第二十九話 完全無欠の生徒会長とナンパです


 夏休み中盤。


 本日――鞘と小花、鞘の友人達とプールへとやって来た緑。


 皆でプールを堪能していた中、鞘がウォータースライダーに乗ってみたいと言い出した。


 階段を上がり、スタートの入り口へとやって来た鞘と緑。


 ちなみに、皆で二人組ずつを作って乗ることになったのだが、自然と鞘と緑がコンビになった。


「おお……結構、高いな」


 入り口から眼下が一望出来るのだが、改めて立ってみると、かなりの高度だ。


 しかも長く、結構曲がりくねった激しいコースが予感できる。


「これは……かなり怖いかもな」

「う、うん」


 緑の問いに、鞘もガチガチになりながら答える。


 どうやら、彼女も若干怖がっているようだ。


「はい、カノジョさん、カレシさんにしっかり掴まって下さいね。あ、当然浮き輪も離さないでねー」


 入り口の女性スタッフにそう言われるが、鞘も緑も「は、はい」としか返さない。


 いちいち訂正している余裕すら無くなってしまった。


「では、行ってらっしゃーい」


 かくして、大型の浮き輪(と言う名のゴンドラ)に腰掛け、鞘と緑は激流に飲み込まれた。


「う、おおお!」

「きゃああ!」


 流されるや否や、右へ左へと体が振り回される。


 これは、凄い。


 正直、子どもの頃に乗ったウォータースライダーレベルだと舐めていたが、ジェットコースターと変わらない。


 いや、まるで激流の川下りだ。


「さ、鞘! しっかり掴まってろ!」

「お兄ちゃん!」


 緑が叫ぶと、鞘は緑の頭に腕を回す。


 必然、鞘の胸に緑の顔が埋まった。


「わぷ!」


 それだけに留まらず、両足も緑の片足に巻き付け、ぎゅうっと全力で力を込める。


 鞘に抱きつかれるのは日常茶飯事と化していたとは言え、普段以上に薄着での密着である。


「お兄ちゃん! 怖い! 怖いよぉ!」


 両目を瞑り、涙を浮かべながら、鞘が叫ぶ。


 いつも以上に子どもになっている。


 しかし、長い。


 予想以上に、終わりまでの時間がかかる。


「あ!」


 しかも、そんな状態で体を振り回されていたので、緊急事態が発生する。


 鞘の水着の上の方が、若干ずり上がってきているのだ。


 緑の目の前、至近距離にて、ふわふわの布地中から、彼女の胸の下部分がこぼれそうになっている。


「さ、鞘! 水着! 水着!」

「おにいちゃ~~ん!」


 緑が叫ぶが、鞘はもう幼児退行を起こしすぎて聞こえていない!


 必死に、緑に引っ付いている。


 その時だった。


 二人の乗った浮き輪が、ザパーンと水面に着水した。


「はい、お疲れ様でしたー!」


 と、ゴールのスタッフの声が聞こえる。


(……ええい!)


