第10話 思惑

 バタリとメリスが助けた藍が意識を失った。剣を握りしめたまま。

 その光景を目にしたメリスは一瞬戸惑った、藍の持ち方が持っている剣の正しい持ち方に。


「遥々と、確かあなたは遠い国に居たと記憶してますが、何用で"戻ってきた"のですか?」

「白々しさもここまで来ると笑えますね。何用で戻ってきたかですって? これ以上ふざけた口を叩かないで大司教!」


 綺麗な銀髪を靡かせ振り返る。曇り無き青い瞳は力強く、迷いの無い目付きで大司教や教会騎士を睨み付けた。


 メリスの登場。それは生き残っている教会騎士達に動揺を募らせた。


「何故・・・ここにあのお方が」

「初代教会騎士の大騎士長。メリス・メリンナ様!?」


 驚きを隠せないのも当然だった。

 現教会騎士はメリスが対峙している大司教が牛耳っている。だが教会騎士という組織を作り上げたのは、誰もが知っている人間であるメリスとその仲間達だった。


「今やあなたは教会騎士とは無縁のお方、もう昔とは違うという事をご理解・・・頂きたい!!」


 大司教が手を払った瞬間、雷撃魔法が放たれた。ドス黒い雷が雷鳴を上げながらメリスを襲う。


「えぇ、その通り」


 襲い掛かる雷撃。当たれば無事じゃ済まされない魔法だと誰が見ても明らかな物を手に持つ弓剣を一回転させて、まるで糸を巻き取るかのように襲い掛かる雷全てを打ち消した。


「もう昔とは違う・・・もうみんなは居ないのだから、私が頑張らないといけないの」


 両刃の剣先が光り輝き魔法の弦が姿を見せた。メリスはゆっくりとそれを力強く引いた。

 すると、何も居なかったはずのメリスの隣に角を生やした狼が光を纏いながら姿を見せた。


「フェンリル」


 現れたフェンリルが光りの矢に姿を変え弓に収まった瞬間、メリスは引き絞った弦を放つ。


 狼の遠吠えと共に矢は大司教へ向けて一直線だった。


 だがその矢は一切見動きを取らなかった大司教の帽子を吹き飛ばした。


「・・・くぅ!!!」

「わかりますね。警告です、自首しなさない。あなたがやろうとしている事は全て国王様もみな知っているのです。投降して法の裁きを受けなさい」


 国王。その言葉が出た途端に大司教以外の面々が動揺していた感情を更に揺れ動かした。

 目の前に居るメリスの言う事を信じるのであれば、今自分達が付き従っている大司教は、裁かれるような事をしているのかと。


「裁き・・・ですか。ふふふっおかしな事を言いますね・・裁きとは本来神が人に与える罰なのです。その神に、一番に付き添ってきた私が、人の枠で裁きを受けるなど」


 力の差を見せ付けてもなお、不敵な笑みを崩そうとしない大司教に、メリスは引き続き弓を引く。


 次は外さない、と。


「そう、ならばここで死になさい。元々私は、あなたを生かすつもりなんか無かったから」


 再びフェンリルが姿を現し光りの矢へと形を変えた。

 確実に仕留める、その想いからか最初に撃った矢よりも光りが強く輝く。


「"あの人"が命を掛けて守った世界を壊させはしない・・・!!」


 弦が弾かれた。

 大司教の後ろで待機していた者達はとにかくその場を逃げ去った。メリスが本気である事、そのメリスが問答無用で有名である事。


 そして今そのメリスが本気で大司教を殺しに来ていた事に、誰もが危機を察し逃げ惑ったのだった。


 一瞬だった。

 光りの速さで地面を抉りながら放たれた矢は大司教へと突き刺る。悲鳴を上げる暇を与えず、言葉を発することも許さず。その場は光り輝き、クレーターだった辺り一面に更なるクレーターを作るように大司教が居た場所を中心に吹き飛んだのだった。


「・・・くっ、それが刻印の力」


 ただ瓦礫すら残されていない空間、大司教がさっきまで居た場所に語り掛けるメリス。その顔は苦虫を噛み潰した表情だった。

 

