現実8
あんたは何者だ?
今朝起きてすぐに、審は姫乃風花にDMを送った。昨晩、姫乃風花が審の形成した夢を見ていなかったからだ。それはつまり、姫乃風花が目覚めていないにも関わらず、審にツイッターのDMを送ったことになる。現実的に考えて、それは有り得ない。姫乃風花を騙った第三者が審にコンタクトを取ってきたと考える方が合理的である。
姫乃風花のことが気掛かりで、審はせっかくの休日を携帯画面との睨めっこに終始していた。中々帰って来ないDMに苛立ちながら、審はあらゆる可能性を考えた。だが、一向に答えが出ることはなかった。
いつの間にか居眠りをしてしまっていた審は、窓枠が部屋の壁に夕焼けをくりぬいた影を映しているのに気付いて憂鬱になった。
「何やってんだか、俺は」
一度大きな欠伸をし、審は現在時刻を確認しようと携帯を手にした。すると、姫乃風花からDMの返信が来ていることを知らせる通知が表示された。急速に目が冴え渡った審は、急いでツイッターのアプリを起動し、DM欄を確認した。確かにそこには、姫乃風花からのメッセージが届いていた。
DMの内容はこうだった。
砂田審様
質問の意図を把握しかねますが、私が何か不都合を働いてしまったのでしょうか?
だとしましたら、大変申し訳ないことをしてしまったと思います。
誓って私は、あなたを騙そうとしているわけではありません。
その証明をしたいのですが、本日お時間ありますでしょうか?
ツイッターとは別のアプリにて、通話させていただきたいと思うのですが、如何でしょうか?
その際、私の顔をあなたにお見せしたいと思います。
私のことがまだ信用できないということでしたら、私だけが映像を映し出すということで納得いただけないでしょうか? あなたは私に顔を晒す必要はありません。
このメッセージを確認されましたら、どうかご返信いただけると幸いです。
重ね重ねお手数をお掛けしますが、よろしくお願い致します。
審は姫乃風花からのメッセージに、首を捻った。自分が正真正銘、姫乃風花であると言い張る内容だったからだ。だが、間違いなく前夜に審は、姫乃風花が目覚めていないことを確認した。自分の能力のことだ。解釈し違えることはないはずだ。
審が姫乃風花を姫乃風花だと判断するにあたっての基準は、当然手紙に添えられていた顔写真と一致していることだ。まだ通話をするには早すぎる。審は姫乃風花と通話することが危険であることは十分承知しているが、相手は審にまで素顔の共有を強要しているわけではない。
審は自分が短絡的な思考に陥っていることは自覚していたが、好奇心が先行して姫乃風花にDMを返してしまった。もちろん、その内容は肯定的なものである。
今日はいつでも空いています
審がそう返信し終えて一分が経たないうちに、姫乃風花からDMが届いた。
ありがとうございます。ここに招待URLを貼っておきますので、こちらのパスワードを使って入ってください。
審は姫乃風花の返信速度に驚きながら、送られて来たURLをタップした。すると、専用の画面に移行し、参加用のパスワードを求められた。姫乃風花が用意したパスワードを打ち込むと、画面が一瞬真っ暗になり、すぐに通話が開始された。まだ姫乃風花の顔は表示されていない。相手の反応を待っていると、やがて画面越しから音声が発された。
「こんにちは。聞こえますか?」
女の声で呼びかけられ、審は答えた。
「はい。聞こえてます」
「あ、良かった。じゃあ、映像に切り替えますね」
そう言うと通話相手は、宣言通り自分の顔を映した。
「……あなたが、姫乃風花、さん?」
審が恐る恐る訊くと、相手は画面上で頷いた。
「そうです」
「……本当に、居たんですね」
審は拍子抜けした。そこには紛れもなく姫乃風花が映っていた。手紙に貼り付けられていた写真に写っていた顔と寸分の狂いはないように見える。
