第2話 イルカと少年(2)

「がはっ、げほっげほっ……」


 急に浮上した真見まみ海水かいすいを吐き出す。不足した酸素を急いで取り込んだ。何者かの手が真見の手を尾びれのようなものに誘導ゆうどうする。


「イルカ……?」


 そこでやっと真見は掴まっている物体に焦点を合わせることができた。

 姿は確かにイルカなのだがかたい。仄かに機械的な熱を感じる。生き物とは程遠い質感に真見は戸惑った。瞳と思われる部分が赤色に光る。


「大丈夫?」


 場違いなのんびりとした声色は真見の動揺をしずめた。

 瞳の中に少年が映る。薄く焼けた肌に大きな黒い瞳が印象的な少年だった。

 真見は咳き込みながら頷いてみせる。どうやらこの少年が溺れた真見を持ち上げ、イルカにつかまらせてくれたようだ。


「誰かー!人が落ちたみたい!」


 いつの間にか真見が居た場所に人が立っている。黒いキャップを被った人物が声を張り上げているのが見えた。船員が真見を見下ろして確認すると慌てて船首せんしゅへ駆け出していく。


「そのまま動かないで!すぐに引き上げるから!」


 真見が答える代わりに少年が腕で大きな丸を作る。船のエンジン音が止まり、船が停止したのが分かった。その間イルカのロボットにしがみつきながら不安そうに船を見上げる。


「大丈夫。もうすぐ助けてもらえるから」

「ありがとう……ございます。この、イルカって……」

「こいつは海洋生物探査ロボットけん救助用ロボット『シー・リサーチャー』だよ」

「バイオミメティクスのロボット……。初めて見た」

「僕はクロって呼んでる」

「クロ……?」


 真見はほんのり熱を感じるイルカの頭をでた。するときゅるると本物のイルカのような鳴き声をあげ、思わず笑みがこぼれる。

 バイオミメティクスロボットとは生き物の特性を模倣して作られたロボットのことだ。生き物のそのものをかたどっているものもあれば生き物の性質だけを生かしたものとがある。飛行機ももとは鳥の翼を模したものだし、ハスの葉の撥水性はっすいせいがレインコートやヨーグルトの蓋に利用されたりしている。

 生物そのものをかたどったロボットを初めて目にした真見は不思議そうに見下ろしていた。

 数分と経たないうちに真見は船員たちによって船のへりに取り付けられた登り階段に誘導され、引き上げられた。


「大丈夫ですか?」

「……はい」


 真見は甲板かんぱんの人々の視線を避けるように顔をうつむかせる。


「そこの君は⁉」

「僕はこのまま島に戻ります」


 よく通る声で答えるとそのままクロの背びれを掴んで上体じょうたいを預けた。少年の姿はみるみる小さくなっていく。真見は呆気あっけに取られてその後ろ姿を見送る。


(名前……聞かなかったな。イルカの名前は聞いたけど)

「あの子、よく島の周辺を泳いでいる子じゃないか?シー・リサーチャーの試運転に協力してるっていう……」

「確か君だったっけか?あの野生児だったら大丈夫か……」

(ヨシ君……)


 船員たちの言葉から感じ取れるよしという少年の印象は不思議なものだった。信頼しているようでもあるし、呆れているようでもある。それはそうと命の恩人の名を知ることができて真見は満足した。


「お名前は?今日はどこから?」

「えっと……。神野真見かんのまみです。今日は東京から来ました……」


 真見は鼻声でしどろもどろ答える。多くの人に囲まれ体を強張こわばらせているところに凛とした声が響き渡った。


「これ。貴方のでしょう?」

「……あ」


 ノースリーブに黒いキャップを目深にかぶった女性が仁王立におうだちしていた。あの時声を上げてくれたあの女性に違いない。手には真見のリュックサックが握られている。


「はい、私のものです。……ありがとうございます」


 女性は黙って側に居た船員に荷物を引き渡す。何とかネームプレートを確認しようとするが肝心の名前の部分は胸ポケットに収まっていて分からない。


「あ!あの……」


 女性はそのまま人混みに消えてしまった。


「他に痛むところはある?」

「いえ……」


 真見はそのまま船内の救護室きゅうごしつに誘導される。








 

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