第一話 完全無欠の生徒会長と家族になった


「緑、父さん再婚する事にした」

「……はい?」


 ある休日の昼下がり。


 突然、緑の父がそう言った。


「どうした親父……まさか、俺の留年がショックで遂に幻覚妄想の類いを見るようになっちまったのか? ごめん、本当にごめん」

「違う! 実の親に向かってどれだけ信用がないんだ、お前は!」


 大金持ちでも貧乏でもない――ちょうど中流家庭が暮らす家といって過言ではない一軒家。


 ここ、国島家のリビングにて、緑はソファに寝転がった姿勢のまま自らの父の姿を見上げる。


 眼鏡、無精髭、少し白髪の交じった短い黒髪。


 中肉中背の体型。


 ソファの脇に立つ彼は、正に真面目な会社員を実写化したような姿だ。


 平凡と言えば、平凡かもしれない。


 けれど、長年今の会社に勤め、ここ10年の間、緑を男手一つで育ててくれた父親だ。


 今日まで一緒に暮らしてきた親子である。


 その真剣な眼差しを見れば、本気なのか冗談なのかの判断くらいは付く。


「……マジなの?」

「いや、すまん。実は少し前からお付き合いさせていただいてた女性がいてな。折を見てお前にも紹介したかったんだが、どうにも仕事も忙しくタイミングが合わなくて……」

「ああ、まぁ、それはしょうがない」


 父は職業柄、多忙な身だ。


 仕事の都合で数日家に帰らない事もある。


 緑にとってはそれが日常で、すれ違いの生活も最早慣れたものとなっていた。


「しかし、再婚か……」

「反対か?」


 不安そうな表情を浮かべる父を、緑は見詰める。


 そんな顔をされてはダメだとは言えないし、そもそも言うつもりもない。


「いきなりの報告で驚いたけど、母さんと離婚してもう10年近く経つんだ。俺だってもう大人の一歩手前なんだし、再婚する事自体には反対はしないよ」

「そうか、ありがとう、緑……でだ」


 そこで、父はゴホンと咳払いをする。


「お相手の方なんだが、これから挨拶に来るんだ」

「何もかも急だなぁ……」


 次々に押し寄せる怒濤の展開に、流石に焦り始める緑。


 今の自分は完全に普段の部屋着姿だ。


 父の再婚相手とご挨拶となれば、ちゃんとした格好くらいしておきたかったが。


「あと、もう一つ伝えておきたいことがあってな」

「なんだよ、もうさっきから不意打ち食らいまくって大抵のことじゃ驚かないぞ」

「ああ、実はそのお相手の方も昔離婚していて、娘さんと一緒に生活しているんだ」


 つまり連れ子がいる――ということだ。


「で、その娘さんの通っている学校が、緑と同じ高校なんだそうだ」

「同じ高校……って」


 大抵のことには驚かない――と言ったものの、流石に緑も言葉を失う。


 同じ高校の生徒?


 年上なのか、年下なのか?


 まさか、同級生?


 同級生と家族になる……かもしれないってことなのか?


 上手く回らない脳内で、必死に現実を受け止めようとする緑。


 そこで、玄関のチャイムが鳴った。


「はーい! 緑、来たぞ! 出迎えの準備だ!」

「あ、ちょっと待てって、そもそも相手の人の名前は……」


 緑は慌ててソファの上から起き上がると、父の後を急いで追い掛ける。


 玄関に向かった父は、勢いよく扉を開けた。


「どうぞ! お待ちしておりました!」

「失礼いたします」


 玄関の向こうから、父の再婚相手が現れる。


「今日はお招きいただき、ありがとうございます、哲平(てっぺい)さん」

「いえいえ! 今日もお美しいです、未来(みらい)さん!」


 やって来た女性は、上品ながら、バリバリ出来る女感のある人物。


 ショートヘアにナチュラルメイク。


 身体にピッタリと合ったスーツ姿で、正にかっこいい女性といった感じだ。


 父が完全にデレデレになっている。


 その女性は、父の隣に立つ緑の方へと視線を向けた。


「どうも、はじめまして。あなたが哲平さんの息子さんの、緑君ね」


 女性は笑みを湛え、緑に頭を下げる。


 所作や表情、全てに至るまで魅力的な女性だ――と、素直に感じた。


 本当にこの人が、親父の再婚相手? と、疑い掛ける程に。


「静川未来(しずかわ・みらい)といいます。よろしくお願いします」

「あ、どうも、国島緑です」


 緑も慌てて挨拶を返す。


(……というか今、静川って名乗ったか?)


