第7話 何故行ってしまうの?

真由は自分の気持ちを抑える日々が続いた。利恵の気持ちも知ってしまった以上、自分はどうすればよいのかわからなくなっていた。

「桐島君、ちょっと来てくれ」

長田に呼ばれた真由は無表情のまま長田の後を付いて行く。

「お呼びでしょうか?」

「おいおい、どうしたんだ?そんな怖い顔して」

「何でもありません」

真由は長田の目を見ずに答える。そこに偶然三橋が通りかかる。三橋は二人を見ると会釈して通り過ぎる。真由は知らず知らずに三橋の後姿を見つめていた。その様子を長田は見て真由に語りかける。

「桐島・・・お前、三橋君に気があるのか?」

「えっ、そんなことありません」

長田の言葉に我に返った真由は慌てて答える。

「本当か?お前の様子がおかしいのは三橋君のせいでは?」

「もう、その話は止めてください!」

真由は思わず声を荒げてしまった。

「桐島・・・」

「す、すいません。私、失礼します」

真由は一礼すると走り去った。真由の様子から長田は三橋の気持ちを確信した。

「このままではまずいな・・・」

長田は独り言のように呟いた。


「以上になります。専務」

長田が専務への報告を終えると帰る仕度をする。すると専務は

「ああ、長田君、今度アメリカの子会社にイベントの勉強を兼ねて、一人出向させたいんだが、誰かいないかね?」

「イベントですか?それでしたらイベント企画部長にご相談されたほうが良いのでは?」

「そうなんだが、イベント企画部長は自分の部下を手放したくないだろ、それでなかなか選ぼうとせんのだよ。そこで君が良い人材を知っていればと思い、相談したんだが」

長田は考えるとあることを思いつく。

「専務、良い人材がいますよ」


「三橋君、ちょっといいかね?」

「はい」

三橋がイベント企画部長に連れられて会議室に入ると、そこには長田がいた。三人が席につくとイベント企画部長が話し出す。

「三橋君、今、米国の子会社がイベント企画を取り仕切れる人間を必要としている。そこで君に行ってもらいたい」

「えっ?」

三橋は突然のことで驚いた。

「いや、君に抜けられるのは正直言って辛いんだが、長田部長の推薦もあって君に決定したそうだ。まあ、勉強にもなるし、悪い話ではないと思う。どうかね?」

「その通りだよ、君の将来のために悪い話ではないと僕も思うよ」

長田も笑顔で言う。三橋は笑顔になり答える。

「ありがとうございます。不安もありますが、やりがいのある仕事だと思います。是非やらせてください」

「そうか、頑張ってくれたまえ」

長田が手を差し出すと、三橋も手を握り返し

「長田さん、ありがとうございます。期待に恥じぬよう頑張ります」

と、笑顔で答えた。


翌日、三橋は三島を呼び出す。

「どうした、急に呼び出したりして」

三島は不思議そうな顔で聞く。

「今度、米国の子会社に出向することになったんだ。お前には知らせておきたくてな」

「子会社へ出向?それって」

「左遷ではないぞ、自分でも望んでいたんだ。あまり大きな組織では自分の役割も小さいから、もっと責任感のある仕事がしたいと思っていたんだ。だから快諾した」

三島は三橋の表情から嘘を言っていないことを感じた。

「そうか、お前が納得しているなら喜ばなくちゃな。そうだ、今度、みんなで送別会をやろう!いいだろ?」

三橋は微笑みながら首を横にふる。

「ううん。せっかくだけど断るよ。出向というだけでみんな気を使うし、それに向こうで役立たずになって、すぐに帰ってくるかも知れないから・・・」

「三橋・・・」

「本当にいいよ。気を使ってくれてありがとう。感謝する」

三島は辛そうな顔をしていたが、すぐに笑顔になり

「わかった。それじゃ二人だけでやろう。それならいいだろ?」

と、三橋にグラスを差し出す。三橋も笑顔になってグラスを合わせた。


三橋は出向の準備に追われていた。今日も引継ぎでお客様のところへ外出するため、会社の玄関を出た。すると、ちょうど帰社した真由と鉢合わせする。

「桐島さん・・・こんにちは」

三橋はうつむき加減で挨拶する。すると真由もうつむきながら答える。

「こんにちは。これから外出ですか?」

「ええ、ちょっとお客様にご挨拶を」

「ご挨拶?何かあったんですか?」

真由は不思議そうに聞き返す。三橋は慌てて手を振り答える。

「いや、たいしたことではないんです・・・それじゃ、お元気で」

「・・・お気をつけて」

二人はあやふやなまま別れた。三橋は何故か出向の話を真由に出来なかった。真由も不思議そうな顔で三橋の後姿を見つめていた。


