壺男

フウワ ユイ

壺男

何の変哲もないただの壺。もし、今この中に水が入っているとして、穴が空いてしまったら…どうでしょう。何の変哲もないただの壺ですから当然、水は零れてしまいますし、壺としての機能すら果たせなくなってしまいます。ですが、彼にとっては幸せだったのかもしれません。


街外れの森の中。人目のつかない倉庫の中で、その「壺」は不満を持っていた。

「げほっげほっ・・・。使わないからって、こんな埃だらけの倉庫にしまったままにするのはやめてほしいなあ・・・。穴は空いてないし、大きさも結構あると思うし。せめて掃除くらいは・・・。」

ここに仕舞われる前によく聴いた、持ち主のおじいさんと孫である女の子の会話を懐かしみ反芻し、そのたびに壺は虚しくなった。

「あのふたりのお話を聴くの、楽しかったなあ。特に本の読み聞かせなんかは僕にとっても勉強に・・・」

壺の独り言を遮るように倉庫の大きな扉が音を立て開かれ、わっと差し込んだ光が無数に舞う埃を照らした。

「お、やっと僕の出番が・・・?」

 そこに立っていたのはおじいさんでも女の子でもなく、ひとりの小さな魔法使いだった。きょろきょろとあたりを見回し、「あっ」と声を上げたかと思うとこちらに近づいてきた。

「君でいいや。」

 何やら腹が立つ言い回しとともに、魔法使いに抱えられた壺は外へ連れ出された。

「君、いい感じに知識が蓄えられているね。ここはひとつ、ぼくに協力してくれないかな?」

 急に現れ外に連れ出された挙句、協力しろと話す人物に壺は戸惑うしかなかった。

「君ぐらい知識があれば、魔法使いって存在もわかるんじゃないかな?黒の帽子に黒のローブ、杖を振ればみんなを驚かせちゃうような力を使える、超かっこいい存在さ。」

 身振り手振りで楽しそうに話す魔法使いに、いつの間にか壺は興味を惹かれていた。

「・・・と、言ってもぼくはまだ見習いなんだけどね。」

 ふう、とため息をつきながら魔法使いは肩を落とす。

「正式な魔法使いになるためには、『魔法で物を人間にする』っていう試験があるんだ。しかもただ人間にするだけじゃダメで、その人がなにか問題を起こしちゃったらそれはぜーんぶぼくらの責任になって失格になっちゃうの。物には持ち主の扱い方によって知識がついていたりするんだけど、その見極めが難しくってね。たくさんの、しかも正しい知識を持っていてもらわないと困るんだよね。」

 壺にも、いかにこの試験が大変なものなのかが理解できた。

「でも君は壺。たくさんの知識が入っているのにも関わらず中身を保ったままでいる。それに、持ち主がいい人だったのかな?知識も正しいものとみた。」

 魔法使いはにっこりと微笑むと壺に告げる。壺も、期待に胸を膨らませながら彼の次の言葉を待った。

「君、人間になってみない?」


梟の鳴き声。川のせせらぎ。いつも聞いていたのに、なぜか初めて聞くような感覚がした。さっきまで見上げるようにしていた魔法使いが、なぜか縮んでいた。

 いや、これは・・・。

「気分はどう?物が急に人間になるとだいぶ負担がかかっちゃうから痛いところとかあると思うんだけど。それに・・・」

 感動する壺をよそに、声の調子を落としながら魔法使いは話す。なぜかその表情は暗い。

「失敗・・・しちゃったから・・・。」

 申し訳なさそうに一言、そう告げた。

「もともとが壺だから、これから君が感じる感情は壺に水が入ったまま出てこないように、一切言葉として発することができない。それと、君はあと半年しか人間でいることができない。本当は三年ぐらいあったんだけどぼくが・・・」

「これが手、これが足!凄い!自分で動けるなんて!」

 魔法使いの言葉はもうほとんど、壺の、壺男の耳には入っていなかった。

「ありがとう!まさかこんなに人間であることが面白かったなんて思ってもみなかったよ!」

 今度は魔法使いが戸惑い始めた。

「でも君はあと半年しか・・・」

 感情が口に出せない?あと半年しかない?それがなんだ。人間になった今、この状況を目一杯楽しむだけだ。

 魔法使いに向き直り、「ありがとう」ともう一度伝え壺男はリズムよく右、左、右、左、と地面を踏み、駆け出した。頬に触れる風が気持ちいい。走るってこんなにも面白く、素晴らしいものなのか。