 まさか……という気持ちが、緑の中に生まれる。


 その可能性に心臓の鼓動が高鳴り始めたところで。


「それで、こちらがうちの娘の――」


 現実は遠慮すること無く、緑に答え合わせを提示した。


 父の再婚相手――未来さんが、彼女の連れ子の娘を紹介する。


 玄関の扉の向こうから、呼ばれた彼女が国島家へと足を踏み入れた。


 制服を纏った女子高生。


 きっと、母の再婚相手への挨拶ということで、かしこまった格好をと思い制服を着てきたのかもしれない。


 その人物は、母の隣に立ち、流麗な所作で深々と頭を下げた。


「ご紹介しますね、この子は――」

「……静川、鞘?」


 その姿を見て、緑は自然と名前を発していた。


 相手は、あの完全無欠の生徒会長、静川鞘だった。


「あなたは……国島、先輩?」


 名前を呼ばれ、頭を上げた静川鞘も、緑を見て驚いている。


 彼女も、母の再婚相手に子どもがいるという話くらいは聞いていたはずだ。


 しかし、緑同様、その相手が自分だとは知らなかったのかもしれない。


 いや、そもそも、彼女と自分の社会的地位の差を考えたら、自分が同級生であると認識さえされていないと思っていた緑だった。


 彼女が自分の名前を知っていたことに、少なからず驚いた。


「俺のこと……知ってる?」


 思わずそんなことを口走ってしまった緑に、鞘はポカンとした表情になる。


 しかし直後、その表情に微笑を湛え、ハッキリとした声を返してきた。


「知っていて当然だよ。クラスメイトなんだから」


 いつも、学校で聞く彼女らしい凜然とした口調、声音。


 本当に、目の前にいる人物は――あの静川鞘なのだと、緑は改めて思った。


「なんだ緑、お前、鞘さんのこと知ってたのか?」

「そりゃあ、静川さんはクラスメイトだし、有名人だからな」


 横の父に聞かれ、緑はそう答える。


 緑の学校では、三年生は受験に集中するためという理由で、生徒会活動は二年生が中心となり、一学期初頭に選挙が行われる。


 鞘は、ほぼ満票で生徒会長に抜擢された逸材だ。


「でも、まさか相手の娘さんが静川さんだとは……」

「私も、母のお相手に息子さんがいるとは聞いていたけど、国島先輩だとは思わなかった」

「あれ? そういえば言ってなかったっけ? ごめん、鞘。ちょっと色々忙しくて、伝え忘れてたみたい」


 そう言って、未来さんは鞘に謝る。


 彼女も緑の父同様、多忙な身なのかもしれない。


「まぁ何はともあれだ! こんな偶然があるんだな! これから家族になる子ども達が、同じ高校でしかも同じクラスだとは! でも、互いに印象は悪くないようで安心したぞ!」


