第11話

 ヴェロニカなんちゃらという女は、カルビニキ……じゃなくて、カルヴィンの婚約者のようだ。そういえば、苗字がウィルクスである。

 彼女の家は、昨日、パーティーを開いていたはずだ。婚約者の弟に用があるのなら、そこで話しかけてくればよかったのに。


 疑問を覚えつつ、私は応接室へ向かった。


 目につくブロンドの巻毛と、重そうに飾り立てられたドレスの女。彼女がヴェロニカだろう。

 カルヴィンより数年若く、私より少し歳を食っている。ぴんと背筋を張って座っていて、太い眉も合わせ、気の強そうな印象を受けた。


 私が向かいのソファに座ると、閉じていた目を開けて、


「ごきげんよう、オーウェン」

「あ、はい。元気そうですね」


 敬称がない。兄嫁だからだろうか。

 視線を部屋の奥にやると、兄が腕を組んで、座らずに婚約者を凝視している。

 なんでだ?


「ふん」


 ヴェロニカが鼻を鳴らして、俯いた。私もこういう反応したことあるなあ。

 ただの挨拶だろうに。


「……要件は?」

「サム。手紙を」

「はい」


 同伴する使用人が懐から白い紙を取り出す。封蝋ふうろうが接着部分から浮いていて、開封済みの手紙だと分かる。

 宛名はヴェロニカと記されており、差出人は、オーウェン・コンスタント・ミーハンと書かれている。私が転生を自覚する前に、送ったものだろう。


「いつ送ったんですか?」

「私に分かるわけないでしょう」


 そりゃそうだ。世界観以下略。


「この手紙は、昨夜、ウィルクス家に届いたものよ」

「昨夜? パーティー中ですか。ヴェロニカさんは、」

「私は自室で休養していた。分かってるでしょうけどね」

「体調、悪いんですね。ご自愛ください」

「……っ」


 眉間に深いシワが刻まれた。一体、どうしたのだろう。


「大事な話よ、オーウェン」

「はい」

「私はあなたを、耳千切りの魘魅罪えんみざいで訴えます」

「なんだと!!?」


 カルヴィンが壁から離れ、大股で歩いてきた。脂肪に囲まれた口が、「あ」の形に開けられている。


「オーウェン、お前……」

「落ち着いて、カルヴィン。私は彼と話してるの」

「相手を選べる話か、これが! ふしだらな……」

「それは私に対する物言い? 私は魘魅罪を犯したであろうオーウェンを訴えてるの。責める相手が違うでしょ」

「耳千切りの原因はどうした!? 私は、お前がまだ結婚したくないというから、触れずにおいたのだぞ!! それをお前は、」

「ええ、そうね。まだ結婚したくないなんて、生娘の我儘を素直に聞くから、原因ができてしまった」

「なっ……」


 ヴェロニカは、顔を傾け、冷たい視線を兄に送る。


つがいを繋ぎ止められない豚が、こんなときだけ鳴かないで。どうせ、魘魅の成功を祈ってるのでしょう? あなたは自分の子が欲しいだけだものね?」


 言われたカルヴィンは、口をパクパク開閉して、数歩退しりぞいた。それきり、婚約者が彼を見ることはない。

「呪」術の成功を「祈」るとはこれ如何いかに。


「あの、ヴェロニカさん」

「何?」

「耳千切りってなんですか?」


 睨まれた。


「聞いてるわよ。あなた、物忘れゲームだなんて、白々しいことをしてるんですって?」

「ゲームじゃありません」

「豚にだけは病気などと言っていたそうね。薄汚い自己弁護だこと」


 殴ってやろうかと思った。

 人の相談事を、まだ結婚してもいない女に話す兄も、兄に呆れながら彼の決めつけを鵜呑みにする義姉も。

 ヴェロニカは、口をきゅっと結んで、立ち上がった私を見上げる。

 促されているのか、なら止めよう。私は着席した。


「知ってる知らないはともかく、私には学が無いんです。一度頭のいい人に説明してもらわないと、記憶力に自信が持てません」

「家庭教師に懐かれてるのに」


 揚げ足を取るな。私にだって、聞く相手を選ぶ権利がある。

 ヴェロニカは、視線の刃を全く引っ込めず、耳千切りの意味を説明した。

 耳千切りとは、“天上を侵す者”が得意とする、ある現象のことだ。

 “天上を侵す者”は、様々な手段を以て神を困らせるのだが、その一つとして、これから生まれる人間の命を奪うことがある。

 自然妊娠中絶――俗な言い方をすれば、赤子の流産を神話的に捉えると、“天上を侵す者”の仕業になるらしい。


「赤子は、生まれるときは必ず、産声を上げる。それが聞こえないのは、“天上を侵す者”が聞く者の耳を千切るから」


 千切られてないだろ。赤子じゃなくてこっちが被害者なら、“天上を侵す者”は、どれだけの数、耳を千切ってきたのだ。

 ツッコミたい気持ちは山々だったが、私は言葉に詰まった。

 耳千切りを説明するヴェロニカの真剣な眼差しに、嫌なものを感じる。


「魘魅って言いましたよね。耳千切りは、“天上を侵す者”にしか出来ないんじゃないんですか?」

「人間にも真似できるわ。“天上を侵す者”を味方に付ければね」

「私がそんなものを味方にして、呪いをかけたと」

「これがその証拠」


 ヴェロニカは、見てから言えとばかりに机上の手紙を指で突く。私はそれを手に取った。


 目を通し終える。

 中身は、なんてことのないラブレターだった。動詞や形容詞にやや上級の敬語表現が選ばれていて、一見上品な文体だ。特徴としては、本題と無関係のところに『雲が欠け、あなたも欠けている』とか『陽の光が眩しくて目を細めていた』とか、見ていて痒くなる逢引あいびき願望が記されている点が挙げられる。


「これのどこが証拠なんですか?」

「白々しい。リリーホワイトを頼っておいて、書簡の定法じょうほうを知らないわけじゃないでしょう? 雲が欠けるという表現も、目を細めるという書き方も、“天上を侵す者”の暴挙を意味する表現よ。義姉にこれを送ることが、どれだけ不敬にあたるか……」

「不敬って……偉いんですね」


 そう答えつつ、ハロルドの苗字が出てきたことに、首を傾げる。

 彼が何か、関係あるのか?

 ヴェロニカは、使用人が持っていた包みを引ったくり、机に中身を置いた。

 パン生地のような橙色の物体が出てくる。黒い縁取りがあり、その縁取りが剥げた金箔のように粉々で……


「これは、」

「ハロルド・リオ・リリーホワイトの両耳よ」

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