 人間になって間もない壺は何度も躓き転んだが痛みすら不快に思わず、新鮮に感じられた。


 空が明るくなった頃、走ることに夢中になっていた壺男を止めたのは街だった。高いビル、色鮮やかな店、道路を行き交う車。壺男にとってなにもかもが輝いて見えた。初めて見る物たちに目を奪われ、街の様子を眺めていた彼の気持ちは最高に達し、

『・・・楽しい。』

と、一言。しまった、こんな人通りの多いところで・・・。

 誰かに聞かれてしまったのではないかと恥ずかしくなった壺男は周りの様子を伺ったが、誰ひとりとしてこちらを向く人物はいなかった。不思議に思った壺男はもう一度、今度は小さく呟いてみる。

『楽しい。』

 自分にすら、その声は耳に入ってこなかった。間違いない、これが魔法使いの失敗というやつだろう。

 しかし、彼にとってこの失敗はむしろ好都合だった。初めて見る物、触れる物。感じる物すべてが新鮮な今、無意識に言葉として出て行きそうで周りの人間に不審に思われかねない。半年でもとの壺に戻ってしまうならさほど会話も必要ないだろうと考えた壺男は街中のネオンに誘われるがまま、歩みを進めた。

 さて何をしようか、と考えていた壺男の前をおぼつかない足取りで女性が歩く。気を抜くと人にぶつかってしまいそうだった。壺男は見ていられず、彼女に手を差し伸べた。

「ありがとうございます。」と、彼女は一言、この先の病院に向かっているのだと話した。話し方や声になぜか懐かしさを覚えつつ、壺男は急ぎの用事もないし、と彼女を病院まで連れて行くことにした。

 しかし・・・なんとも気まずい。知識はないこともなかった壺男だが、人間になったのはつい先ほど。人間ときちんと話すのはこれが初めてであり、慣れていないにも程がある。

 数十分後、人間との付き合いに世知辛さを覚えたところで彼女の目的地である病院を見つけた。女性はもう一度「ありがとうございます。」と深く頭を下げると、病院の中に消えていった。親切な行いをした、という自覚は彼にはなかったがとてもいい気分になり、人間の面白さを実感した壺男はまた当てもなく歩き出した。

 数日後、壺男は広い公園を見つけた。天気も良く、静かでなんとも気持ちがいい。中央に置かれた噴水をぼーっと眺めていると「すみません。」と声をかけられた。聞き覚えのある声にドキッとして振り向くと、先日病院まで付き添ったあの女性が立っていた。手には袋が提げられている。

 急な再会に焦っている壺男を見てくすくすと笑いながら、彼女は持っている物をこちらに差し出した。

「先日はありがとうございました。あの時は意識が朦朧としていたので、ありがとうございます、としか言えなくてすみませんでした。改めてきちんとお礼をしたかったんです。また会えて安心しました。」

 良かったらどうぞ、とお礼の言葉とともに綺麗に装飾のされた箱を受け取った。彼女の話によるとこの塊は「くっきー」、と言う食べ物らしい。

「あの・・・、食べていいですか?」

 食べ物は彼がまだ家の中に壺として置かれていたときに何度も目にしたことがあったが、もちろん実際に口にするのはこれが初めて。壺男は目の前のくっきーという食べ物に興味津々だった。

「お腹、空いてたんですか?」

 ふふっと彼女は笑う。そこで壺男は初めて気がついた。『お腹が空く』とはどういう状態なのだろうか。そういえばあの家の女の子は、「お腹が空いた」と言った後によく食べ物を食べていた気がする。『お腹が空く』という状態がよくわからずモヤモヤしていた彼だったが、やはり関心は再度、くっきーと呼ばれる食べ物に寄せられた。

 さくっ、と軽い音を立てその塊は口の中で粉々になる。

『美味しい。』

あのときのように、ぽろっ、と一言。誰にも聞こえないその言葉は壺男の頭の中に響き、静かに消えていった。

「お口に合いませんでした・・・?」

 感情が言葉にできないため、なんとこの気持ちを表したらいいのかわからず黙ったままの壺男に、彼女は不安そうに尋ねてきた。

「いや、そんなことはなくて・・・。ええと、その・・・」

「・・・美味しかったですか?」

「はい!とても!」

 そう言うしかなかった壺男は、感情を伝えるべき人物に助け舟を出されたことを恥ずかしく思い、初めて魔法使いの失敗を心から悔やんだ。と、同時にこの日、彼には決して言葉にできない感情がひとつ、ひっそりと生まれていた。


