第3話 イルカと少年(3)

「応急処置はしましたが念のため島の診療所で検査を受けてください」

「……はい」


 真見まみはかぼそい声で答えた。結果として真見の怪我は軽いだけで済んだ。リュックサックに入っていた衣服に着替え、濡れた衣服はビニール袋に入れ替えた。島の学校でも使えるようにと持ってきたジャージが思いもよらない所で役立つ。水分を含んだ衣服は重かった。タオルを肩に掛け、髪に含んだ水分を取る。


「このレオン号での事故ですがこの島を所有しているセル社と警備会社にも報告されます。もしかすると後で警備会社の者が神野かんのさんの家を訪れるかもしれませんが……。船から落下した理由はイヤフォンが落ちてしまったからで間違いないですか?」

(本当のことを言うと……分からない)


 真見は自分が船から落ちた理由を理解できないでいた。イヤフォンが落ちたのもそうだし、背中を押された感覚があったこともそうだ。とても人に説明できるようなことではなかった。


(結局イヤフォンも海の中だし……)


「はい。そうです……。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 真見は「セル社」の名を聞いて血の気が引いた。それは父が出向している会社であり、今最も力のある大企業だったからだ。本社はアメリカ西部に位置し、会社とは思えない程の敷地面積を有していた。自然の中に突如、ガラス張りのスクエア型の施設が現れるのを動画で見たことがある。

 タブレットや電子機器の開発が主だが宇宙産業にも事業を伸ばしているという、勢いを留まることの知らない企業だった。今を生きる人々の中でセル社の商品を使ったことのない人はいないだろう。世界を支配している企業と言えるかもしれない。勿論、日本に置かれた本社も絶大な力を持っていた。


(お父さんに迷惑がかかったらどうしよう……)

「顔色が悪いわ。すぐに診てもらった方がいいわね……」


 女性の医師が優しく真見の背を撫でた。

 船を出ると真見は多くの視線に気が付く。怖くなって視線を落とした。


「あの子、船から落ちたみたいよ」

「何があったんだろうね?」

「大丈夫なのかしら……」


 人の話し声が聞こえる。それも内容が鮮明に。真見は唇を噛み締めて騒ぎに耐えた。自分が噂になっていることが苦痛で仕方ない。


(早くここから離れなきゃ)


「ちょうど良かった!相模さがみさん!」


 女性医師が地上に向かって手を振っている。真見は隠れるようにて女性医師の後ろについた。


「船から女の子が落下して……。至急診察をお願いします」

「何だって?船からだと?急いで運び入れろ!」


 かすれた大声が響いて、真見は思わず身をすくめた。切羽詰せっぱつまったような声色こわいろは真見を驚かせた。思わず女性医師の背中に身をひそめる。女性医師は年配ねんぱいの男性を落ち着かせるように手を前に出す仕草しぐさをした。


「すぐに救助されたので軽症けいしょうで済んでいます」

「何だ。意識はあるのか!それを早く言え!心臓が止まるかと思ったぞ!」


 真見は恐る恐るその力強い声の主を見る。小麦色の肌が似合う、恰幅かっぷくのいい男性だった。年齢は60代前半に見える。Tシャツに半ズボンという医師とは思えない格好をしていた。


「おい!お前さんが怪我人か?」

「あ……はい……」


 真見は男性の勢いに気圧けおされる。


「ついてきな」

 

 「ようこそ!命島めいじまへ!」「Welcome!」と書かれたプラカードを持った人々が相模と呼ばれた男性と距離を開ける。皆、その老齢ろうれいの男性の迫力に気後きおくれしているようだった。真見はリュックサックを抱えながら陸地に足を踏み入れる。ふわふわとした浮遊感ふゆうかんを感じながら男性を観察した。


(なんだか……怖そうな人。大丈夫かな……)


 真見が足を進めずにいると人混みの中から場にそぐわない、呑気のんきな声が響いた。ついさっき聞いた声色に真見は大きく反応する。


「じいちゃん。その子、怖がってるよ」


 その声は先ほど真見を助けた少年のものだった。ウェットスーツから白いTシャツとジャージのハーフパンツに着替えている。

 大きな瞳が呆れたように男性を眺めていた。

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