第二話 完全無欠の生徒会長との夕食
「………」
――学校。
休憩時間。
緑は、窓際の席の鞘の姿を横目で眺めていた。
現在彼女は、仲の良い学友達に囲まれ楽しそうに会話をしている。
男女問わず、誰に対しても隔てなく接するその聖人君子然とした姿は、今日まで何度も見掛けたものだ。
日常は変わらない。
昨日、自分と彼女は本当に家族になったのか――と、疑ってしまうほどに。
鞘は皆の中心、輝かしいスーパースター……。
「せーんぱい、国島せんぱい、何見てるんですかー?」
そう隣の席から声をかけられ、頭をぺむぺむと叩かれる。
一方の緑は、今日も生意気な後輩(同級生)の小花こはくに絡まれる哀れな留年生である。
「せんぱい、そういえば今日発売のジャンプ読みました? ジャンプ。あの新連載、絶対に十週で打ち切られますよ」
「いや、読んでないけど……なに、そんなにつまらなかったの?」
「うーん、絵は上手いんですけど、ストーリーがいまいちというか……」
そこで小花は、「あ、そうか!」と言って手を叩く。
「主人公がせんぱいとそっくりなんですよ! 同じオーラを感じるっていうか、冴えないっていうか! 悲壮感のある顔っていうか!」
「誰が十週打ち切り顔だ」
そんな感じで、小花にウザ絡みされる緑。
他のクラスメイト達は、そんな緑達を遠目に見ている。
苦笑を浮かべ、話題の種にしている者もいる。
(……たとえ、静川鞘と家族になったとしても、俺の日常は変わらないな)
いや、むしろ、彼女に迷惑を掛けないためにも、家族になった事は絶対に秘密にしておかないといけない。
そう、緑は考える。
その時だった。
「ねぇねぇ、静川さん。今度暇な時ってある?」
鞘と会話をしていたクラスメイトの一人――チャラついた軽い性格の男子生徒が、意気揚々と鞘に絡んでいる。
何やら話が盛り上がって、テンションの上がったその男子は、鞘を遊びに誘おうとしたのだろう。
そこで、その男子が、鞘にボディタッチをしたのだ。
「あ……」
ぽんっ、と肩に手を置く程度の簡単なもの。
しかし、それに対し鞘は、ひるんで身を硬直させた。
「ちょっと、あんた何してんの!」
「鞘さんに気安く触らないで!」
瞬間、その男子生徒は他の女子達から総攻撃を受けることになる。
鞘も慌てて「い、いや、私は大丈夫だから……」とフォローを始める。
「あーらら、フルボッコっすね。会長、男が苦手だって有名な話なのに」
その光景を見て、小花はクスクスと笑う。
(……静川鞘、男に触られるのも苦手なのか)
確かに、長年母親と二人で生活していたようだし、男慣れしていないのかもしれない。
その点にも一層考慮し、気を付けなくては。
緑は、そう内心で思った。
―※―※―※―※―※―※―
――放課後。
緑は、自宅へと帰ってきた。
鞘は当然まだ帰って来ていない。
生徒会活動や部活と、多忙の身だからだ。
「ふぅ……」
緑は、自室のベッドに寝転がる。
……そして、ふと、今日の学校での光景を思い出しながら、思考を巡らす。
(……鞘と自分では存在に差がありすぎる)
自分は浮いた存在。
そういう扱いを受けても、仕方がない人間だ。
――緑は、約半年前に暴行事件を起こしている。
夜の繁華街で、数名のならず者の男達と喧嘩となり、その内の一人に関しては後頭部をブロックで殴打し重傷を負わせてしまったのだ。
当時の同級生が開催した、他校の女子との遊び――言わば合コンごっこのようなもの。
それに無理やり参加させられたものの、いまいち乗り切れなくてそそくさと撤退した、その帰り道でのことだった。
そして、しばらく停学処分を受け、最終的には留年となったのだ。
事実を知るのは一部の人間だけだが、当然、噂は流れる。
暴力事件を起こした落第者――それが自分だ。
「………」
けれど、その認識に対して少し言い訳をさせて欲しい。
正確には、あの時緑は、その男達に襲われている女子高生を助けようとしたのだ。
夜の暗闇でハッキリとは見えなかったが、確かに緑と同じ学校の制服を着ていた。
顔や姿はいまいち判然としていなかったが、上げた悲鳴や服装から女子だとわかった。
あんな深夜に、繁華街にいる女子生徒だ、あまり素行の良い娘ではなかったかもしれない。
緑が男達ともみ合いになった際、すぐに逃げていったため、その女子生徒の正体は不明だ。
自分の境遇は自業自得、諦めるしかない……まぁ、不意に思い出して落ち込む日もあるが。
それでも、逃がした女子生徒には無事でいて欲しいと願っている。
変な噂が流れないためにも、この事実だけは黙っていよう。
そう思って、緑は真相を父親にしか話していないのだ。
―※―※―※―※―※―※―
「……ん」
どうやら、うたた寝をしてしまったようだ。
