第9話 思わぬ訪問者
三橋はやりがいをなくしていた。思い切って社長へ企画案をだしてはみたが、その後、何の反応もなく、日々指示される雑用ばかりをこなす自分の環境に嫌気がさしていた。今日も定時で帰宅すると、玄関の前で一人の女性が立っていた。
「あれ、君は・・・」
「お帰りなさい。早かったですね」
利恵が明るく言った。
「どうしたの?・・・よく、ここがわかったね?」
「探すのにちょっと苦労しました。三橋さん、お元気でした?」
「ええ・・・とりあえず中に入る?」
「はい」
三橋は利恵を部屋に入れると、コーヒーを差し出しながら聞く。
「利恵ちゃん、何か僕に用事でも?」
「うーん・・・自分の気持ちがはっきりわからないんだけど、とにかく三橋さんに会いたくなって来ちゃいました」
三橋は自分の気持ちを正直に話す利恵の純粋さをかわいらしく感じた。そして本当の妹のように感じはじめていた。
「そう・・・ありがとう。来てくれて。そうだ、明日、休みだから一緒に出掛けない?」
「いいんですか?」
「勿論!」
三橋は久々に笑顔で答えた。
翌日、三橋は利恵と一緒にショッピングへと出掛ける。無邪気に楽しむ利恵の姿を見て、知らず知らずに三橋も楽しみだしていた。
「三橋さん、今日はすごく機嫌がよさそうですね?」
利恵が笑顔で聞いてくる。
「何で?」
「いつもより言葉数が多い気がするから・・・よかったです」
「よかったって?」
「だって・・・三橋さんの家の前で待ってた時、三橋さん、すごく難しそうな顔して帰ってきたから・・・急に来て悪かったかなって思ってたんです・・・」
うつむきながら話す利恵を見て、三橋は自分の気持ちに変化が生じていることに気が付く。利恵に対しては素直に自分の気持ちを話せていることに気が付いた。うつむく利恵の頭を撫でて、三橋は笑顔で答える。
「迷惑なんて思ってないよ。本当に来てくれて嬉しかったよ」
三橋の言葉に利恵は満面の笑顔になり
「本当?よかった!三橋さん、喉渇いちゃった。どこかでお茶でもしませんか?」
と、言って三橋の腕を取り歩き出した・
三橋が利恵の宿泊しているホテルまで送ると、利恵は寂しそうに話し出す。
「あーあ、終わっちゃた・・・今日は楽しかったです。どうもありがとう」
「いいえ、こちらこそ楽しかったよ」
「三橋さん・・・私、明日、帰国します」
「そうなんだ・・・また、遊びに来てね、僕も日本に帰ったら連絡するから」
「本当ですか?私、待ってます。それじゃ、おやすみなさい」
利恵はそう言うと振り向き歩き出す。すると突然振り返り、もう一度三橋の前に立つと
「あの・・・三橋さんに話そうか迷ったんですけど・・・」
「どうしたの?」
「姉が悩んでいるんです・・・」
「桐島さんが?、どうかした?」
利恵はうつむきながらも意を決して言う。
「姉は三橋さんの出向は自分に責任があると言って悩んでいます。私もよくわからないんですけど・・・ただ、ちょっと気になって。三橋さん、何かご存知ですか?」
三橋は考えた。しかし、自分の出向と真由の間に何も関係がないことは間違いないと感じた。
「僕も良くわからないけど、ただ、僕の出向は桐島さんには関係ないことだから。お姉さんに会ったら気にしないで下さいと伝えてくれる。それと、今度是非、会って話がしたいとも伝えてくれるかな」
三橋が答えると利恵はうなずき、ホテルへ入っていった。三橋は帰り道でも、先ほどの利恵の言葉を考えていた。
「一体、何があったんだろう・・・」
今の三橋には何も知る由がなかった。
「ただいま!」
利恵が家に入ると真由に向かって言った。真由は驚いた顔で利恵の方へと駆け寄る。
「利恵!どこに行ってたの?何日も帰らないで、心配したんだから」
「手紙に書いておいたでしょ。しばらく旅行に行って来るって」
利恵は涼しい顔で答え、自分の部屋へと歩いていく。真由はその後を追いかけながらと尋ねる。
「ちょっと待ちなさい!どこに行ってたの?」
「どこって・・・海外」
「海外?海外のどこ?」
利恵は真由の方を見て答える。
「アメリカに行ってきた。私、三橋さんに会いに行ったの」
利恵の言葉に真由は卒倒しそうになった。
「今、なんて言ったの?」
「えっ、アメリカで三橋さんに会ってきたのよ」