「もちろん、居ますよ」
姫乃風花は口元を押さえながら笑った。相手も携帯で通話しているのか、ほとんど顔しか映っていない。
「あんたは何者だって言われたんで、ちょっと焦っちゃいました」
「……あぁ、その節はすみませんでした」
「いえ。きっと、あなたに思うところがあったんだろうなって思うので」
「……それは気のせいだったんだ、と今は解釈しておきます」
審は困惑しながら、今目の前に姫乃風花が存在している理由に頭を回した。
今自分が相対している姫乃風花は、姫乃風花の双子か? もしかすると、姫乃風花の記憶に同期したと思っていたのは、全く別の人物だった可能性がある。夢の中で鏡が出てこない限り、審は記憶の体験者の姿を見ることはできないからだ。でなければやはり、姫乃風花の夢に自分の夢が今も被さっている理由を説明できない。
「あの、砂田さん」
審が思考の海に潜っていると、姫乃風花が言った。
「本当に、ありがとうございます。あなたのおかげで、とても助かっています」
「え? あー、それは良かったです」
「知り合いが自分の夢に潜り込んできて、とても困っていたので」
「……そういえば、あなたも夢にまつわる能力があるんでしたよね」
「はい。自分の見たい夢を創ることができるのですが、誰かに覗かれてしまっては私の本心がバレてしまうので」
「それは確かに」
「砂田さんが夢を創ってくれたおかげで、本当に知り合いが私の夢に干渉して来なくなったんです。実は、最初はあなたの能力に半信半疑な気持ちを持っていたんですよ。ごめんなさい」
「それに関しては大丈夫です。俺の能力が現実に存在すると思う人なんて、よっぽどの変わり者しかいないでしょうから」
「……それってもしかして、私のこと言ってます?」
「どうでしょうね」
審がそう言うと、姫乃風花はころころと笑った。
「本当に、あなたのような人がその能力を持ってくれていてよかったです。本当は、手紙を送るときも賭けだったんです」
「見ず知らずの人間によくお願いできるな、とは確かに思いましたね。手紙だって、十年も前に姿をくらました人間に届くとは限らないのに」
「ですよね。本当に、砂田さんに届いて良かった」
心底安心した様子の姫乃風花を見て、審は自分のやってきたことが無駄ではなかったんだと、少し思えた。こうやって実際に姫乃風花の姿を見たことで、審は親近感が湧いていた。
しばらくは審との談笑に興じる姫乃風花だったが、やがて真剣な表情をして審に訊いた。
「あの、砂田さん。本当に図々しいお願いなんですが、聞いてもらってもいいですか?」
「……内容によりますね」
「通話上でもこんな話をするのは、本当に図々しいとは思うのですが、また砂田さんにお願いをしたいんです。これが、最後のお願いです」
姫乃風花は切実な声で、審に言った。
「明日、ご予定はありますか?」
「……明日? いや、日曜日なので特には」
「……良かった。あの、よければ明日、私と会ってくれませんか?」
「…………あなたは動けない状態、だったと記憶していますが」
「明日からちょうど、身の自由が利くんです」
「……突然ですね。会うのは流石にまだ早い気がするんですが」
「そう思われるのは当然です。ですが、私があなたにお会いしたいと提案したのには訳があるんです」
姫乃風花はどこか緊張した面持ちで言った。
「あなたは、夢を見させる相手との距離が近いほど、創れる夢の数が多くなるんですよね?」
「……まぁ、そうですね」
「これからもずっとあなたに協力させ続けることはできません。どこかで区切りをつける必要があります。ですから、明日を最後にしたいと思ったんです」
「待ってください。もしかして、あなたに複数の夢を形成しろってことですか?」
「そうです」
「おすすめはできません。一度に多くの夢を見させてしまうと、現実と夢を混同してしまう恐れがある。それに、中には現実世界に戻って来たくないと思う人もいるんです」
