第12話
耳? 耳だって? なんで、耳が……耳千切りだから? いや、それだけで削ぎ落とすのはおかしい。あれは神話、つまり、作り話だ。
耳らしきものをよく見ようとする私を放置して、
「酷いことだわ。礼儀知らずのあなたに代わって手紙を書き、そこの豚とあなたの仲を取り持ち、セルウィン嬢の籠居で責められたあなたに寝床を用意してくれた友人なのに。人から受けた厚意を無下にして……」
と、ヴェロニカ。
知らない。そんなことを言われても、私は何も、反応できない。
代筆をしていたなんて、彼の書斎に足を運ばなかった私には、知る由のないことだ。ラザフォードがジャクリーンの
カルヴィンとは、まあ、不仲だろうが……
私が酷いってなんだ。私が一体、
「挙げ句、私の……私とあなたの子供までも、殺すつもりなのね。あなたは、一体どこまで人を踏み躙れば気が済むのかしら」
は?
素っ頓狂な声が反語文の後に続いた。召使いが欠伸でもしたのかと周りを見回すが、皆、私を見ている。
どういうことだ。
「あの……」
「何よ」
「どういうことですか? あなたと、誰の子供って、」
「あら、聞こえなかった? あなたの子供よ。私、妊娠したの。父親はそこの豚じゃなくて、あなた。あなたなのよ。私に触れたのは」
「――――」
寒気がした。
私は、転生を自覚してから三日間、誰ともそういう事はしていない。出来るわけがない。それをしたのは、不貞を働いたのは、私という不純物がこの肉体に宿る前の、オーウェン・コンスタント・ミーハンだ。
喉が渇いた。カラカラに水分が飛んで、こちらを真っ直ぐ見つめるヴェロニカの目が、嫌に輝く。
そんなに私を刺して楽しいか、そんなに私を殺して楽しいか。人をそんなに、圧迫して、何も言えなくして。ああ、この人たちは絶対、私が舌を噛み切ろうが、喋るだけの知能を失おうが、責めてくるに違いない。私を唯一の責任者に仕立て上げて、団結して石を投げるさまが目に浮かぶ。
そんな人間に、やる言葉は、
「聞きなさい、オーウェン!!」
無視していたら、ヴェロニカが乗り出して、捲し立ててきた。
「“天上を侵す者”の暗喩も、耳を切って送ることも、耳千切りの魘魅罪に問われる可能性はある。だけど、子供はまだ流れていないの。術の効果が現れるまで、時間があるのよ。分かるでしょ、オーウェン」
何がですか、と口にする前に、右腕を引っ掴む白枝。袖が
「……取り消しなさい」
「は」
「術を取り消しなさい。効果が現れる前に取り消して、流産を防ぐの。できるでしょ」
呪った覚えもないのに、誰がするのだ。そもそも、魘魅は取り消せるものなのか。
口が震えた。そのまま怯えているだけだったら良かったのだろうが、恐怖を覚えながらも、私は、止められなかった。
「ヴェロニカさんは偉いんですね。あなたが身籠ったのは私のせいで、魘魅したのも私で、だから、本当に流れる前に情状酌量の余地を、ってことですよね。お情けありがとうございます。嬉しいです」
「
左腕を額の前に持っていき、目を閉じた。
避ける気は、毛頭ない。殴られたら、多少はこちらが有利になるからだ。
どうだろう。分からないまま、自分の瞼の裏を見ていた。
………五秒待っても、細腕による衝撃はない。不思議に思って目を開けると、私の右腕は自由になっていた。
代わりに、向かいのソファで、ヴェロニカが身体を丸めている。
「あ」
と、義姉の声。
「ああああ」
一筋の涙。
「ああああああ!!! いああああああ!!!」
くの字に折れる身体。揺れるブロンド。大粒の塩分が放出の勢いを強めた。
ヴェロニカは、自分の下腹部を片手で守り、もう一方の手でソファにしがみついて、苦しみだした。なんという名前だったか、傍にいた召使いの男が駆け寄る。彼は、呆然としている他の召使いたちに、医者を呼ぶよう指示した。
ドタドタと、露骨な動揺を含んだ足音が部屋を行き交う。
私は動かない。動けなかった。先程迫られたように、ソファに
「……なんで」
「え」
放水したまま、青い目が射るように睨む。
「なんで解かないの! なんでなんでなんで!! 私が苦しんでるのよ、助けなさいよこの人でなし!!」
「でも、」
「でも、何よ? 私だってあんたの子供なんか、産みたくないわよ、汚いったらありゃしない。ここにいるのは寄生虫よ、人間じゃないわ! 産んだら森に放って獣の餌にでもなんでもするわよ!」
「え」
「けどねえ、痛くて痛くて堪らないのよ! 本当に痛いの。男のあんたには分からないでしょうけど、毎日身体が引きちぎられるみたいに痛いの! それを無理矢理引きずり出すのが、どれだけ苦痛か……」
女なのに。だったのに、それでも、分からない。
聞きたくもない。
「死んでも分からない……」
そうだ。
「■になさいよ」
耳鳴りがした。ヴェロニカは、同じ意味の言葉を何度も投げかけてくる。唾を飛ばして、繰り返す。だけれど、それは私に聞き取れない。周りが騒がしくてしているからか、痛みのあまり、声を出せないのか……
■ね、■ね、■んでしまえ。強意の言葉をやたらめったら付加しながら、義姉は私を罵倒する。
「■……う……あ、あああああああ……っく……ううう……」
それも、死産の痛苦によって、
後には、血の匂いが部屋を満たしたのだった。
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