 鞘と緑を見比べながら、父は大袈裟に喜ぶ。


「いやぁ! こうしてクラスメイト同士が家族になるなんて凄い事だ! きっとこの再婚は良縁だったんだな! 幸先が良いなぁ! よかったな、緑!」

「うるさいぞ、親父」


 騒がしく喜ぶ父に緑はうんざりする。


 鞘の前で、単純に恥ずかしい。


「ふふふ……」


 そこで、口元に手を当て、鞘は上品に笑う。


「母の再婚相手ということで、紹介されるまでどんな方なのかわからず緊張していましたが、楽しい方で安心しました」


 言って、続いて緑へと視線を向ける。


 少し翠の含まれた、色の濃い宝石のような両目に見詰められ、緑はドキリとする。


「お相手の方の息子さんが、まさか国島先輩だったなんて……正直驚きましたが、楽しい家庭が築けそうで嬉しいです」

「………」


 ………な。


 なんて、出来た人なんだろう。


 こんな自分に対して、ここまで優しく接してくれるなんて。


 流石、完全無欠の生徒会長……と、緑は今更ながら感動してしまった。




 ――その後、挨拶を終えた緑達は、今後についての詳しい話し合いをした。




 結論から言うと、家族四人、この家で暮らす予定となった。


 元々父が離婚する前は、母と妹と四人家族で暮らしていた家だ。


 十分な大きさだろう。


 再婚相手の未来さんと、鞘の名字は国島姓となる。


 つまり、鞘は静川鞘から国島鞘になるということだ。


 しかし、多感な思春期。


 残りの学生生活……学校では、名前は変わらず静川性を名乗ることにするという。


 それが良い、と、緑も素直に思った。


 彼女と自分が家族になったなどと知られれば――要らぬ火種になりかねないのだから。




 ―※―※―※―※―※―※―




 ――そして、あれよあれよという内に、正式に再婚が結ばれ。


 本日、鞘と新しい母――未来さんが、国島家へと引っ越してきた。


「………」


 鞘の部屋は、二階にある緑の隣の部屋となった。


 引っ越しの荷物を運び込まれていく光景を見遣りながら、緑は今だ実感が湧かずにいた。


 新しい家族ができたということも。


 静川鞘が、同じ家で暮らすということも。


「あー……引っ越しの荷解、手伝おうか?」


 引っ越し業者が帰り、鞘は部屋の掃除と荷解を開始し出した。


 一応気を使い、緑が廊下から部屋の中の鞘へとそう提案する。


 それに対し、鞘は「ありがとう」と笑顔を返した。


「でも、大丈夫。気を使ってくれなくても構わないよ」

「あ、ああ」


 断られ、緑は鞘の部屋から離れる。


(……そもそも、相手は女の子だ。私物を見られたくないよな)


 よく考えなくては――と、内省する緑。


 一階では、父と未来さんが色々な手続きのことで話し込んでいる。


 居心地が悪いので、緑は自室に戻って時間を潰すことにした。




 ―※―※―※―※―※―※―




 ……………。


 …………。


 ……気付くと、寝てしまっていたようだ。


 窓の外では夕焼けが沈み掛け、部屋の中は暗くなっていた。


「……結構、汗掻いたな」


 ベッドの上で起き上がった緑は、シャツが汗で湿っている事に気付く。


「シャワーでも浴びるか……」


 呟いて、部屋を出ると、緑は一階のお風呂場へと向かう。


 完全にいつもの調子で、半分寝たままの頭と寝ぼけ眼を携え、脱衣所の扉を開けてしまった。


「あ……」


 


「………あ」


 そこに至って、緑もやっと気付く。


 鞘だ。


 先に浴室を利用していたのだ。


 彼女は今、正に脱衣の最中だった。


 上半身は既に服を脱ぎ、身につけているのはブラのみ。


 スカートを膝の当たりまで下げた、前屈みの姿勢で、見上げるように緑と視線を合わせ硬直している。


 ほぼ下着姿、しかも体勢の関係で露わになった胸元を強調するような姿の彼女と、見詰め合った状態。


 完全に、時間が止まる。


「ご、ごめん!」


 緑は慌てて脱衣所の扉をスパーンと閉めた。


 しまった。


 最悪だ。


 完全にやってしまった。


「き、気を付けて……」


 浴室の方から鞘の上擦った声が聞こえてくる。


 流石に、声音から恥ずかしそうな感情が感じ取れた。


「……本当に申し訳ない」


 相手は年頃の女の子なのだから気を使わなくては――と、意識した直後のこの失態である。


 緑は脱衣所の前で深く一礼し、すぐに自室へと帰って行った。




 ――こうして、前途多難な始まりではあったが、緑と鞘は家族に……“きょうだい”になったのだった。




―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―




 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。


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