時計を見ると、夕方の6時半。
「はあ……」
ベッドから起き上がり欠伸を発した後、緑は自室を出てリビングへと向かう。
「……あ」
「お帰りなさい、いや、ただいまかな」
すると、リビングに鞘が帰って来ていた。
ソファに腰掛け、ティーカップに注がれたお茶を飲んでいるようだ。
「ああ……帰って来てたのか」
緑は自然な態度を心掛けながら、鞘の反対側のソファに腰掛ける。
「お茶、淹れようか?」
「あ……じゃあ、お願いしようかな」
鞘はキッチンに向かうと、ティーポットに緑の分のお茶を準備し、カップと一緒に運んでくる。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
そして、鞘も自身の座っていたソファへと戻った。
「………」
「………」
緑の父は多忙な会社員で、いつも帰りが遅い。
なんなら、会社や近くのホテルに泊まったりする事も多く、今までもあまり家にはいなかった。
で、今回再婚した相手の女性――未来さんも似たような立場らしく、家に帰るのが遅い、もしくは数日空けることもあるのだという。
(……つまり、この家では静川鞘と二人きりになる時間が多くなる、ということで……)
目線を泳がせながら、緑はあれこれと思考を巡らす。
なんとなく、落ち着かない。
二人でこうして向かい合ってみても、どう会話をしていいのかわからないものだ。
「……ふふっ」
そこで、鞘が微笑んだ。
「なんだか、緊張しちゃうな。正式に家族になったとは言え、同級生と一つ屋根の下で暮らすことになるなんて」
「あ、ああ」
緊張を解きほぐそうと、当たり障りの無い会話を始めてくれたのかもしれない。
緑も、その話題に乗る。
「俺も、結構長い間親父と二人暮らしだったから、家に女の人がいたことほとんどなくてさ。だから、勝手がわからないというか」
「………」
そこで、緑は気付く。
鞘が、少し頬を染め、視線を自身の膝に落としている。
「……あ」
今の発言、昨夜のことを想起するのには十分な流れだった。
あの、脱衣所での光景を。
「ご、ごめん! 別にからかうとかそういうつもりは! っていうか、あれ自体本当に事故でわざとじゃないんだ! 信じてください!」
「そ、そんなに必死にならなくても大丈夫だよ」
必死で頭を下げる緑に、鞘も慌てて返事をする。
「信じるよ」
そう言って、微笑む鞘。
自然と、緊張感は解れていた。
緑も、最初に比べ気が楽になった。
何より、こんな自分にも優しく接してくれる鞘に好感度が上がらないはずも無い。
「でも、よかったよ、親父が再婚して」
折角淹れてもらったのだ――緑は、ティーポットからカップへとお茶を移す。
琥珀色の紅茶から、良い香りが漂い鼻腔をくすぐる。
「とても気の合う良い人だって言ってたし」
「うん、お母さんもそう言っていた」
「何はともあれ、幸せになってくれたら嬉しいよ。親父には、色々と迷惑掛けたからな。男手一つで育ててもらって、何より今年なんか留年……」
そこで緑は、鞘の表情が固まったのに気付く。
留年――というワードを口にしたことに、反応したのかもしれない。
おそらく、彼女もその話題についてはデリケートな部分だと思い、気に掛けてくれていたのだろう。
簡単に触れて、口にしていいのかわからない事。
何より、緑が留年した理由に関しては、噂話等でクラスのほとんどの人間も知っていて、当然、鞘も耳にしたことがあったはずだ。
あまり、良い印象は抱かれていないはずである。
「俺が留年した理由……知ってる?」
緑は、鞘にそう問い掛ける。
「……噂話程度には」
視線を逸らしながら、鞘は言う。
「真実がどうだったか、知りたくはない?」
緑は、そこで踏み込んで聞いてみることにした。
「俺が、実は事情があったんだって言い訳みたいなことを言っても……信じてくれる?」
「………」
彼女とは、嫌が応にも毎日顔を合わせる関係になってしまった。
となれば、少しでもわだかまりや、モヤモヤした印象は解消しておくべき……と、そう思った。
無論、自分が話した内容を信じてもらえるかはわからない。
暴力事件を起こしたのは事実だし、自分を擁護し良く見せたいがために嘘を吐いていると思われるかもしれない。
証拠も無いのだから。
それでも、勇気を出して、彼女に真実を受け入れてもらう可能性に掛けるべきでは――そう考えたのだ。
「国島先輩の、好きにするといい」
しかし。
「話したいのであれば、話してくれても構わない。逆に、不安があるのなら、言わなくても良い」
鞘は、そう真っ直ぐな目で答えた。
「噂は色々と聞くけど、どれが本当かわからない。きっと、国島先輩も、話をしても私が信じるかどうか、その点を不安に思っているはず。そして、私自身、絶対に信じると断言できる程、優秀な人間じゃない」
