第3話
マーガレットが案内してくれたのは、オーウェンの生家・ミーハン家ではなく、彼の友人、ハロルド・リオ・リリーホワイトの屋敷だった。
え、誰だそれ。またカタカナか、面倒くさいな。
「やあ、オーウェン。体調のほうは
「体調? 別になんともないけど」
「粗野な物言いだ。まあ、今の君の状態を考えれば、無理もない。何日でも泊まってくれ、渡り鳥には止まり木が必要だからね」
ポンポン、と肩を叩いてくる男は、恰幅は良いが、まだ二十代ほどの若い貴族だ。テルテル坊主の首から下みたいな、ふわりとした布が首元を飾る。と、これは私の服も同じか。
横にいたマーガレットが男に近寄り、コソコソと耳打ちをした。私はそれを見て、舌を打つだけだ。
イライラする。
男は、何度かの点頭ののち、得心いったような顔をして、
「これは失敬! 私としたことが、自己紹介を忘れていた。私はハロルド・リオ・リリーホワイトだ。この屋敷の主人であり、君の友人だよ」
「そうなんだ」
「いやしかし、君はまた面白い遊びを思いついたな。そこの魔女のことは何度もからかう様を見てきたが、ついに記憶喪失ごっこまで始めるとは」
「ああ、その話か。うん、そうなんだ。こいつだけ忘れたふりをしても、興が乗らないもんだから」
指を指す相手は、勿論マーガレットだ。
「はははっ。まあ、君の人生、色が濃すぎるからな。たまにはそんなのもいいだろう。それで心労が払えるなら、好きなだけ遊びたまえ」
「心労?」
「おっと、物忘れゲームはもう始まってるんだったな。続きは夕食の席で」
手を挙げて、屋敷に入っていくハロルド。私が考え事をしていると、エプロンを着た女たちが入るよう促した。
心労ねえ。
白いパンを千切り、口に放り込む。その間ずっと、ハロルドの長話が続いていた。
「それでねえ、目を閉じながら広間をうろついたかと思うと、バルコニーから身を乗り出して、そのまま飛び出そうとしたんだ! ジャクリーン、待ってくれとかなんとか、うわごとを口にしながらね」
「ふーん」
「たまたま家の者が通りかかったから助かったものの、もしあの晩、見回りの仕事がなあなあに済ませられてたらと思うと、ぞっとしたよ」
「そっか。後でその人に礼でも言っとくよ」
「あまりお勧めしないよ。肌に胡桃がめり込んだような女だ」
「はあ……」
老婆の使用人ということだろうか。命の恩人だから感謝を伝えるだけのつもりだが、なぜお勧めされないんだ?
よく分からないな。
ただ、分かったこともある。私はどうも、ここ最近、実家を離れてハロルドの家に居候しており、その原因に婚約者のジャクリーンが関係しているということだ。
婚約者、仏語でフィアンセ。
まあ、いるとは思ってた。これは、世界観に限らず、貴族なら自然なことだ。現代日本人の私には、結婚どころか異性との付き合い自体、強制されるべきではないと思うのだけれど、仕方がない。
転生してしまったものはしてしまったのだ。結果を受け入れよう。
それに、ハロルドは、休んでいいと言ってくれている。恐らくは、婚約者と争った私を気遣って。
「夢遊病者っていうのは深刻だよね。私、ジャクリーンと何があったの?」
「さてねえ。君は、その辺りのことを語りたがらないようだから……」
「人に話してないなら、
「ははっ。徹底してゲームは続いてるようだな」
「飽きるまではね」
遊びではなく、本当に記憶喪失だと疑われたら、どうするのだろう。
世界史の授業を真面目に聞いたことがないので、この辺りの認識――病人や、それに類する者への偏見は、被害に遭わないと分からない。
一応、貴族という身分だし、邪険にされないといいが。
「さて、腹も満たされたことだし、私は書斎に戻る。おい君、オーウェンを南突き当りの客室に案内しなさい」
承知しました、と召使い。私は、彼女についていった。
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