 緑は水しぶきが上がって視界が確保できない内に、鞘の水着をグッと下に引っ張って直す。


「楽しかったですかー?」

「え……ええ、まぁ」


 水しぶきが晴れ、ゴールのスタッフにそう笑顔を向ける緑。


 なんとか、危機は脱出できたようだ。


 しかし――。


「……さ、鞘?」

「お客様ー……もう、ゴールしましたよー? 大丈夫ですよー?」


 鞘は、しばらく緑に抱きついた姿勢で、震えて顔を上げられずにいた。




 ―※―※―※―※―※―※―




「……め……面目ない、お兄ちゃん」


 ウォータースライダー終了後。


 プールサイドのテーブルに座り、鞘が反省している。


 恐怖のあまり、緑に「だっこちゃん」の如く抱きついて動けずにいた。


 そんな姿を、他の多くのお客さん達にも見られてしまった。


 恥ずかしさと、まだ体の震えが取れず、鞘は一旦休憩させてもらうことになったのだ。


「気にするな」


 付き添いの緑が、反対側から言う。


 ちなみに、他のメンバー達には気にせず遊んできて欲しいと言ってある。


 小花達は鞘を気に掛けながらも、温泉プールの方へと向かっていった。


 ここには、今、二人きりだ。


「あんな恥ずかしい姿を見せてしまって……もう、表を歩けない……」

「だから、大丈夫だって、気にしすぎだ」


 緑は立ち上がり、鞘の頭を撫でる。


「でも……楽しかっただろ?」


 そう緑が問うと、鞘はチラッと視線を上げる。


「……う、うん」


 恥ずかしそうに言って、鞘は立ち上がった。


「ちょ、ちょっとお店でアイスを買ってくる。お兄ちゃんの分も買ってくるから、待ってて」


 火照った頭を冷ましたいのか、緑の顔を直視できなかったのか。


 鞘はそう言って、売店の方へと向かっていった。


 その後ろ姿を、緑は微笑ましく見送る。


「さてと……俺も、ちょっとトイレに行てくるか」




 ―※―※―※―※―※―※―




「……ん?」


 トイレへと向かい、用を足し。


 そして、帰ってくる途中のことだった。


「あの、困ります。友達も一緒に居るので……」


 聞き覚えのある声。


 見ると、両手にアイスを持った鞘が、二人組の男達に声を掛けられていた。


「まさか……」


 と、緑は思う。


「じゃあさ、その友達も一緒に遊ぼうよ」

「俺達、プール以外にも面白いところ知ってるから」


 会話の内容が聞こえてくる。


 やっぱり、ナンパだ。


(……まさか、本当に起こるとはな……)


 考えると同時、緑は男達と鞘の間に入っていた。


「あ、おに……ええと、国島先輩」

「すいません。彼女、僕のツレなんです」


 男達に対し、緑は毅然とそう言い放つ。


「え……カレシ?」


 と、二人組は驚き顔を浮かべている。


「はい、カレシです」


 この場を治めるため、緑はそう言い放った。


 そして、背後の鞘に、話を合わせるようにと目配せをする。


 鞘は、緑が恋人を名乗った事にビックリしているのか、目を見開いて頬を染めていた。


「なので、すいません。他を当たって下さい」

「ほ、本当に? だってその子、さっき、友達と一緒に来たって……」


 ナンパ師達も、簡単には引き下がらない。


 どうやら、向こうも緑の発言が嘘なんじゃないかと疑っているようだ。


 多分、そういう対応に何度も遭ったことがあるのだろう――熟練のナンパ師である。


「ええ、本当です。では、これで……」

「いや、でもなぁ……」

「本当に? 本当にカレシ?」


 中々しつこいぞ、この男達。


 まさか……単純に緑を見て、鞘のカレシには見えないと思ってるのでは?


 だとしたら、随分失礼な疑いである。


(……でもまぁ、当然か)


 と、その一方で緑は思う。


 こんな平々凡々な男が、こんな美人と恋人など、考えられない。


 それが、第三者から見た緑と鞘に対する印象なのだろう――と、緑は改めて納得した。


 しかし――。


「……鞘?」


 そこで、緑は気付く。


 振り返って見た鞘の顔が、どこかムッとしていることに。


「ねぇ、キミも。本当に彼、キミの恋人なの?」

「本当です」


 男に問われた鞘が、そうハッキリと答える。


 そして、瞬間。


 ――鞘は、緑の頬にキスをして見せた。


 行き交う人々も、思わず足を止める。


「彼は、私のカレシです」


 その場の時間が、停止する。


 鞘の熱烈な行動に、ナンパ師達もビックリしている。


(……と、ともかく、今だ)