「久しぶりね。二人で飲むのも」

君江は三島に笑顔で言った。

「そうだな。最近、桐島さんや三橋が一緒の時が多かったからな」

「そうそう。たまには同じ会社同士もいいわね、ところで三橋さん元気?」

「ああ、あいつ来月から米国の子会社に出向するらしいよ」

「出向?」

「そうなんだ・・・寂しくなるな・・・」

「それで、みんなには会っていくの?」

「俺も送別会をやろうと言ったんだが、あいつすぐに帰ってくるかも知れないからいいって」

「そうなんだ・・・三橋さんの出向を真由は知ってるのかな?」

「・・・知ってるだろ、同じ会社なんだから」

「そうよね・・・まあ、あなたも元気出しなさいよ!」

君江は笑顔で三島の肩を叩く。

「わかったよ」

三島も苦笑いしながら答えた。


出発当日、三橋は会社の玄関に立ち、振り返る。何かやり残した感じが三橋を覆っていた。しかし、首を振りそのまま出発する。その頃、真由は仕事が一段落し、君江に電話をかける。

「君江?どう、お昼でも?」

「真由、あなた今、どこにいるの?」

「どこって、会社に決まっているじゃない」

「何で?見送りに行かないの?」

「見送り?何のこと?」

「嫌だ・・・あなた聞いてないの?今日、三橋さん、アメリカに行くそうよ」

「えっ?アメリカ?」

「そう。アメリカの子会社に出向になったって。あなた同じ会社にいて何やっているの?もしもし?真由!聞いてるの?」

真由は君江の声が遠くに聞こえるほど動揺した。そのまま電話を切り、真由は辺りを見渡しながら呟いた。

「三橋さん・・・どうして・・・」

すると、真由は走り出した。


「じゃあ、行って来るよ」

空港まで見送りにきた三島に三橋は話す。

「頑張ってこいや、たまには帰ってこいよ」

「うん。わかった」

「それにしても、桐島さんは見送りに来てないのか?」

三橋は一瞬、表情を曇らせながら話す。

「実は彼女に言ってないんだ・・・」

「何で?」

三島は不思議そうに聞き返す。三橋は微笑みながら答える。

「何となく言いそびれて・・・三島、後でこれを渡してくれ」

「これは?」

「今までお世話になったお礼を言えてないから・・・頼む」

「・・・わかった」

三島は何とも言いようのない表情で答えた。

「それじゃ、元気で」

三橋はそう言うと手を差し伸べた。三島も黙ってうなずき握手をする。三橋は笑顔を見せ、出発ロビーへと向かった。三島は振り向き、歩き出すと一人の女性が走りながら向かってきた。

「あれ、桐島さん?」

三島は真由の方へ走り寄ると、真由も三島に気がつき、走り寄ってくる。

「三島さん!三橋さんはもう出発しちゃったの」

「今、所持品検査を受けていると思うよ」

三島がそう答えると真由は猛然と走り出す。

「桐島さん!」

三島はその後姿を驚いた顔で見つめた。真由は出発ゲートに来ると三橋を探した。するとちょうど鞄を肩から下ろし、検査台に置こうとしている三橋を見つけた。

「三橋さん!」

真由は大声で三橋を呼んだ。三橋は驚いて振り返り真由を見つける。

「桐島さん・・・」

三橋は真由を辛そうに見つめると、真由は涙を必死に堪え、無理に笑顔を作りながら「頑張ってきてね!」

と、手を振りながら叫んだ。三橋も笑顔になり手を振り返し

「行ってきます!」

と、答え、空港内に消えていった。真由は三橋の後姿をいつまでも手を振りながら見送った。


三橋が見えなくなると、真由は振り返り、トボトボと歩き出す。そんな真由の前に三島が現れる。真由は無表情で見上げると、三島は手紙を差し出す。

「これ、三橋からあなたに渡してくれと頼まれたものです。読んで下さい」

真由は手紙を無表情で受け取ると封を切り、読み出す。


『桐島様、私は米国の子会社で頑張ることになりました。何となく言いそびれてしまい、この手紙を書いています。桐島さんには個人的にいろいろお世話になり大変感謝しています。何故か女性恐怖症の私が、あなたの前では不思議と自分を表現できたような気がします。これもあなたのご協力のお陰です。私があなたに何かしてあげられたことが無いのが残念です。米国で一回り大きくなって、是非この恩返しをさせていただきます。それではお元気で。 追伸、個人的なことでいろいろ勝手を言ってしまい申し訳ありません。桐島さんが決めたことですから、何か理由があることと思います。正直な気持ちをこれからも尊重してください。私自身、お力になれず申し訳ない気持ちで一杯です。』