「分かっています。それでも私は、あなたにお願いしたいんです」
「……そもそも、俺の現在地があなたの居住区域から離れていたらどうするつもりなんですか? 流石に日を跨ぐのは無理ですよ。学校があるので」
「あなたは私と同じ都内に居ると勝手に思っていたのですが、違いましたか?」
「……どうして俺の居場所を」
「砂田さんが在籍している高校の生徒がツイッターで呟いているのを見掛けたものですから」
姫乃風花の言葉に、審は思わず溜息を吐いた。やっぱり人間ってのは、喋りたがりだな。
「約束します。明日で、あなたにお手数をお掛けするのは最後にします。あなたにはお礼もしたい。是非、会ってくれませんか?」
姫乃風花は画面上で審に頭を下げた。姫乃風花に騙されている可能性はまだ否めない。ただ、ここまで彼女と話して、審は断る術を持ち合わせていなかった。
「……夢の数はほどほどにお願いしますよ」
審が言うと、姫乃風花はぱっと表情を輝かせた。
「ありがとうございます!」
姫乃風花は再び審に頭を下げた。姫乃風花の頭上が映し出されている画面に向かって、審は言った。
「あの、今更なんだけど」
「はい?」
「敬語、やめない? 俺、多分あんたと同じ歳なんだ」
審の言葉に、姫乃風花は可笑しそうに笑った。そして、すぐさま頷いた。
「そうだね。うん、敬語は止めにしよう」
姫乃風花は笑顔でそう言った。
通話を終える際、今晩で最後となる遠隔での夢形成を依頼された審は、それを全うするために就寝前、姫乃風花の顔を思い浮かべた。今まで顔写真に写っていた無機的な表情とは違って人間味溢れる表情を見せた姫乃風花を思い出して、きっと彼女のことを信頼しても大丈夫だろうと、審は思った。
審は気付くと、いつも通り姫乃風花の記憶を前にしていた。記憶にアクセスしようと、姫乃風花本人が印象に残っている記憶を探した。すると、いくつか同時に候補が上がった。彼女の人となりに以前よりも興味を抱くようになった審は、それら全てにアクセスすることにした。
一つ目の記憶に、審はアクセスした。
同期した姫乃風花は、茫然自失になっていた。目の前には、血の水溜まりに身を横たえる男の姿があった。
「お父、さん……」
姫乃風花は震える手で倒れ伏す男の背中を揺らした。
「お父さん!」
姫乃風花は今度こそ絶叫した。すると、近くに居た誰かが叫んだ。
「おい! トラックが逃げたぞ!」
姫乃風花はその声に反応して、今しがた父親を轢いたトラックが遠ざかって行くのを見た。叫んだのは若い男で、姫乃風花に近づいて来た。
「大丈夫かい? 今救急車を呼ぶからね!」
男は慌てた様子で病院に電話した。
これで記憶は途切れていた。
「……なんだこれ」
審は動揺しながら記憶の追体験を終えた。
「彼女にはこんな過去があったのか」
前夜、姫乃風花の家族が仲睦まじく誕生日パーティーを開いていたことを思い出した審は、何ともやるせない気持ちになった。あんなにも仲良しだった家族の一人が死んでしまって、姫乃風花はどれほどショックを受けたのだろうか。今日、画面越しに笑っていた姫乃風花を思い出して、審は知らずうちに息を止めていたことに気付いた。
審は他に浮かび上がってきた記憶に意識を馳せた。少し怖気づいたものの、意を決して審は次なる記憶の追体験を始めた。
姫乃風花は他人事のように目の前の光景を眺めている。自分の隣に座る女が、白衣を着た医者に何やら心配そうに話しかけている。ただ、姫乃風花の聴覚にはほとんど入って来ない。
「やはり、ショックが大きいようですね」
医者のこの一言だけが、姫乃風花がこの記憶の中で拾った唯一の言葉だった。それ以外はまるで真空の中に居るように、何も聞こえてくることはなかった。