「ありがとうございます。毎日来てもらえて嬉しいです。」

 病院の一室で彼女はそう告げ微笑んだ。

 数年前に祖父を亡くし独り身となり、それをきっかけに持病が悪化、今に至るという。こうして親身になってくれる人はいない、と毎日やってくる男になんの疑問も抱かず、彼女は壺男を笑顔で迎えた。

「よっぽど好きなんですね、おじいさんのこと。」

「はい。私、幼い頃に両親を亡くしてまして・・・。それからずっと面倒を見てもらっていて。」

 彼女の話は壺男もよく知っているふたりが思い出されるようで聴き入った。彼女の嬉しそうな表情を見ていると、また、自然と口から出てしまう。

「『好き』だ。」

「・・・だ?」

「だ、だいぶ冬が近づいてきましたね。あ、寒くないですか?」

 壺男は慌てて誤魔化した。彼女の話を聴くうちに最近気づいたその気持ちは、やはり彼女には伝わることはなかった。なぜ壺として生まれてしまったのか。悔やんでも仕様が無いことを悔やんでしまう。彼は何度も何度も、自身が割れたり、逆さになったりする想像をしては本来の姿を恋しがった。


 肌寒い風が吹くようになった頃、いつものように彼女の待つ病室に行こうとすると、彼女の担当医師からこう、告げられた。

 余命はあとわずかだ、と。

 もう助かる見込みはない。あまりにも急で重い一言。その衝撃は壺男には大きすぎた。病室に入ると、やはり彼女は笑顔で迎えてくれた。この事実を知ってかしらでかその顔に曇りはなかったが、壺男には、彼女にかける言葉が見つからなかった。

「そしたら祖父が・・・」

 今日も彼女は楽しそうに話す。一番つらいはずの本人がこんなに笑顔で接してくれているのに自分が落ち込んでいてどうするんだ、と壺男は無理に笑顔を作った。

 好きであるのに好きとは言えない。君と話をするのは楽しい。君と別れるのは・・・つらい。壺男にはどの言葉も彼女に伝えられずにいた。

 楽しかったこと、つらかったこと、怒ったこと、驚いたこと。自分の感情を伝えられる彼女が壺男にとって、羨ましくて仕方がなかった。

「あ、雪っ。」

はしゃぐ子どものような彼女の言葉にふと顔を上げると、窓の外には粉雪が舞っていた。

「綺麗。」

『綺麗。』

 病室には、ひとりの声だけが響いた。


 その日も、雪が降っていた。外は静かで人もあまり出歩いていない。ひっそりと佇む病院へ彼は今日も足を運ぶ。

 病室に入ると、数人の医師や看護師が彼女を囲んでいた。外が静かだったからか、余計に騒がしく感じられた。壺男は慌てて彼女の元へ駆け寄った。病気に全くの知識がない壺男にとっても、明らかに体調が思わしくないことがよくわかった。なぜ、こうなることに気がついてあげられなかったのか。怒りが込み上げる。自分には何ができるのか。どんな言葉をかけてあげればいいのか。まだ、なにひとつ彼女には思いを伝えられていないのに。


 自責の念に駆られ混乱する彼の思考を、ひとつの耳障りな音が遮った。高くて、長かった。何時間経ったのだろう。そう感じるほど長いこと、この音を聞いているような気がした。さっきまで握り返してくれていた手に力はなかった。彼女は、つまり。

「・・・心にぽっかり穴が空いたみたいだ。」

 そう呟いたとたん、彼にたまりにたまっていた感情が零れ落ちた。

「あなたと話すのは楽しかった!あなたと別れるのはつらい!あなたの気遣いが嬉しかった!」

「・・・あなたが・・・好きでした。」

 病室には、ひとりの声だけが響いた。壺男は目を閉じ、これまでのことを思い返しながら静かに目を閉じた。その顔は満足げに見えたという。

 翌日、男の姿はなく、病室にはぽっかりと穴の空いた壺がひとつ、転がっていた。

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