第17話 妄想初夜。いいではないか。よいではないか! ACT1

今日配信された資料を眺め「ふぅ」と一息のため息を吐き出し、タブレットをそっと置く。


「奥様、少しご休憩なされては?」

「ええ、そうですね」

「それではお茶のご用意をいたします」


ビシっと折り目正しいスーツにズボンを着こなし、長い髪を後ろで束ねた女性――湯島が部屋を出て行くと、彼女は自分の頬を軽く叩いた。

気合を入れ直し再びタブレットを手に取り、先ほどまで見ていた資料に再び目を通す。

そしてまた「ふぅ」と重いため息を漏らした。


どうして秋穂は私を頼らないんだ。やはり優奈のことを守ろうとしようとしているのか? しかし、これは優奈が生まれる前から決められていたことなんだ。私とて、このようなことは自分の孫娘にしたくはない。第一子が生まれ、男であれば嫁を。女であれば婿を。我が血筋を存続させるために選ばれし者との婚姻を強制させなければいけないとは。智明ともあきが他界してから、秋穂の態度は一変した。いや、この宮下家にまつわる忌まわしき習わしを知ったためかもしれない。だがそんな事は言ってはいられないのだ。


家督かとくを継いだ私の息子、智明。長男であるがゆえにその行く末は智明も同じであった。自由に人を女性を好きになることを禁じ、育ててきた。それが宮下家の為であるがゆえに、そうせだろうえなかったのだ。この宮下家の血は濃すぎた。古来より続くこの婚姻の儀は呪わしく濃く染まり抜いたこの宮下家の血を浄化させるためにある。もし仮に、近親もしくは縁のある者との婚姻が成立してもその後の継続はなかった。子は産まれることは産まれるが、どの子も短命で、早くにこの世を去りゆく。しかし、昔はそうではなかった。元来、宮下家の家計は近親家系であったのだ。

近親者のみとの婚姻しか許されず、その血を濃くし、絶やすことのないものとするのがこの宮下家の先祖から行われてきた習わしでもあった。しかしながら、あるときを境に、生まれてくる子たち。特に家督を継ぎし者の、地位にある命が奪われていく。その原因が判明したのわずか数十年前のことだ。


そう、我が一族の地は濃すぎたのだ。その濃過ぎた血縁が一族をつぶしにかかったといっても過言ではない。


その打開策として取られたのが、この血を浄化させるための手段であった。むろん、我が一族と縁のない者はこの人類の中数限りなくいるのは確かだ。そうなれば、自由な恋愛と言うべきだろうか。男女とも普通の恋愛に落ち、その子孫を残すという一般的な流れに沿うのも合理である。


しかしながら、この血はそれを拒んだのだ。


元来この宮下家は源氏の家系を流れゆく種族である。そして我が氏族は広置こういに渡りえにしが鎖のように絡み合う。そうなのだ。たとえ他人とされる人物もその家系をさか登れば何らかの縁が我が家族と接してくる。つまり、我が一族に関わる血が遺伝子が残りえる者は、この血が受け付けないということなのだ。


まったく、一族との関係性が歴代共になく。この宮下グループの総帥の伴侶も敷くは婿としてふさわしい人物。そうでなければいけない。


そして習わしに順じ、智明は許婚として決められた相手と婚姻をし、優奈が生まれた。

だが、この血の呪いは、ある変化をもたらしつつあったのだ。


後継の子を世に出した後、その役目を終えさせようとした現象ともいうべきだろうか。智明と婚姻をした息子の妻は、後継者となりうる優奈を産み、その役目を終えたかのように、その命の日が消えていったのだ。原因は今だ解明はされていない。