真由は手紙を読み終えると涙が自然と溢れ出した。自分は三橋のために長田との不倫関係を承諾した。その三橋が自分に何も言わずに米国に行ってしまった寂しさと、自分のことを心配してくれていたことへの感謝の気持ちが複雑に混じり、何故か涙が止まらなかった。しかし、本当の涙の理由は三橋にもう会えないことへの寂しさであることを真由自身わかっていた。必死に声が出るのを堪えながら泣く真由の姿を三島は辛そうに見つめ、真由が泣き止むまでその場で待っていた。しばらくして真由が泣き止むと、三島はそっと呟く。

「あなたがかばっている男性は・・・三橋なのではないですか?」

真由はうつむき黙ったままであった。三島は続けて

「教えてください。どうなんですか?」

と聞く。真由はうつむいたまま

「そんなことありません。ごめんなさい。帰ります」

と、一言言って歩き出した。三島は複雑な気持ちで真由の後を見送った。


アメリカの子会社に出勤した三橋は意気揚揚と仕事に取り組む。しかし、渡される仕事はどれも雑用ばかりであった。。

「三橋君、この資料の宛先を封筒に印刷してくれ」

新しい上司である小峰有一に三橋は呼ばれる。

「わかりました。あの、封筒印刷だけでよろしいんですか?」

「そうだ、他に何か?」

「いいえ。わかりました」

三橋は席に戻り、宛先リストから印刷の準備をする。まだ来たばかりだからしょうがないと自分に言い聞かせ、黙々と雑用をこなした。その様子を小峰は不適な笑い浮かべて見ていた。そして電話をかける。

「小峰です。・・・ええ、雑用を必死でこなしていますよ・・・・わかりました。しばらく続けます」

小峰はそう言うと電話を切った。


真由は三橋のことをなるべく考えないようにしていた。周りが何かあったのかと思うほど仕事に没頭していた。

「桐島君、ちょっと会議室へ来てくれ」

「はい」

真由は長田の後について会議室に入る。長田は椅子に座ると真由を見つめる。真由はたったまま長田をまっすぐ見ていた。

「桐島君、随分仕事に肩入れしているが、何かあったのかね?」

「何もありません」

真由は無表情のまま答える。長田は座ったまま続ける。

「三橋君の様子が報告されたよ」

『三橋』という言葉に真由は敏感に反応した。すると長田は不適な笑みを浮かべ話し出す。「そんなに三橋君が気になるかね?三橋君がいなくなって寂しいかね?」

「そんなことありません」

真由は長田から目をそらし答える。

「そうか、それならばよかった。三橋君の出向は私が薦めたのでね。君に恨まれていないかと心配していたんだよ」

「三橋さんの出向を長田部長が・・・何故です?」

長田の言葉に真由は驚き、聞き返す。

「それは三橋君の今後のためを思ってに決まっているじゃないか。彼の将来を考えてのことだ」

長田が笑いながら答えると、真由は怪訝な顔で聞き返す。

「それでは私との契約も不要ですね。もう彼への影響はないということではないですか?」

「それはどうかな?」

長田が不適な笑みを浮かべて答える。

「三橋君のアメリカでの上司は私が過去に世話した男だ。彼は何でも言うことを聞いてくれる。私を怒らすと彼に何を指示するかわからないからね」

長田は真由に近づきながら話す。そんな長田の目を真由は睨みつける。

「それじゃ、彼をここから追い出して、更に苦しめるんですか?何のために?」

「君のためでもあるし、私のためでもあるかな?まあ、君との関係は今後も続くことになりあそうだね」

長田はそう言うと会議室を出て行った。残された真由は唇をかみ締める。三橋は自分のせいで出向させられた。長田の口調では向こうで何をやらされているかわからない。真由は三橋の将来まで自分が変えてしまったような気がした。

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