第8話 気づいてた

「迷惑かけんように、早く帰りやって、萌に電話しとくわ」という母親に、

「いや、久しぶりに顔も見たいし。ええよ」

 答えて、僕は帰路についた。


 まさかな、とは思っていたけど。

 部屋のカギを開けるころには、僕は、半ば確信のようなものを持っていた。

 鍵をあけながら、言う。

「ただいま~」

「おかえり~!!」

「おかえり~!!」

 やっぱり。

 僕の、ただいまの声に、同時に2人分の声が答える。

「おかえり、大ちゃん」と萌。その続きを受けて、

「合宿楽しかった?」と麻ちゃん。

「……やっぱり。二人でしゃべってたん?」

「うん!」

「うん!!」

 声が重なる。麻ちゃんの声は、いつも以上に嬉しそうだ。

 洗面所で手を洗い、リビングに戻ると、萌が言う。

「大ちゃん一人暮らし始めてから、全然、自分から連絡してけーへんし。さみしがりのくせに、どないしたんやろ、ってめっちゃ不思議に思っててん。」

「そうかぁ? ……そんな不思議か?」

「そうやで。『大ちゃん一人やったらさみしいし、遊びにおいで』って、いつ言うてくるかと待っとってんから」

「ごめんごめん。心配してくれててんな」

「ほっといたら、大ちゃん、ちゃんとご飯食べへんし、自分の好きなもんだけ食べて

おわりにするし。麻さん、大ちゃん、ちゃんと野菜食べてる?」

 後半、萌は、麻ちゃんに話しかけている。

「食べてる、とは言い難い感じやねえ。野菜ジュースは飲んでるけど」

 麻ちゃんの言葉が、萌につられて、かなり関西弁っぽくなっている。

 萌は、(あたしは、あらゆる言語の中で、関西弁が一番好きやねん。世界中のどこに行ったって、関西弁でしゃべるで。世界中に関西弁広げたるねん)

 と常日頃言ってるだけあって、その圧が強いのか、会話する相手も知らず知らずに

萌の関西弁に引きずられる。

 去年大学に入学して、他府県出身の友達も増えたらしいけど、彼らもみんな、出身地に関わらず、萌につられて、今はほとんど関西弁を話しているという。

「ほらな、ちゃんと野菜摂ってるやろ」僕が、得意げに言うと、

「ジュースだけではあかん。ちゃんと、野菜料理もせな」

 萌は、手厳しい。


「ところで、それはともかく」と僕は言う。

 僕が帰ってきてから当たり前のように、3人の会話が始まってるけれど。

「お二人は、いつから……?」 

「大ちゃんが出かけた後、9時過ぎかな? 萌ちゃんが来て」

「で、あたしが話しかけた」と萌。

 え? 話しかけた?

「そう。玄関開けて、こんにちは~って言うたあと、

(あの~、聞こえますか? あたし、大ちゃんの妹の)って話し始めたら」

「萌ちゃん、でしょう? って、私が思わず返事しちゃったの」

「で、そこから、めっちゃ、いろいろおしゃべりして、今に至る」

「なんで……。なんで? 萌、自分から話しかけたって?」

 驚きだ。僕は、萌どころか誰にも、麻ちゃんの話はしていない。

 この部屋を借りるにあたって、不動産屋の営業マンから聞いた話も、何もしていない。

 引っ越しの日に一度来ただけなのに、萌は麻ちゃんの存在に気づいていたのか!

「あのさ、引っ越し手伝いに来た日に、和兄も私も、妙にこの部屋、居心地がいい

っていうてたやろ? 和兄はそれ以上は何も思わんかったみたいやけど。私は、きっと誰かいてはるなって思っててん。でも、なんか悪い感じはせーへんし、様子を見てようと思って、何も言わんへんかってんや。そしたら、ほんまに、さみしがりの大ちゃんが、自分からなんも連絡もしてけーへんぐらい、ご機嫌で毎日暮らしてるみたいやし、これは何かあるな、と思って」

