後編
その日彼と見た映画は、ありきたりな青春ラブストーリーで、物凄くつまらなかった。元々僕は、ラブストーリーも青春物も好きではない。まともな青春時代を送らなかったし、まともな恋愛もしてこなかったから、心が捻くれているのだ。ベッドシーンがしつこくて呆れたとか、そんなクソみたいな感想しか出てこない。
それでも付き合うのは、相手が彼だから。つまらない映画をキラキラした表情で見る彼が好きだから。それを見るために、決して安くはない映画代を支払う。我ながら馬鹿みたいだなと、映画の感想を語る彼を見ながら思う。
ちなみに、ベッドシーンが流れている間、彼はずっと顔を隠していた。そのことで揶揄ってやると彼は「だってちょっとしつこかったし」とごにょごにょ言い訳しながら顔を逸らした。
「動じすぎだろ。童貞じゃあるまいし」
「君が動じなさすぎなんだよ……」
「女が乱れてる姿には慣れてるし」
「もー! すぐそういうこと言う!」
「はははっ」
話していると、ふと見覚えのある後ろ姿が目に止まる。
「……麗音」
「ん?」
「タバコ吸ってくるから金払っといて。よろしく」
「えっ。ちょっと? もー……」
彼に支払いを任せて店を出て、タバコに火をつける。見間違いでなければ、あの店には元カノが居た。高校生の頃に付き合っていた歳上の元カノ。好きな男性が出来たからという理由で僕をフッた元カノ。男性と一緒だった。見間違いかもしれないが、あまり長居はしたくなかった。
支払いを済ませて出てきた彼は「帰る?」と僕に問いかける。この後は服を見に行きたいと彼は言っていたが、きっと、僕の不自然な態度から何かを察しての気遣いだろう。
「……服見たかったんじゃないの」
「うん。けど、いつでも見れるから今日じゃなくても良いかなって」
行こうと差し伸べられた手は取らず、家の方に向かって歩き始める。彼は僕の後を追いかけて、隣に並んで歩く。行きは握ってきたくせに、帰りは触れようとすらしない。
「……君が嫌なわけじゃない」
分かっているとは思うが、それだけは言葉にしておきたかった。
「うん。帰ったら話聞くよ」
「……歩きながらで良い。聞いて」
「分かった。じゃあどうぞ」
歩きながら彼に話す。彼女のこと、殺したいほど憎んだこと、男性を好きになる女性が憎かったこと、男性を好きになった自分をまだ許せていないこと——。
彼は歩きながら黙って聞いていた。何も言わず、口を挟まず、真剣に。話終わった後も「辛かったね」なんて言わない。「そっか」の一言だけ。同情も共感も要らないことを彼は分かってくれている。だから安心して全て話せてしまう。
「うん……そう。聞いてくれてありがと」
お礼を言ったその時だった。
「リクさん!」
懐かしい名前が聞こえて、思わず足を止めてしまった。足音が近づいてくる。すると、彼が振り返り、僕の背を庇うように前に出て言った。
「姉の知り合いですか?」
足音が止まる。しばらくして「人違いでした」と言う声が聞こえて、足音が遠ざかっていく。
「……居なくなったよ。海。もう大丈夫」
そう言って彼は僕の隣に戻ってきて、指を絡めた。しかしすぐにハッとして、謝りながら手を離す。離された手を捕まえて、彼に問う。
「……なんで、姉なの」
恋人になってくれと言ったのはそっちなのに。好きになったのはそっちなのに。僕はもう、男性である彼を愛すると受け入れたのに。恋人だと、堂々言ってくれてよかったのに。
もやもやする僕に、彼は答える。
「妹より姉の方が自然かと思って。俺、童顔だし。背低いし。海の方が大人っぽいし」
それは欲しい答えではない。彼も分かっているはずだ。
「いや、そうじゃなくて。……恋人でしょ。僕らは。兄妹のふりする必要がどこにあるんだって話。変な気使わないでよ」
すると彼は質問には答えず、質問で返す。
「……リクって、海の源氏名?」
「……そうだよ。
「適当だなぁ」
「なんでも良いだろ。名前なんて。この見た目だからあんまりキラキラした名前は似合わないし。そんなことより、質問に答えてよ」
彼のことだから、何かに配慮して姉弟設定にしたのだろう。僕が未だに男性を好きになったことに対して罪悪感があると言ったから? そう問い詰めると彼は首を振って言った。「嘘にしたくなかった」と。
「嘘?」
「……お客さんの中にもさ、当事者はいっぱいいたでしょ?」
「まぁ、うん」