「そう、残された記述・・・先代の大司教様、あなたのお仲間が残した書物に記されていた物ですよ」


 何処からともなく大司教の声が響く。つまりはまだ生きている。

 寸前でワープ魔法のような物を使ったのか、あるいは対峙していた大司教事態がフェイクだったか。

 いずれにせよ、メリスはここに来て初めて刻印の力を目の当たりにした。


「あなた、やっぱり、あれを・・・」

「えぇ、その為にも彼等にはもうしばらく働いてもらわなくてはなりません。世界の・・真の平和、あるべき姿の為に」


 大司教の言葉に怒りの感情が抑えられないでいるメリス。

 まるでそれを姿を見せずに見ているかのように大司教は高笑いを聞かせ、次第に声が消えて行った。


 そして完全に気配が消えた。

 メリスはすぐさま足を前へ動かした。向かう場所は決まっている。もうこれ以上好きにはさせない、させられない。


 昔。

 メリスが口にしたのは、それはまだ今のように強くない時代の話。

 その時のメリスには仲間が多く居た。


 そして、自分を変えてくれた、大事な人も。

 今も当然鮮明に覚えている、忘れたことなどなかった、生まれて初めて好きになった人。


 だが、付き日は流れ残酷かつ平等。

 エルフの寿命を持つメリスの回りにはもう誰一人として残っていない。

 

 今はもう共に戦ってくれるような仲間も居なければ、最愛の人物もまた―――。


「っ・・・!」


 今も天国で見守ってくれているはずの仲間達の為にもすぐに向かわないといけない。そんな一心の気持ちのメリスの足が止まった。理由は単純だった。


 自分が助けた異世界からの転移者。形見の剣を握り締めてうつ伏せになって気を失っている人間が目に止まったからだった・・・。








 そこは教会騎士の本部。ここには転使達、藍のクラスメイト達が根城として使われている場所。

 先ほど撤退してきた本倉将弘がボロボロになって帰還した。


 その姿を、教会騎士だけではなく転使達にも見られすぐに知れ渡るのは当然だった。


「本倉がやられたって」

「嘘、あんな力があったのに!?」

「騎士の連中に聞いたが、どうやら俺達と同じ転使にやられたって」

「もしかしたら、刻越じゃね!?」

「え、死んだんじゃないの」


 そんな噂が本部全体に知れ渡っている中、将弘は一人猛り狂っていた。

 敗北を。藍に負けたという紛れも無い事実に。


「くそがぁあああああああああ!!!!!」


 治療室で回復を済ませた途端に暴れ出す。

 刻印の力で物という物に辺り散らかす。


「くそが!!くそが!!くそが!!くそが!!くそが!!くそ野郎がぁあああああああああ!!!!」


 回復魔法を掛けた者達はすぐさま逃げるように部屋を出て行く。

 そんな中、一人部屋の出入り口で将弘の怒りが収まるのを待つ女子が居た。


「もう噂になってみんな動揺してるわ。あなたが藍君に負けたって」

「俺は負けてねぇええええええ!!!! あいつが!! あいつがズルをしたんだよ!! チートだ、そうだ!! チートを使ったに決まってる!! この僕が負けるはずがないんだよぉおぉおー!!!」


 ガシャンと大きな鏡を破壊した将弘。その姿を冷めた目で見る凛上宝華。

 彼女は将弘の言葉に多くの感情を持っていた。


 藍が生きていた。その事実に。


「おい凛上!! お前が奴を殺せ! お前ならあいつに近付ける、油断するに決まってる。何ならお前の"身体"を使ってところで殺せ!!」

「彼はそんな不純、すぐに見抜くに決まって―――っ!!」


 顔面に投げ付けられたコップを寸前で手で防ぐ。


「口応えすんじゃねーよ!! いいか? お前は、僕の女だ。わかってるんだろうな? ここに転移させられて、お前が最前線に送られないのは僕の配慮があってこそなんだ。その事を忘れるんじゃねぇーよ」