 そこで正気を取り戻した緑が「それじゃあ!」と叫ぶ。


 ポカンとしている男達を置き去りにして、二人は逃げた。


 そして、なんとかプールサイドのテーブル席へと帰還を果たした。


「な、なんとかごまかせたけど……」


 緑は、鞘を見る。


 鞘も、何とも言えない表情になっている。


 首まで真っ赤になった顔。


 逃げ切れた安堵と、大胆な行動をしてしまった恥ずかしさ。


 それと、どこか……先程の光景と、発言を思い出し、ドキドキしているように、口の両端が持ち上がっている。


「鞘……ちょっと、やりすぎ」

「ご、ごめん、お兄ちゃん……なんだろう、あの人達が全然信じてくれないのが、その……ちょっと、嫌で……」


 その時だった。


「せんぱい?」


 振り返ると、そこに小花がいた。


「小花、帰って来てたのか?」

「いや……会長とせんぱいの様子を見に来たら、いなくなってたので……どこに行ったんだろうって探してたら、さっきのナンパの現場に居合わせて……」

「……え?」


 どこかドキマギ……いや、困惑、混乱している顔をしながら、小花は言う。


「さっきの、あれ……」


 これは――小花にも、あの現場を見られたということだ。


「会長、せんぱいのほっぺに……」

「いやいや、小花! カオモフラージュだよ!」

「そ、そう! 恋人のフリをするために、演技でやっただけだ!」


 と、焦って弁明する二人。


「あのナンパ師達がしつこかったから! いや、俺も驚いた! 鞘さんの行動力と発想と決断力と演技力に度肝を抜かれた!」

「そ、そうだったんですか……」


 必死に捲し立てる緑に気圧され、小花もそう返すしか無い。


 しかし、少なからず納得はしてくれたようだ。


「……っていうか、せんぱい! 演技とはいえ会長にキスさせるとか何やらせてるんですか!? こんなの極刑レベルの不敬ですよ!?」

「そ、そこまで言うか……わかってるよ、反省してる」

「だ、大丈夫だ、小花さん。私は気にしていない!」


 何故か怒っている小花と、反省する緑。


 そんな二人を前に、鞘が慌てふためき言い放つ。


「お兄ちゃんの頬にキスするなんて、もう慣れたものだから!」


 ………。


 再び、時間停止。


 何度時間停止するのだろうか、今日は。


「……あ、あああああ、違う! 慣れたものというのは、国島先輩を兄として見るのはもう慣れたものということで、だから普通の男性に対するような意識はしていないという意味で、普段からチューばかりしているというわけではない! 言葉の綾だ!」


 慌てて弁明する鞘。


「すまん、小花。鞘さんも、ナンパされて少し混乱してるみたいだ。話半分で聞いてあげてくれ」


 と、緑がそんな彼女をフォローする。


「あと、この件をあまり面白おかしく茶化すのは、よして欲しい……頼むぞ」

「は、はい、わかりました……」

「おーい、鞘さーん」

「気分はもう大丈夫?」


 そこにタイミング良く、鞘の友人達も戻ってきた。




 ―※―※―※―※―※―※―




「あー、楽しかったな。しかし、結構疲れた」


 はてさて、色々なドタバタはあったものの。


 その後、閉園時間を迎える前まで、皆で一通り遊び通し――緑達は、プールを出た。


 帰りの電車で、出発の時の待ち合わせ場所にも指定した駅に到着すると、そこで解散。


 今は、緑と鞘、二人だけの帰り道。


「うん、楽しかった」


 鞘はそう言って微笑みを浮かべる。


 緑と同じ気持ちだと、そう伝えるように。


「でも、鞘がナンパされた時には焦ったよ」

「うん、私も初めての経験だったから、どうしていいのかわからなくて……」


 今まで、あまり友達と外出したり遊ぶ機会の無かった鞘。


 これから新たに体験し、わかっていくことが多くあるのだろう。


 その手始めがこれだ。


 開放的な場で遊ぶとなれば、鞘のような美人は男が放っておかないということである。


 今日の男達はまだ物腰柔らかだったが、中には無理強いをしてくる連中もいるだろう。


「お兄ちゃん……」


 そこで、鞘がおずおずと言う。


「もしも……もしも、また男の人に声を掛けられるような事があって、そこにお兄ちゃんがいたら……あんな風に、演技してもいい?」

「あんな風に……」


 つまり、頬にキスして恋人だとアピールする、ということ。


「まぁ、効果はあるだろうけど……」


 そこで緑は、ちょっと顔を俯かせている鞘を見遣る。


「……それは、鞘がやりたいだけじゃないのか?」

「!!! そ、そそそそそ、そんなことないもん!?」


 図星を突かれたのか、凄く慌てる鞘。


 そんな彼女を、緑は呆れ半分、愛しさ半分の笑顔で見詰めていた。




―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―




 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。


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