利恵は平然とした口調で話した。面食らっていた真由だが我に返り、利恵の両腕を掴み
「三橋さんの様子どうだったの?」
と、真剣な眼差しで聞く。利恵はその様子に驚きながらも
「ええ・・・元気だったわよ。どうしたのお姉ちゃん・・・」
と、返事をする。利恵の言葉に真由も冷静を取り戻し
「そう・・・元気だった。それならいいんだけど・・・利恵、どうして三橋さんに会いにいったの?」
「自分でも良くわからないんだけど・・・ただ、何故だか三橋さんに会いたくてたまらなかったの・・・何でだろう?」
利恵は自分の胸を抑えながら真剣に悩んでいた。そんな利恵の姿を見て、真由は微笑みながら答える。
「利恵、あなた本当に恋しているのね」
「恋?」
「そう、あなたの初恋ね、三橋さんが」
「初恋・・・そうなのかしら?」
真由は利恵の頭を撫でると、ソファーに腰を下ろす。すると利恵があることを思い出し真由に近づきながら話す。
「そう言えば、三橋さんがお姉ちゃんに会いたいって言ったたよ」
「私に?ああ、社交辞令っていうのよ、それは」
「違うわ、会って話がしたいって言ってたもの」
「そう・・・何の用件だか聞いてる?」
「ううん、何も言ってなかったわ」
「そう・・・わかった。ありがとう」
真由はそう言うと、そっと飲み物に口をつけた。
真由は三橋の『会いたい』という言葉をずっと考えていた。
―「三橋さんは一体なんの用件があるのだろう?仕事?仕事だったら会社に連絡してくるはず・・・他に何か・・・」―
真由は三橋がただ真由に会いたいと言ってくれたと期待する自分を打ち消すかのように、他の理由を考えていた。すると真由の携帯電話が鳴り、あわてて電話に出る。
「桐島です」
「三島です。突然すいません」
真由は一瞬落胆するが我に返る。一体誰を期待していたのかと自分に言い聞かせて。
「ああ、三島さん。どうしたんですか?」
「桐島さん、今日、お会いできませんか?」
「今日ですか・・・すいません、予定が・・・」
真由が断りかけようとすると三島が遮る。
「桐島さん、三橋のことでお会いしたいんです。今日、時間取れませんか?」
真由の携帯電話を持つ手が一瞬震えた。
「・・・わかりました。どこに行けばよろしいですか?」
「以前お会いしたBARで十九時にお待ちしています」
「わかりました」
真由は電話を切ると、仕事を早く終わらせるために早速仕事に向かった。
三島は電話を切った後、三橋との会話を思い出す。
『どうした?アメリカで元気にやっているか?』
『まあな。三島、ところでひとつお願いがあるんだ』
『お願い?』
『桐島さんのことなんだが、彼女、俺の出向に責任を感じているみたいなんだ。お前、何か聞いているか?』
『いや、何も聞いていないが。それ本当なのか?』
『俺もわからない。だからお前、彼女に会ったら聞いてみてくれ。頼む』
三島は何度も首を振ると仕事に戻った。
「ははは、これって面白いでしょ。最近のお笑いは本当に奥が深いですよ」
静過ぎるBARの中で、三島の声が響いていた。真由は三島の話を黙って聞いていた。しかし、三島は何かに取り付かれたように一方的に話しつづけていた。
「あの・・・三島さん?」
「ああ、最近は体調もいいんですよ。仕事が忙しくて、なかなか飲みにも行けないのが原因ですかね?」
「三島さん!」
真由は自分の話を聞こうとしない三島につい声を荒げた。
「三島さん、私に話ってそのことですか?三橋さんのことって聞いてましたけど?」
真由の言葉に今まで笑顔で話していた三島の表情が真剣になった。
「桐島さん、そんなに三橋のことが気になりますか?」
「えっ?そういうわけではないですけど・・・だって、三島さんが三橋さんの話があるって言ったから・・・」
真由はうつむきながら答えると、三島は寂しげに笑いながら答える。
「三橋の要件がなければ、僕とは会ってもくれないですよね、そう、あなたが不倫までしてかばう男が三橋だから・・・しょうがないか・・・」
三島の言葉に真由は立ち上がり店を出て行く。しばらく三島は真由のいなくなった席を見つめていた。すると三島はグラスを一気に空けると外に出て行く。店を出ると店の壁にもたれてたたずむ女性を見つける。三島は近づくとそれは真由であった。