「・・・・・・」


 教会騎士の本部に連れて来られた転使達。

 その転使達の先導を仕切ったのは紛れも無く将弘だった。誰が決めたのでも無く、将弘はその刻印の力で優劣を決めた。自分の刻印が強い事を良い事に。


 宝華は、そんな将弘のいいなりになるしかなかった。


「そうだ・・・良い事思い付いた。凛上、お前はあのガキの面倒見てろ」

「ガキ・・・?」

「刻越の手下だよ!! あいつ証拠にも無くこんな世界に来ても友達作りしてやがったんだよ、そのガキはここへ連れてきた。どうせあいつは助けに来る。その時だ・・・」


 邪悪な顔とはまさにこの事だと、宝華は将弘の顔から何を今言われ様としているのか感付いていた。

 だが口に出すのもくだらない、そんな気持ちでいっぱいだった。


「ガキと刻越を一緒に殺してやれ。あははははは!! なんて優しいんだろうな俺は! 最後のお友達と一緒に最後を迎える事が出来るなんて粋な計らい、簡単に思いつく事じゃないよな!?」

「・・・そうね」


 くだらなさ過ぎて誰も思い付かない。

 そう心の中で思いながらも宝華は適当に相槌を打った。


 心無しの相槌。

 それに将弘は満足気だった。ただ単に同意を得られての満足なのか、それとも今自分は、宝華を服従させているという優越感から来た物なのか。

 誰にもわからない。だが将弘は一応は落ち着きを取り戻し部屋を後にしようとする。


「何処へ行くの?」

「大司教の所に決まってるだろ。あのおやじ、絶対に何か隠してるんだよ。でないと刻越の雑魚があんな力使えるわけねぇーだろうが」


 吐き捨てるように将弘は告げて出て行った。


 宝華は一人目を閉じ顎に手を当て考えるのであった・・・。

 



 将弘が向かった先。

 大司教がいつも居ると言われる特別な礼拝堂。


 藍達の世界では結婚式などでも目に掛かるような場所を巨大にしたような所だった。

 そこは大司教以外の許可が無くては決して入る事の許されない場所。


 そんな場所に、将弘は踏み込もうとしていた。出入り口の護衛騎士の静止を振り払い、何重にも閉ざされている扉を開け進む。


 そして最後の扉を開こうと触れた時だ、将弘は急に動きを止めた。


「やめて下さい!!!」


 先客。扉を微かに開け中を覗き見る。

 将弘が向かおうとした礼拝堂には目的の大司教の姿。


 そして、藍と戦った目黒の姿があったのだった。


「恐れる事はありません。先ほど見たでしょう? あなたのお友達の様子を、同じ様にするだけですから」


 友達?

 それは、あの取り巻き二人の事か? 将弘はキョロキョロと中を覗ける範囲で確認する。


 だが、あの取り巻き二人。その姿が全く見当たらなかったのだった。


「いけない子だ。透明化を使ってここを調べたなんて、本当にいけない子だ。その力は、神が君達に与えた慈悲だというのに」

「お願い・・します!! なんでもしますからぁああ!! やめて下さい!!!」


 礼拝堂最奥の段差の上に立つ大司教。その下で地べたに這いずるのは目黒。

 本当に神に祈りを捧げるかの様に、目黒は大司教という存在に命乞いをしていた。

 形振り構わず、ただ声を上げ続けていた。


 そんな光景を将弘は当然のように不審に思った。

 多くを考えたが、まず第一に。


 何故目黒は、刻印の力を使って捻じ伏せないのだろうか。ということだった。

 目黒の物体を自由に扱う能力を使えばいいはず。大司教がどれほどの強さはわからないが、ここから逃げ出す事くらいは可能なのではと。

 