「海のことだから、そういう人の悩みをたくさん聞いてたと思うんだ。『自分もレズビアンだから、案外いるから、大丈夫だよ』なんて言って。……それが希望になった人が、きっと居ると思う」
そこまで聞けば、嘘にしたくないという言葉の意味は理解出来た。気を使った相手は僕ではないことも。が、口を挟まずに続きの言葉を待つ。
「君は、営業のためにリップサービスでたくさん嘘をついただろうし、お客さんもそれは気づいてると思う。というか、海のことだからはっきり言ってそう。勘違いしないように気をつけてねって」
確かに言ってた。流石幼馴染なだけあって、僕のことを理解し尽くしている。いや、ここまで彼が僕のことを理解しているのは幼馴染という理由だけではないだろうけど。
「でも……レズビアンであることだけは、嘘だと思ってほしくなかったんだ。だから恋人とは言えなかった。同性愛は治療すべきものだって考えの人が世の中には居て、そういった人達に傷つけられてきた人からしたらきっと、レズビアンだと言ってた君がレズビアンじゃなかったらショックだと思うから。いや、実際はレズビアンなんだけど。けど……俺と付き合ってたら、嘘だったんだって思うのも無理はないからさ……だから、知らないままの方がいいと思った」
やはり彼は優しい。呆れるほどに。普通、あの一瞬でそこまで考えるだろうか。
すると、彼は言った。「ずっと君を見ていたからね」と。
「僕?」
「うん。君が——君達が傷ついてきたところを、俺はずっと見てきた。……だからだよ。あんな悲劇は、もう二度と繰り返してはいけないから」
去年の11月22日、二人の女性が心中する事件が起きた。二人は僕と彼の同級生だった。彼の言う悲劇というのはそのことを指しているのだろう。
あれからもうすぐ一年が経つ。きっと世間はもう、忘れかけている。だけど僕は死ぬまで忘れない。忘れられるわけがない。二人と約束したのだから。生きて、希望を振り撒き続けると。その約束はきっと、彼が居なかったら果たせなかっただろう。彼が居なかったらそもそも生きる希望なんて持てなかったから。
「……ごめんね。余計な気遣いだった?」
「……ううん。ありがとう。ごめん。僕はそこまで気が回らなかった。……ちょっと、動転してた」
「そりゃするよ。恋に狂った人間って何するかわかんないもん」
「……仮に刺されても僕は構わない。自業自得だから」
「言うと思った。けど、そうなったら俺はきっと、君を庇って死ぬよ」
「だろうな」
「嫌でしょ」
「……ずるいな君は」
「君に言われたくない」
刺されて殺されても構わない。そう口では言えても、怖かった。リクと呼ばれたあの瞬間、足が動かなくなった。
「……ありがとう。守ってくれて」
「どういたしまして。……ちゃんと、分かってるよ。君が俺との関係を隠したいとは思っていないこと」
「……うん。なら良い」
「愛してるよ。海」
そう言って彼は僕を抱きしめた。その温もりで恐怖は一瞬にして溶かされるが、気恥ずかしさに耐えられず、突き飛ばし、先を歩く。
「そういうのは帰ってからにして」
「帰ったらしていいの?」
「良いよ。抱いてあげる」
「えっ。あ、い、いや、ハグだけで……」
「遠慮すんなよ」
「いや、遠慮とかじゃなくて……」
「……あぁ、言うの忘れた」
立ち止まり、振り返って彼を抱き寄せて耳元で囁く。
「僕も、愛してる」
耳にわざとらしくリップ音を残してやると、彼はびくりと飛び跳ねた。
「先にしたのはそっちだろ」
「俺そこまでしてない!」
「うるさいなぁ。早く帰るよ。ほら、手」
重なった手を離さないようにしっかりと握りしめて、家の方に向かって歩く。
「この先、君には死ぬまで付き合ってもらうから。嫌だとは言わせないよ」
「言うわけないじゃない。むしろ望むとこだよ。死ぬまでと言わず、来世までお付き合いさせていただきますよ」
「いや、来世は遠慮しとく。どっか遠い国で生まれて一度も僕に関わることなく死んでくれ」
「ひ、酷い!」
そうは言ったものの、保育園児の頃からずっと一途に僕を想い続けた彼が転生したくらいで諦めるとは思えない。きっと来世も一緒にいることになるのだろう。そうなれば良いとは彼には言わない。言ったら調子に乗るし、言わなくたってきっと彼には伝わってしまっているから。
夢の続き 三郎 @sabu_saburou
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