短い追体験を終えた審の中で、姫乃風花という人間のイメージが二転三転した。あんなにも普通に話していた少女が、過去にまさかこんな経験をしているなんて。
審は浮かび上がってきた最後の記憶にアクセスした。ここまでくると、全て確認してやろうという気持ちになっていた。その記憶の中に居る姫乃風花と同期した審は、自分が小学校の廊下に居ることを自覚した。
小学校低学年ほどの少年と少女たちが、姫乃風花を取り囲んでいる。そのうちの一人が、姫乃風花の肩を小突いた。
「気持ち悪いんだよ、お前」
少年が嫌悪感を示した表情で、姫乃風花に言った。
「女のくせに、男みたいな喋り方するしよ。女は女らしくしろよ」
また別の少年が姫乃風花を睨みながらそう言った。
「たまにあんた、自分のこと僕って言うよね。それ、可愛いと思ってんの? みんなあんたがそうやってわけわかんないことしてるの気持ち悪がってるよ。いい加減気付いたら?」
「そうよ。僕って言ったり私って言ったり、マジ意味わかんない」
放っておいてよ、というのが姫乃風花が抱いたらしい感情だった。それには審も同意した。周りの人間には関係のないことだ。姫乃風花を嫌うのは個人の自由だが、だからと云って寄ってたかって言葉と身体をもって攻撃するのはあまりにも理不尽だ。
そう憤怒したところで、これもまた短い記憶の追体験を審は終えた。思わず溜息を吐いた審は、今晩姫乃風花に見せるための記憶を探した。それからいくつか記憶の追体験をした審は、最も姫乃風花の記憶に残り、かつ幸福度の高い夢を発見した。その夢の内容は以下のものであった。
姫乃風花は大勢の生徒や保護者らしき人間が見守る中、白雪姫に扮して体育館の舞台の上で毒リンゴを食べ、生気を失って倒れる演技をした。そこからずっと目を閉じている姫乃風花の視界は真っ暗だが、妖精に扮したクラスメイト達の会話が聞こえてきた。どうやら、滞りなく劇は進行しているらしい。
やがて白雪姫の死を嘆いて群がる妖精たちが、森に迷い込んだ王子に気付く反応を見せた。クライマックスが近づいていることに、姫乃風花は緊張しているようだった。
足音がゆっくりと近づいて来ると、目の前で誰かが自分の顔を覗き込む気配を感じた。それは王子のものに間違いなかった。先ほどまで歓声やら笑いやらが蔓延っていた体育館が、どこか緊張した色を帯びていて、会場の空気が張りつめているように思えた。
「白雪姫。どうか、目覚めておくれ」
聞き覚えのある声がしたかと思うと、口元に柔らかい感触があった。
姫乃風花は驚いて目を開けると、目の前で梵が自分にキスをしていることを理解した。梵はやがて姫乃風花から顔を遠ざけると、
「目覚めるにはまだ早いよ。白雪姫」
と言って微笑んだ。
「な、何やってんのよ!」
姫乃風花が抗議の声を潜めて上げると、体育館中がざわめいた。誰かが口笛を吹き、歓声があちらこちらから聞こえてくる。姫乃風花は自分の顔が熱くなるのを感じながら、気持ちよさそうに目覚める演技をした。演技がぎこちなくなりそうになるのを必死に堪えながら、劇の進行に差支えが出ないように努めた。その甲斐あって、無事に劇が終了したが、最後まで王子役である梵の顔をまともに見ることはできなかった。
記憶の追体験をして歯痒い気持ちを抱きながらも、審はこれを具現化の対象となる記憶に選定した。明日、姫乃風花の目覚めが良くなることを願いながら。
しかしやはり、記憶を具現化しようとしてみて、審は気付いた。案の定、昨日、一昨日と形成した二つの夢が、まだ残っていた。やはり、姫乃風花は未だに目覚めていない。それでも審は姫乃風花を信じてこの記憶を具現化した。
「良い夢見ろよ。白雪姫」
審は記憶の具現化を終えると、姫乃風花の記憶から撤退した。自分のしていることが正しいと信じて、誰かの役に立っていることを信じて。
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