「懺悔は・・・済みましたか?」



 笑みをただ浮かべた。

 罪人の悔いを受け止めた聖職者。その仕事を全うした表情で目黒の頭に優しく手を置いた。


 そして目黒は言葉を失った。


 もう助からないんだと・・・諦めたてしまったのだった。



「いやぁあああああああああああああああ!!!!!!!」



絶叫が耳に響く、目に映るのは意味の不明な光景。

将弘の思考が追い付くはずも無く、ただ見ているだけだった。


「何が・・・何をしてるんだ・・・」


 将弘は扉越しから見る光景から目が離せなかった。

 大司教が目黒の頭に乗せた手が・・・手じゃなくなっていた。


 指が5本ある、形は確かに間違いなく人間のそれだ。

 だが決定的に違う物が、大司教の手には刻まれていた。


 それは・・・。


「その"あなたの刻印"、神へと返すのです」


 将弘達と同じ刻印。肩から指先までびっしりと刻まれた大量の刻印だった。


「あぁあああああああああああああああああああ!!!!!!」


 絶叫が礼拝堂に響き渡る。どれだけ抗おうと目黒の頭から手を退ける事は出来ないでいた。

 それどころか、力が抜けて行くように将弘には見えた。


 そして徐々に黒い粒子のような物が目黒から出始める。粒子は大司教の右手へと吸い込まれるような挙動を取る。


「そう、これは回帰。人はみな平等、いずれ帰る場所へと帰る。それは、きっとあなた達の居た世界では無いでしょうがね」


 聞こえているのかわからないまま大司教は目黒に諭すも目黒の身体は透け始めていた。


 黒い粒子が吸われる度にそれは起きていた。 


 目黒の姿が扉越しから見る将弘の目から消えるのは、そう時間を有さなかった。


「消え・・・た」


 目黒里香が消えた。自分の目の前で。

 それを確定付けるかのように大司教の腕に新たな刻印が刻まれ光り輝いた。


 将弘は確信した。

 大司教は今、目黒から刻印を奪い取ったのだと。



「ふむ、それで・・・いつまでそこに居るのですかな」

「―――っ!!!」


 大司教の目線が将弘へと映り変わった。

 目が合ったと声にもならない声を出してしまった。


 すぐにこの場を離れなくては、そう本能に語り掛けられた将弘は来た道に戻ろうと身体を返した。


「なっ! なんで開かな!!! くそおいっ!!!!」


 ついさっきまで簡単に開いたただの扉は固く閉ざされていた。

 逆に背後の扉、自分が覗き見ていた扉がバタンと大きな音を立て開く。


 また何かの魔法なのか。

 違う・・・これは、今さっき吸い取った刻印の力。


 目黒の刻印を使ったのか。

 そう考え付いた将弘の背筋は凍り付いた。


「どうなさいましたか? さぁ中へどうぞ、私に用があったのでしょう?」


 まるでさっきまで行われた事は錯覚だったかのように、大司教はいつものような口ぶりで将弘を礼拝堂の中へと手招く。


 全身を震わせながらも将弘は、足を動かした。

 一歩、一歩。


 ここまで慎重になる事はこの異世界に来て初めての事に将弘の顔は汗塗れだった。


「ぃっ!!!?」


 礼拝堂に足を踏み入れたら最後。出入り口の扉が大きな音を立て退路を塞いだ。


 将弘にはもう、前へ足を進める以外の手段が無くなったのだった。

 固唾を飲み足を動かす。


「あぁー彼の事ですか」


 将弘が口にしようとした質問を大司教は先に語り出した。将弘の心を読んだかのように。


 読心能力。

 将弘もその刻印の力を知っている。自分が使えないと吐き捨てた同級生の力だった。


「彼は何なんでしょうね、むしろ私があんた方にお聞きしたいくらいです。あの剣・・・あれは昔の大戦争に作られた代物、その所有者が存在しなくなったこの世界では、その力を発揮させる事の出来ない、ただのオブジェ。もしかしたらと思いあなたにお渡ししたのですが、結果は変わりませんでした」


 大司教の話す事は、将弘が聞き出そうとしていた物と一致していた。


 この異世界に最初に来て将弘はあの剣を使い藍を突き刺した。

 そして妙な光と共にワープ魔法が発動し藍は生き永らえた。


 そして今回の件も同じだった。

 まさか同じような事が起きるなんて思ってもみなかった将弘にとって、自分が負けたのはあの剣のせいだと。そしてそれを渡した大司教の意図を聞き出そうとしていた。はずだった。


