第13話

 空が赤かった。


 目を開けていられないくらい、朝日が光っていて、そこから遥か下に位置する木々や建物は、反対に黒い。目で見た上ではこんなに近いのに、揺らぎなく黒いのが不思議であった。

 私の目が悪いんだろう。本当はそこには、一応の境界線が引かれていて、段階的な明るさがある。


 近くにありながら、全く違うなんてことはない。


 だけど、今の私は、その差異を強く感じていた。

 空には上れない。地は私を、どこまでもどこまでも、鬱陶しく引き止める。どんな人間に生まれ変わっても、自由になんて、させはしない。


 私は、混乱の中、ミーハン家を抜け出し、街を歩いていた。

 あれから夜を迎え、寝付けなかった私は、膨大な時間を徒歩に費やし、森だらけの領地を抜けたのだ。


 前世でも、これまでの三日間も、ろくな運動をしていない私が耐えられるハイキングではない。ただ、家から離れ、人に干渉されず、孤独であることが、私の両足を不思議なくらい稼働させる。


 その日のうちに、結論は出た。


 オーウェン・コンスタント・ミーハンを、耳千切りの魘魅罪で訴えることはできないという。

 第一に、代筆業のハロルドから、私が代筆を依頼した事実を確認できなかったため。第二に、ヴェロニカの身体そのものには、魘魅の痕跡が見当たらなかったため。第三に、義姉と義弟による不義密通は、この国では不義に当たらないためだ。


 早すぎる落着の理由として、この世界では魔法を移動の手段に用いていることが挙げられる。


 手紙の移動は、宛名の住所まで、魔法使いがサイコキネシスの如く送ってしまう。ハロルドの死亡確認は、ヴェロニカが予め、家族とともにワープのような手段で見に行っていたそうだ。


 あとは、手作業での確認と、宗教によって築かれた観念の問題だ。正直、この二項がいっとう気味悪く、私の頭を汚泥おでいで満たした。


 家から離れて、それでも、汚れの追いすがる気配がする。


 ついてくるな、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。一緒にするな、家族と思うな。あんな、血だらけの女の服を無理矢理剥ぐような男と―――私は、私は…………


「オーウェン様?」


 セロの音。じゃなくて、この声は、


「オーウェン様」


 思考の絞殺を感じつつ、私は、後ろを振り返った。あ、と驚いたような口。色を揃えた髪と目。

 義弟だ。ヴェロニカにとっての私と同じに。


「ノア……」

「お早うございます。今日こんにちはよく晴れておりますね」


 下がる黒頭。

 改めて見ると、自然なタイミングで瞬時に会釈できるのは、毎日の習慣の賜物だ、と思った。私には三日しかなかったのに。


「お出かけでしょうか? 大変お疲れのようですが、お付きの方は?」


 首を横に振る。


「左様ですか」

「ノアは?」

「ワタシは、朝の祭儀を終えたところです」


 祭儀……ミサみたいなものか。多神教にも、そりゃあ、あるのだろう。


「一人で来てるんだ」

「はい」


 そこで会話が止まった。私は、この国の宗教の話を、もうできないからだ。


 手紙の表現と耳が送られただけで、魘魅の嫌疑がかかる。その上、証拠は揃わなくても、それらしいタイミングで起こる流産。

 前世の宗教みたいに、形骸ではないのだ。触れたら痛い目を見る。


 ちら、とノアの恰好を見た。パーティーで見かけたときより、幾分地味な服を着用している。辞書みたいな教典を携えている点を除き、身軽のようだ。

 祈ってきたのだろうか。唱えてきたのだろうか。信じているのだろうか。

 耳千切りを、どう思っているのか。


「オーウェン様も、祭儀にいらっしゃっては如何ですか?」

「私が?」

「はい」

「言ったっけ。来てないこと」

「聞き及んでおります。重ね重ね、深くお詫び申し上げます。ジャクリーンが籠居してから、どちらにもお出かけする気にならないようで、」

「いい。やめて」

「ですが、」

「謝らないで。今、そういう話は聞かない」


 謝られることで、こちらの非が浮き彫りになっていくようで情けない。ヴェロニカの話では、ジャクリーンが籠居した際、オーウェンのほうが責められたのではなかったか。


 周りが彼を非難しているのに、ノアだけ、オーウェンに頭を下げる。

 どうしてだろう。

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