だが、智明、優奈共にその兆候も変化も何もあの時はなかった。


しかし、今度は、直系の家督を継ぐ智明にも刃は向けられた。

それは静かにゆっくりと智明をむしばんでいったのだ。


ドアがノックされた。

「どうぞ」と私が声にすると、湯島がワゴンに香り高い紅茶と茶菓子を乗せて入ってきた。

「お待たせいたしました奥様」ドアの手前で軽く一礼をし、静かにワゴンを押しながら、部屋へと入っていく。


テーブルに紅茶と茶菓子を置き「どうぞ」と私を招いた。

「ありがとう湯島」

言われるままにテーブルの椅子に腰を落とし、かぐわしくも高貴な香りを紅茶の湯気を通じて堪能する。紅茶は香りが命だ。私はそう思う。


いつになく彼女、湯島の入れる紅茶は素晴らしい。

そして軽く口にしてスッと肩の力を抜いた。


「大分お疲れのようですが、大丈夫ですか奥様」

その言葉に少し救われたかのような気持ちになれた。やはり私は相当追い詰められているのかもしれない。


「秋穂と、優奈の居場所はまだ分からないのかい。湯島」

その問いに湯島は深々と頭を下げ。


「まことに申し訳ございません。以前秋穂様と優奈様がお住まいになられていたアパートが火事になり、お二人の御生存は確認は致しておりますが、その後の足取りがいまだつかめておりません。部下には捜索を続行させておりますが今しばらくお待ちいただけないでしょうか。情報が入り次第、奥様にはご報告いたします」


「そうですか。まったく、秋穂には困ったものですね」

ふと秋穂の顔を思い描くと、なぜか心が和む。


優奈も今秋穂と一緒にいるはずだからさほど心配はしていないのだが、さすがにその行方が分からなければ、その気持ちも嘘であることを確証しなくてはいけないだろう。

だが、秋穂は絶対に優奈のことを守っているはずである。


自分が産んだ子ではない。正直に言えば年も親子として接しているが、実際はさほど離れてはいないのが現状。母娘というよりは姉妹であるという方がまだ、その関係性に私自身もしっくりとくるという感情を持っている。


初めて智明から秋穂のことを紹介されたとき、驚いたのは言うまでもないだろう。まだ高校二年という年端もいかない少女と結婚したと言い出したのだから。

優奈がまだ小学生のころだった。


あの時は何がどうしてこうなったのかと、理解? いや、私自身の気持ちを抑えることが出来ず、はじめ猛反対をしたのを今も懐かしく思える。まったく、条理に反する事態であることは確かなことであるがゆえに、そのような感情をむき出しにしてしまったのかもしれない。


……しかし。その後にわき上がる秋穂への依存感は私のこの気持ちを大きく転換させた。そう、この血が迎え入れよと命じるかのように。


すでに優奈という存在。いわば宮下家の家督を継ぐ孫がいる。優奈がこのまま成長し、優奈の子。いわば次の家督を得る子が生まれれば、この家系は存続できる。実際はそんな安易なことではないことくらい分かり切っていることではある。そしてもし、秋穂と智明の間に子が出来れば、その子は第二後継者としてこの宮下家の家督を継ぐ命を背負うことになる。

秋穂のことは徹底的に調べ上げた。


家柄、家系に及ぶ先祖代々の構図まで。この宮下家との縁が講ずることがあれば、婚姻は許可できない。実際許婚を選定するのには膨大な時間と人界力が必要となる。

だが智明はそんなことはお構いなしに秋穂と婚姻をしたのだ。


後に智明はこう私に告げた。

「秋穂はね。秋穂とは一目会った時から、何か僕の中でざわめいたんだ。彼女に出会ったことを僕はとても後悔している。でも、その後悔が僕の生涯に置いて、一番の幸せであるんだということを、この血が教えてくれたような気がしたんだ。それに彼女自身、この僕に対し何の迷いもなく寄り添ってくれた。この心の中に空いた穴を、お重く苦しくのしかかる、この血の呪いを浄化してくれるような気がしたんだ」


その言葉は、何か私が感じつつある気持ちに通じるものを感じさせた。

秋穂がこの屋敷に来て、ともに暮し、その気持ちの中にある智明が言う重圧感が薄らいでいくという。いわばこの血の呪いを浄化してくれるという智明の言葉が身に染みて感じられることが……。あの過ごした時間。私の一時の幸せな祝福の時間でもあったかのように今、感じているのは嘘ではない。


そして思い起こす。あの日の私の青春時代に描いたひと時の、一人の女性として描き持つ恋と言う名のこの感情を抱いたあの頃を。


源三郎さん。もうあなたがこの世にいないことは風の便りで聞きました。

もし、私が生まれ変わり、また女性としてこの世界に産み落とされるのなら、こんな忌まわしい家系に縛られることのない。


一人の純粋な女性として、またあなたと巡り合いたい。

……あと幾ばくもないこの生涯の願いとして。

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