「じゃ・・・じゃあ、俺達もし、知らないな。刻越なんてただの高校生だ、家も僕ほど裕福じゃないただのしがない一般人だしな」

「そうですか・・しがない、一般人・・・ですか」


 大司教が動く。

 礼拝堂の出入り口から数歩しか移動してない将弘に向って、ゆっくりと歩き出した。


 将弘の表情が足音が鳴る度に酷く歪に変わっていく。

 息も少しづつ荒くなり始め、気が狂う思いを何度も味わいも空気に呑まれないよう必死に耐えている。


 だがそれも、もはや時間の問題となっていた。



「お伺いしたいのですが。しがない一般人に負けた人間は・・・何というのでしょうか?」


「うあぁああああああ!!!!!」


 先制攻撃。将弘は自ら刻印を最大限に活用し手を払い大司教を吹き飛ばそうと試みた。

 強烈な風圧と騒音が礼拝堂に響き渡る。辺り一面の装飾品などが一気に吹き飛ばされ、礼拝堂の雰囲気は変貌をしていた。


 そして大司教の居た場所は将弘の攻撃によって地面は抉られているのがわかる。攻撃がしっかりと当たった証拠、そう将弘は安堵した。


 だが、土煙りから人影が見えてしまった。


「神聖な礼拝堂をこんなにも・・・」


 掲げられた大司教の右腕が光る。

 刻印の力が発動した。


 すると、辺り一面吹き飛ばした物がまるで生きているかのように動き出し元の位置へと戻っていく。


「なんだ・・・! なんだそれ!!」

「ご存知無かったですか? 確か・・・高橋様でしたかな? 愛おしい恋人を失い、戦意喪失した彼女。あなたが刻越藍の次に不要と足蹴にした人物ですよ」


 刻印の力は、みな平等に万能の力。そう教えるかの様に大司教は将弘の目の前でその力を巧みに披露した。


 上手く使えば、ただ地面を操作するだけの力は物を定位置に戻す事も出来る物。ある種の再生に役立つのだと。


「ふざけんな―――」

「おっと、先にお伝えしておきますが。刻印の力は、この礼拝堂で使用しない方が身の為ですよ」


 先ほどと同じように右手を前へ突き出した将弘に向けて忠告が入る。


 大司教の言葉なんか聞くかと力を使おうとした時、将弘は気が付いたのだった。


 自分の右腕、刻印から出る靄・・・黒い粒子を。


 自分の刻印に起きている異常性。その答えはすぐに理解した。



「まさか・・・!」

「流石にお気付きになられましたか。ここは人が神と言葉を交わす聖地。刻印の力・・・慈悲の力は不要とされるのですよ」

「な、なら・・・なんでお前は使えんだよ!!」


 将弘の言葉は正論だった。

 大司教はそんな将弘を愚かな者を見るような表情をした、それが答えかのように。

 聖地、そんな言葉を並べたところで、大司教が如何様を使っているのは明白だった。


 だがそんな如何様であるという事を告げた所で何の意味も無い事を将弘は感じ取っていた。

 藍の詳細不明の如何様なんか比べ物にならない程の物。

 今自分の目の前で対峙している人物は、それを凌駕していると本能が告げていた。


「へっへへへ・・・じょ、冗談さ冗談。お、俺はあんたの味方さ、今までだってあんたの命令通りしてきたじゃないか。あんたに反抗する奴全員殺してきたじゃないか。そうだろう!?」

「そう・・・ですね」


 先ほどの攻撃は冗談の一撃だった。もはや将弘にはそんな見っとも無い事を口にする事しか許されなかった。


 そんな将弘の顔は汗と涙が混じり合いぐちゃぐちゃになっていた。

 それでも懇願する姿は滑稽のそれだった。


 そして、顎に手を当て考えている大司教が口を開いた。


「では、今まで通り、私のお願いを聞いてくれませんでしょうか?」

「あ・・ああ!! もちろんだ! 何だって聞く! 何でも・・・!!」

「では、早速殺して貰いましょう・・・」


 では・・・。そう大司教が呟いて一歩踏み入れた時。

 二人の距離は間近だった。



「あんた自身を・・・です」


「・・・ぇ?」


 大司教の言葉が飲み込めなかった。聞き間違い、そうに決まっているはずだ。

 そうに違いない。

 自分の頭に流れる情報を全て取り払いながら正解の答えを導き出そうと思考を巡らせた。


「おや? 何をしているのです?」

「いや・・・、その・・・!!」

「やはりあなたは・・・非常に残念な方だ」


 手が、伸ばされていく。自分が見た光景のように、目黒がやられたように。

 大司教の手が・・・近付いてくる。





『おい、大丈夫か』


 もう終わりだ。自分は死ぬ。もうおしまいだ。

 そんな時に起きる物、走馬灯。


 一番に浮かんだのは・・・今も思い出すと将弘にとってただただ腹立だしい物だった。


 不良にボコボコにされたとある時、まだ中学2年の時の話だった。

 裕福に育った自分とは正反対の人間である者達にただ為す術無くボコボコにされていた。

 