「桐島さん・・・」
真由はゆっくり三島を見るとその目には涙が溜まっていた。驚いた三島は真由に真剣な顔で話し出す。
「桐島さん・・・本当なんですね?あなたがかばう男性が三橋なのは?」
真由はそっと涙を拭うと空を見つめながら答える。
「どうして私に構うんですか?どうして私のことをそんなに気にしてくれるんですか?こんな不倫をするような女なのに・・・どうして・・・」
三島はゆっくり真由に近づくと、ささやくように語り掛ける。
「あなたがしていることには何か理由があるはず。そんなことは気にしません。ただ・・・三橋のことは気になります。あなたが好きなのは三橋なんでしょ」
「例え、あなたの言うとおりだとしても、私には何も出来ないんです・・・何も」
三島は辛そうに真由を見つめると一枚のメモ用紙を真由に差し出す。
「桐島さん、自分の気持ちを確かめて下さい。ここに行って・・・」
真由はメモを受け取ると、そこには三橋のアメリカの住所が書かれていた。
「三島さん・・・」
「今日はこれを渡したかったんです。僕はあなたの気持ちが整理出来るまで待ちます。だから、あなたが三橋への気持ちが整理出来るか会って確かめてください」
「三島さん、でも・・・」
真由がメモを返そうとすると、三島は真由の手を抑え
「お願いします。あなたのために、いや、僕のためにお願いします」
と、言って帰っていった。真由はしばらく三島の後姿を見つめた後、メモを見つめる。そしてポケットにしまい歩き出した。
三橋は雑用をこなす一方で、再度企画案の練り直しをしていた。
「三橋君」
突然後ろから声を掛けられ振り向くと、社長の清水が立っていた。三橋は驚き直立する。
「はい・・・何か御用でしょうか?」
三橋が答えると、清水は三橋が作成した企画書を手に取る。三橋は緊張した面持ちで清水を見つめた。
「三橋君、君は何故この会社に来たのかね?」
「ええ、自らの企画したイベントについて、全て責任を持って遂行したいんです。今まで本社では一部分をやらせていただきましたが、企画全体を取り仕切って成功させたいんです」
「でも、その分仕事は増えるし、責任も重くなるぞ?」
「構いません。全ての仕事に責任があることは承知していますし、苦労することはそれだけ自分が必要とされていると感じられます。仕事をやらせていただけることは幸せなことと自分は思っています」
「珍しいね。今の若い人は仕事は生きるための最低要件だと、感じていることが多いと思っていたが」
「・・・私の父は中小企業を営んでいましたが、大手企業の締め付けにより倒産しました。父の口癖は『仕事が出来ることは素晴らしいことだ。お前も仕事をするようになったら苦労しても回りに感謝して取り組め』でした。私は仕事がなくなってからの父が急に老け込んだ姿を見ています。そんな父を見て、私は怠けることは父に対して裏切ることだと感じます」
熱く語る三橋を見て、清水は微笑み
「そうか。その考えを大切にして頑張りたまえ」
と、言うと、部屋を出て行った。三橋は清水に頭を下げた後、仕事に戻った。清水は歩きながら付き添いの秘書に指示する。
「三橋君の本社での業務履歴を調達してくれたまえ」
真由は三島から貰った三橋の住所が書かれたメモを見つめる日々が続く。ふと会社の掲示板を見るとアメリカでのバイヤー向けセミナーの開催が掲示されていた。その開催場所は三橋の住所の近くであった。真由はメモを握り締めるとデスクに戻った。
「アメリカに出張かね?」
長田が何かを疑う目つきで真由に尋ねる。
「はい。今回のセミナーに出席して、自分の見聞を広めたいと思います。ご承認願います」
「理由はそれだけかね?」
「・・・何を疑っているのですか?」
真由は怪訝な顔で聞き返す。
「まさか、三橋君に会いに行くわけではないよね?」
「三橋さん?彼の居場所など知りません。部長、ご承認いただけないんですか?」
長田は書類を見つめなおすと、黙って承認をした。
「純粋な気持ちだと信じるよ。行って来い」
「ありがとうございます」
真由は一礼すると自分の席に戻る。そしてポケットに入っているメモを握り締めた。
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