 で、確かめに来たのだという。

「で、来るなり、自己紹介して。お互い話が弾んで、ね~」

「ね~」 

 麻ちゃんの声が笑いを含んでいる。

 2人とも、外国語が大好きで、それぞれ専攻言語は違うものの、趣味で勉強している言語も同じだったり(韓国語だ)して、ふたりで、ところどころ、韓国語や英語での会話に切り替えたりして遊んでたらしい。当然、K-POPや韓国ドラマの話にもなったり。

「なんぼでも話題が湧いてくるねん」

「だから、あっという間に時間が過ぎて……」 と、麻ちゃんが笑う。


 僕が着替えをしにとなりの部屋へ行き、カバンから出した洗濯物を洗濯機に放り込んだり、こまごまとした用事をしている間、2人はまたおしゃべりに夢中だ。

 今の話題は、『Hidden Figures』 (邦題)ドリーム という映画についてだ。ついこの間、テレビで、麻ちゃんと僕が観た映画だった。萌もちょうどその映画を観ていたらしい。

 ケネディ大統領の時代、ソ連との宇宙開発競争の激しかった頃、NASAで計算係として働いていた女性たちを描いたもので、当時の社会や職場において人種差別、男女差別が根強い中で、あきらめることなく粘り強く学び続けた女性たち。その優秀さとひたむきさ、そして、有人ロケットの打ち上げの成功を目指した人々の必死の努力が熱く描かれていて、途中から見始めた僕らも、ぐいぐい惹きこまれた映画だった。

 中に、こんなシーンがあった。

 その優秀さを認められて就いた職場で、たびたび長い時間席をはずしている黒人女性がいた。あるとき白人の男性上司が、雨でずぶぬれになって外から戻ってきた彼女に、なぜ、そうしょっちゅう席をあけているのだと問うたとき、彼女は答える。

トイレに行っていた、と。

 怪訝そうにする彼に、彼女は言う。

「There is no bathroom here!」(ここには、トイレがないんです!)

 当時のNASAでは、非白人用のトイレは、外に出て、800メートル離れた別の建物まで行かなきゃならなかったのだ。

 そのことを初めて知った上司は、

 トイレの、白人用、非白人用、という表示を叩き壊してはずし、どこのトイレを使ってもいい、自分の席に一番近いトイレを使え! と、計算係として働く、黒人女性たちに告げる。

 また、あるときは、女性たちが素晴らしい案を提案しても、受け入れてもらえなかったり、受け入れてもらえても、彼女たちの名前は提案者として記載されなかったりすることがあった。

 そんな中でも、あきらめることなく、学び続け、実力をつけ、ちゃんとした成果を

残していく彼女たちの姿がとてもカッコよくて、ぼくらはとても感動した。

 映画のストーリーだけでなく、麻ちゃんは、

「ああ、この映画のこと知ってたら、授業で、There is ~. There is no~. のところ

やったとき、このシーン使ったのに……!」 と残念がってもいた。

 他にも、(ああ、このシーンも見せたかった、この表現もいい。)とつぶやいて。

それで、今、萌とも、それらのシーンの話をしている。萌は、今、塾講師のアルバイトをしていて、担当は英語だ。なので、麻ちゃんと、英語の授業の話でも盛り上がっている。

 僕は、横で、資料を読みながら、ときおり参加しつつ、2人の会話をきいていた。

 力いっぱい話しまくった後、お茶を飲んで一息ついた萌が、悔しそうに言った。

「それにしても、誰もが手にしていて、あたりまえの権利やのに、人生かけて闘わんな手に入らへん、ということがあまりに理不尽やと思う!」

「ほんまやね」 

 麻ちゃんが同意する。僕もだ。

 あきらめない心。涙ぐましい努力。

 ひたむきな思いで、粘り強く取り組み続け、道を切り拓いていく。 

 その姿に、僕らは胸を打たれる。

 そして、それほどに、打ち込めるものに出会った人たちに憧れを感じる。でも、それと同時に、当たり前に認められるべき権利が認められていなかった、その、あまりの理不尽さも、僕らはその映画から強く感じたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る