 何故自分はこんな事をしているのだろう。その理由すらあやふやになる程に当時の将弘はボロボロにさせられていた。

 そんな将弘に声を掛けたのは・・・当時の藍だった。


『なんだてめぇは!!』


 怒鳴る不良を無視し藍は、顔面を殴った際に吹き飛ばされた眼鏡を手に将弘にそれを手渡した。

 そしてすぐに立ち上がり、自分よりも年上の高校生。人数もあっちが多く背丈も明らかに藍よりも大きい相手。

 藍は、ただ立ちはだかった。


 勝てる訳ない。そんな事が出来るわけない。

 当然だ。ならば、自分の身は自分で守るんだと将弘は自分に言い聞かせその場を離れようとした。


 すると突然、自分の足元に何かが落ちた。


 それは不良達に取られた自分の財布だった。

 恐る恐る振り返るとそこには藍が顔面血だらけになりながらもニカっと笑っていた。

 不良達の姿は無かった・・・。藍が一人で撃退したのだった。


 財布を拾い上げた時、ドサっと藍が倒れる音がした。

 仰向けになっている藍は、息を整え告げた。


『お前、すげぇーじゃん』


 それだけ告げて藍は気を失った。




 その言葉の真意は・・・将弘を苦しめた。

 凄い、凄いって一体何を示して言ったのか。


 考えれば考える程に・・・自分が惨めになっていた。


 本当に凄いのは・・・刻越藍じゃないかと、比べてしまうようになった。

 高校で再び再会した時、彼はまさに理想の自分。凄いと呼ばれる自分だった。


 自分を助けた・・・あの時の藍のままだった。






 



 走馬灯が終わりを告げると共に大司教の手が、将弘の首へと伸びた。


「ぁぁ・・・ぁあ・・・!!!」


 情けない声だと自分でも感じていた。

 あれから将弘は多くの力を手に入れた、はずだった。


 だが本質的な事は変わっていなかった、いやわからなかったのだった。

 今この時には大司教、あの時は不良の男達。

 力があっても無くても何も変わってない居ない・・・。


 強いて言うのであれば、決定的に違う物。



「んぁ・・・んー!!!」

 

 将弘は・・・首を絞められながらも背後に目線を送ろうと踏ん張る。


 自分が入ってきた扉、この礼拝堂の唯一の出入り口。


 将弘は期待をした。

 そこから来る、理想の自分を。

 未来視なんかでは視ることのできない展開を。


 自分を助けてくれるはずの・・・刻越藍を。


「残念ですが・・・刻越藍は、助けになんか来ません。何故ならあなたがその唯一の可能性を壊したからですよ」

「な・・・に・・!?」


 唯一の可能性?

 大司教の言葉が何故かすっと頭に入ってきた。大司教の言う可能性とはなんだ。


 未来視。

 刻印から視える、未来視には違いがあった。将弘にとってはその違いはランクだと考えていた。自分のように優れた刻印を持っていれば未来を多く視れるのだと思っていた。


「悲しいですよね・・・あなたが唯一生き残る術、それは・・・刻越藍を追放しないという選択肢だった。ようですよ」


 大司教の言葉に、将弘は目を見開いた。

 なんだそれは、それじゃあまるで自分がここで死ぬのは決まっていたようじゃないか、と。


 そして、それを回避する術、自分が生き残る術が・・・一番憎く嫌悪感に溢れる存在である藍であると。

 藍を仲間にしたままだったら・・・こんな結末にならなかったのか、と。



「ぅぅぅ・・・」



 もはや、何も言う事は無かった。

 考えることも無かった。


 ただ、将弘は・・・全てを諦めた。



「うあぁあああああああああああああああ!!!!!」



 全部・・・刻越藍が悪いのだと・・・決めつけて叫び散らかしたのだった。

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