「………」
「ただ、これだけは言っておきたい」
鞘は言う。
「家族となった今、私は、噂や過去だけで国島先輩を悪人だと判断するつもりはない。一緒に生活を送る中で、“私の国島先輩”を知っていこうと思ってる」
「………ありがとう」
優しい。
本当に彼女は、完全無欠の生徒会長だ。
人格もよくできている。
だから一層、そんな鞘に迷惑は掛けられない――そう、緑は思った。
(……できるだけ、鞘の助けになるような事をしてあげたい)
こんな自分と家族になり、しかも気を使ってくれている。
なら自分も、家族として少しでも彼女に良い暮らしをしてもらえるよう努力したい。
両親は仕事の関係で家にほとんど帰ってこない。
緑と鞘、二人きりになることの多い家だからこそ。
「そろそろ夕ご飯にしよう」
そこで、鞘が立ち上がった。
「私が用意するから、少し待ってて」
「いや」
夕飯の準備に取りかかろうとした鞘を、そこで緑が制した。
「俺がやるよ」
「え?」
鞘は、学校では生徒会活動に部活動と、色々な分野で活躍している。
一日が終われば、当然、疲労も溜まっているはずだ。
帰宅直後、こうしてお茶で一服していたのも、その為だろう。
「一日頑張って、疲れてるだろ? 座っててくれ。夕飯は、俺が作るから」
「いや、そんな……」
キッチンへ向かおうとする緑を前に、鞘は慌てて立ち上がる。
「国島先輩、私達は家族なのだから、そんな理由で気を使わなくても――」
「その台詞、そのまんま返すよ」
緑は微笑みながら、冗談交じりに言う。
「俺さ、停学期間の間、色々と料理に挑戦してたんだ。だから、味は心配要らないと思う。会長の口に合うか、ちょっと挑戦させてくれよ」
「で、でも……」
「それに、家族っていうなら、一応、俺の方が年上なんだから」
言って、緑はさっさとキッチンへ向かう。
エプロンを装着しながら早速準備に取りかかる緑を前に、鞘もそれ以上は何も言えず、大人しくソファに戻ってくれた。
「さてと……」
冷蔵庫と食器棚を見回し、緑は材料を確認しながら何を作るか考える。
「……あれでいいか」
メニューが決まると、緑は手慣れた動きで料理を手掛けていく。
まな板の上で材料を刻むと、フライパンを火に掛け、バターを走らせる。
そして、刻んだタマネギを炒める。
飴色になってきたら牛肉を投入。
水とローリエの葉を入れ、丁寧に灰汁を取っていく。
そこにコンソメキューブを入れ煮込んだ後、市販のルーを投入する。
「これは……ハヤシライス?」
リビングの中に漂い始めた食欲を誘う香りに、鞘が気付く。
「正解」
緑が作っているのは、ハヤシライス。
但し、レシピ通り作る普通のハヤシライスではない。
市販のルーに加え、緑が独自に研究した隠し味を加えていく。
オイスターソース、ケチャップ、インスタントコーヒー……それに、牛乳。
分量を計算しながら、丁寧に溶かし込む。
そして出来上がったハヤシライスを平皿に盛り付けると、緑は食卓へと運んだ。
「どうぞ」
「良い匂い……」
目の前に出されたハヤシライスに、鞘は目を輝かせる。
「自分で偉そうなこと言って作っといてアレだけど……なんだか緊張するな」
何気に、自分の手料理を人に食べさせるのは、父以外初めてのことだ。
果たして、彼女の口に合うのか……。
心配しつつ、緑も食卓の反対側に座る。
「では、いただきます」
鞘はスプーンを口に運ぶ。
一口頬張り、そして、大きく目を見開いた。
「どうかな?」
「……凄く、美味しい」
困惑と感動。
両目を大きく丸め、キラキラと輝かせ、鞘はそんな二つの感情の交じった声音を漏らす。
「国島先輩、本当に料理が得意なんだ」
「まぁ、暇で暇で無駄に勉強しただけというか」
そう照れ臭そうな緑に、鞘は前のめりになりながら言う。
「本当に、お店で食べたのかと思うほど美味しい! 今まで食べてきたハヤシライスの中で一番!」
「大袈裟だなぁ」
しかし、鞘に褒められるのは嫌な気分ではない。
そして、どこか年相応というか、子どものようにはしゃぐ彼女の姿が新鮮で、緑は言い表せぬ満足感に満たされていた。
―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
本作を読み「おもしろい」「続きが読みたい」と少しでも思っていただけましたら、★評価やレビュー、フォローや感想等にて作品への応援を頂けますと、今後の励みとなります!
どうぞ、よろしくお願いいたします(_ _)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます