなことがあればね」
「しかし」
「しかしじゃない、ノアの丁寧さは、私には不相応すぎる。そういうんじゃなくて、語尾に付け足す程度の敬意でいい。私には、それで十分だよ」
「左様ですか」
語尾じゃないほうが畏まっている。ちゃんと直せ。
「私は…………きっと、結婚しない」
だから、私を義兄として扱うのも、やめてほしかった。
ノアは、その言葉に答えない。理由を求めているのかもしれないし、ただ、自暴自棄に聞こえているだけかもしれない。
しかし、彼にそれを語るのは酷だろう。
先程、ノアは確かに「失踪」と口にした。パーティーで会ったラザフォードや、数時間前のヴェロニカが、ジャクリーンの籠居を話題にする中、弟である彼だけは、行方不明だと説明したのだ。籠居は嘘で、その事実は隠されている。
知らないのは誰だろう。
ヴェロニカは知らず、その婚約者カルヴィンは、言及していない。ラザフォードは、ジャクリーンが引きこもっているとは言っていたが、社交の場でのことだ。部外者に広めないために口裏を合わせている可能性がある。
そして、パーティー当日、ノアは「姉が迷惑をかけた」と繰り返すばかりで、具体的なことは何も言わなかった。
それを私は、わざわざ言わせたわけだ。自分のことは追い詰めないくせに、他人のことは、更に深いところへ突き落とす生き物らしい。
いい加減にしろ、この腐乱死体が。
生まれ変わっても、魂から死臭が匂っている。臭くて臭くて、害を被る人間は堪ったもんじゃない。
思考はそこで逃げていった。陳腐で最悪な避難所へ。
「ジャクリーンは、いついなくなったの?」
「分かりません。自室に籠居してからというもの、彼女を見かけたのは家の者のみです。彼らもまた、二週間前に彼女にきつく拒絶され、一切の手伝いを禁じられました」
ラザフォードによれば、昨日――いや、もう一昨日か。二日前の時点で、ジャクリーンが引きこもってから一ヶ月らしい。使用人が部屋に行かなくなったのは二週間前。詳しく聞くと、彼女の命令から五日経った日、断って入室した乳母により、部屋がもぬけの殻になっていることが判明したそうだ。
五日間のうち、どのタイミングでいなくなったのか。きちんと捜査した上で、判断がつけられない状況と思っておこう。
どの道、現代日本には劣るお粗末な捜査のはずだ。
「命令が出てから、ノアは、」
「会いに行っておりません。アナタでなければ、ジャクリーンの助けにはなりませんから。……しかし、言葉を守って彼女を避けたのは誤りであるとも思います。本当に、申し訳ありません」
また謝られた。それでジャクリーンが戻ってくるならいいのだが。あるいは、私が許せれば。
しかし、ない罪を許すことはできない。
「ノアはさ」
「はい」
「ジャクリーンがいなくなって、探しても見つからなくて、それで、私をどう思うの?」
「オーウェン様を?」
首肯した。少し聞き方が悪かったか。
「私は確かに、ジャクリーンの婚約者だよ。でも、このままジャクリーンが戻らなきゃ、関係は白紙になる」
「しかし、今は婚約者です」
「今後のことを話そうとしたんじゃない。ただ、これから義兄じゃなくなるかもしれない、赤の他人になるかもしれない私と、どう思って、接してるの?」
「それは……」
即答しない。
敬語を軽くしろと言ったからだろうか。あるいは、他人にいなくなる可能性を口にされるのは、気分が悪いのか。
頭が急速に冷えていく。酷使してきた足が今頃になって重く感じられた。再び、目線は地面に固定される。
思考が渦巻き、沈黙に耐えられなかった私は、
「ごめん、やっぱりなんでもない。忘れていいよ」
「え」
「婚約してる限り、私たちは義兄弟だし、赤の他人だからって、どうってこともない。話はそこで終わり」
会話を打ち切り、私は背中を向けた。数歩歩いて、一度振り向く。
「ところで、ここはどこ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます