第2話 リンガル=ジュ

 リンガル=ジュ〈竜の眼を持つ人〉たる少年は、こちらを見てすぐに縮こまった少女を見て、申し訳なく思った。彼はなんら誰かを脅かそうという意思を持っていないが、この眼を見ると皆一様に怯えてしまう。だから、彼は極力人と目を合わさないようにしていたし、里の人々も決して彼の顔を見ようとはしなかった。それはこのジンヒル=リー〈神秘の里〉の決まり事でもあったが、この眼が持つ圧力がそうさせている部分もあるだろう。


(だから、人前は苦手なんだけどな……)


 うっかりため息をつきかけて、少年は慌てて口を結び直した。今はお勤めの最中だ。うまくやらなければ父を落胆させるだろう。少年はチラリと輿の近くに控える石鈴を持つ男を見た。他の人々と同じように、目を伏せている。そのことが、胸に小さな痛みを与えた。


 カラン、カラン、カラン。


 再び石鈴の音が鳴り響く。少年は深呼吸を一つして、真っ直ぐに前を見据える。これからこの一年の気候や作物の実りなどを『視る』のだ。祭祀にはシムツー=ジュ・オルグ〈普通の人の国〉からきた竜官も訪れている。これから彼が発する一言で、彼の国の内政の方向性が決まるのだ。気を引き締めなければならない。


「リンガル=ジュ〈竜の眼を持つ人〉からの御言葉である。皆心して聞くように」


 少ししわがれながらも厳かな声色に、人々は一層深く頭を下げる。皆聞く準備が整ったのを見て取ると、父はこちらを振り返り軽くお辞儀をした。

 少年は口からゆっくりと息を吸う。竜の眼を持っていると、時折植物や動物から萌黄色の粒のようなものが飛んでいるのを感じることがある。それが何か、誰かに明確に教えを乞うたことはないが、生命力のようなものだと理解している。その命の力を体に取り込むような感覚で呼吸を行えば、頭の中にいくつもの玉が押し寄せてくる。玉の中には様々な像が浮かぶ。明日の天気であったり、誰かの告白場面であったり……どんな玉が現れるかを完璧に統制することはできないが、現れた玉から見るものを選択することはできる。大抵大きな自然現象などが予測される時はそういう玉が出てくるので、祭祀では重点的にその辺りを取り上げている。少年は乾いて作物が萎れた様子の玉と、豊富な雨により作物が元気よく育つ様子の玉の二つに注目した。


「今年は豊作にも凶作にもなりうる。雨季の前の乾季が長引く傾向があるため、対策を講じなければ雨の降る前に作物が干上がるだろう。事前によく水を蓄えておけば、その後の豊富な雨によりいつも以上の実りを得るだろう」


 まだ声変わりもしていない、高く澄んだ声。告げられた内容に、何人かの顔がパッと明るくなった。彼らがこの度訪れた竜官だろう。ジンヒル=リー〈神秘の里〉は豊富な湧水があるため、あまり天候によって一気一憂することはないから。嬉しさのあまりつい顔を上げてこちらに尊敬の眼差しを投げかけた若い竜官が、我に返り慌てて顔を伏せたのを見て、フッと口元が緩んだ。自分のお告げで喜んでくれる人がいることは、確かに嬉しいことであるのだ。

 少年は、和やかな雰囲気の竜官たちの中で、一人だけ不満げな顔つきの者がいることに気付いた。年は少しばかり老いており、四十代といったところだろう。胡散臭そうな視線をこちらに向けている。見覚えのない顔だが、まさかこの歳で初めて祭祀に訪れたのだろうか。普通は若いうちに見聞を深める意味で、皆こぞってこの役目を希望すると聞いている。つまりこの男は、そんな熱意溢れる若者ではなかったということだ。男は遠目とはいえずっとこちらを見たままでいる。たまにこの眼を見ても、怯まない者が存在するのだ。感覚が鈍感とでも言おうか。少年は中年の男の目を意識して見た。その瞬間、彼に関する玉がいくつか脳内に押し寄せてくる。耳をほじりながら年配者の話を聞く姿、自分より若い者に仕事を押し付ける姿、そして倉庫のような場所から貴重品を持ち出す姿。彼は思わず顔をしかめた。


「横領はあまり、褒められたことではないと思うが」


 集まっていた人々が揃って頭をもたげる。皆一様に目を丸くしており、隣にいる者とひそひそと言葉を交わす者もいる。竜官たちも戸惑っているようだ。落ち着きなく互いを見合わせている。たった一人の男を除いて。

 中年の男は逆に俯いて縮こまっていた。だらだらと脂汗を流しているようだ。

 父が石鈴を少し忙しなく鳴らした。人々はハッとしたように口をつぐみ、再び頭を低くする。


「リンガル=ジュ〈竜の眼を持つ人〉、今のお言葉はどういう意味ですか?」

「そこの竜官に聞くとよい」


 父の問いかけに答えると、一斉に視線が中年の男に集まった。びくりと男が背を仰け反らせる。ピクピクと痙攣する頰はすっかり血の気が失せて青白い。


「な、な、何をいうのだ突然」


 声が裏返りながらも反論してくる様子に、乾いた笑みが漏れる。少年は頬杖をついてあえてゆったりとした口調で告げた。


「この眼は未来だけでなく過去も通り見る。不恰好に否定するより、潔く認める方が罪も軽かろう」

「な、な、何をぉぅ……」


 今度はそのぶくぶくと太った顔を真っ赤に染め上げ、男は顔を歪ませる。挑発は済んだ。あとは里の者がやってくれるだろう。少年は黙って笑みだけを浮かべた。ついに、唾でも飛びそうな勢いで男が叫び出す。


「はっ! 竜の眼か何か知らんが、態度のでかい小童め! 十かそこらのくせにでたらめで年輩を貶めようとは……うぐっ」


 男はあっという間に数人の里人に取り押さえられた。人々は未だ振り返りその男の様子を見ている。少年のいる場所からは皆の背中しか見えなかったが、雰囲気で冷たい視線を浴びていることが察せられた。少年は小さく息を吐いた。


「祭祀に必要なことは済んだ。戻るぞ」


 父がこちらへ向き直り、両手を重ね合わせてお辞儀をする。それを合図に担ぎ手たちがさっとやってきて、軽々と輿を持ち上げ方向転換した。

 輿独特の揺れを感じながら、少年は自分の言葉の重さを今一度噛み締めた。後方からはまだ喚き声が聞こえる。男の行く末は、もう決まっている。胸の中に重苦しさが尾をひいた。

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