夢iiiii
いよいよ文化祭が明日に迫った。このまま何でもないかのように夢の世界で日常を過ごしてもいいのだろうかと、僕は疑問に思った。
昨日のことがあって、僕は今日一度も風花と口を利いていない。別に喧嘩したというわけではないだろうけど、なんとなく話しかけるのが気まずい。心なしか風花も僕を避けているように思える。
明日が文化祭ということで、多くの生徒が暗くなっても学校に残って仕上げの作業をしていた。僕たちのクラスも例にもれず、まだ終えていない作業をみんなで協力して進めていた。
駿河はバスケ部のメンバーと楽し気にじゃれ合いながら、真面目なクラスの女子たちに咎められていた。けれど、やるときはしっかりとやってくれているため、大きな問題に発展することはなかった。そんな喧騒から一旦離れたくて、僕は廊下に出て窓の外を眺めた。冷たい夜風を心地良く感じながら、僕はぼんやりとした。
明日、凄まじい熱がこの学校で巻き起こることを考えれば、装飾された校舎は嵐の前の静けさを思わせるように、はっちゃける準備をしているのだろう。そのことをどこかで楽しみにしている自分が居るけれど、一方でこれが夢という名の虚構であることを理解してしまっている。あまりにもクオリティの高い偽物。この現実は嘘であって、風花はどうして目覚めるのを躊躇っているのだろう。数学の分野でも、虚数を扱う単元が存在する。存在しない数値を使って、さも存在しているかのように扱うことが滑稽に思えてしまうけど、それが数学の骨格を支えるものとして確立されているのだから、何かしらの意味はあるのだろう。けれど、この世界に意味はあるのだろうか。今学習している範囲よりも先取りして数学を勉強したとき、虚数であるiの二乗は、マイナス1になると知った。現実世界でマイナスはイメージし辛いけれど、元々あったものがなくなることを思えばマイナスというのは確かに存在していると云える。けれど、虚構を掛け合わせるとマイナスというのは、それはそれで救いようがないと思えてしまう。
そんな無意味な思考を馳せていると、僕と同じように窓の外を眺めている人物が隣に居ることに気付いた。そして、その人物と目が合った。
「なに黄昏れてるの?」
「……風花か」
こちらに微笑みかけて、風花が肘で小突いてきた。
「ちょっと、夜風にあたりたくなって」
「あはは。ダンスパーティーにうんざりした人が言うセリフだよ、それ」
「風花こそどうしたの」
「好きな人の隣に行こうって思うのに理由なんている?」
「…………」
「ちょっと、黙んないでよ」
「いや、いきなりだったから」
「どうせ梵のことだから、今の状況を何とかしようと必死で私の告白忘れてたでしょ」
図星を突かれた僕は、返答に窮した。
「まぁ、それが梵の魅力だったりするわけだけど。ちなみに、これって私が創った夢だから、この世界で梵に告白したってことは、現実世界でも梵のことが好きってことだよね」
「……そうなるのかな」
「そうなるねぇ」
風花はニヤニヤしながら僕の狼狽える様子を楽しんでいる様子だった。風花の言葉に狼狽しているのは確かだけど、普通に接してくれていることに僕は内心安堵していた。
「そういえば告白の返事聞いてなかった」
前言撤回。風花が突然思い出したように言ったので、僕は心中穏やかでは居られなくなった。
「で、どうなの? もうこの際だから聞かせてよ」
「……どうせなら文化祭の日に答えた方が良くない?」
「なーに女々しいこと言ってんの。そうやって先延ばしにしたいだけでしょ」
「……バレましたか」
僕が困惑していると、風花は笑った。
「うそうそ。梵がこういうの苦手だっていうのは分かってるから。これからも今まで通りよろしく」
風花はそう言ってはにかむと、僕に手を差し出してきた。僕はいつも、風花に気を使わせてばかりいる。唐突にそれを自覚して、僕は自分に腹が立った。だから、何を血迷ったのか、僕はらしくもないことをしてしまった。風花の手を握った僕は、風花を自分の方に抱き寄せた。きっと、文化祭という非日常なイベントが、僕の気を大きくしたんだろう。あろうことか、僕は風花の耳元に顔を近づけて、とんでもないことを口走ってしまった。
「僕が風花の王子様だったら良かったのに、って今更後悔してる。駿河に役を渡したくない。選んでよ、風花。明日、駿河を王子様にするか、僕を王子様にするか」
「……ど、どうしたの? ていうか梵を王子様にするって、私が劇を蹴るってこと?」
「そういうこと」
「……馬鹿。明日のために頑張ってきたんだから、蹴るわけないでしょ」
「そっか。それは残念」
「私を動揺させようとしたの? 回りくどすぎ。まだまだ甘いね」
「そう言う割には顔が赤いけど」
「う、うるさい!」
風花は耳まで真っ赤にしながら僕に背を向けた。
「ずるい。結局答えは教えてくれないし」
「答えは、目覚めてからじゃダメかな? 大事なことは、ちゃんと現実で伝えたい」
僕が言うと、風花は神妙な面持ちで振り返った。
「……うん。そうだよね」
風花は歯切れ悪く答えた。やっぱり風花は、何故か目覚めることを望んでいないようだった。昨日と同じように、少し気まずい空気が流れた。何か言うべきかと口を開いた瞬間、横から駿河の声が割り込んできた。
「俺からも頼むよ、風花。どうか目覚めてくれないか?」
僕と風花が同時に振り返ると、そこにはまたもジャージ姿の駿河が立っていた。
「……駿河」
「もう時間がない。誰かが風花の夢に干渉するのを妨げてるんだ」
「……え?」
昨日駿河から話を聞いた僕とは違って、風花は駿河の言葉の意味をかみ砕けなかったようだ。
「俺だけじゃない。風花の友達や母親も、風花が目覚めないままで居ることを悲しんでいるんだ」
駿河の言葉に、風花は苦しそうな表情を浮かべて言った。
「……私は、どうしてそんなに長く眠っているの?」
風花の言葉に、駿河は一瞬言葉に詰まってから、意を決したように言った。
「風花が乗っていたバスが事故に遭ったんだ。それで風花は、今日までずっと昏睡状態に陥ってる」
「……事故」
風花は頭を抱えながら、必死に記憶を探ろうとしている様子だった。駿河によると、僕の解釈は正しいようだった。
「ねぇ、駿河。この世界が夢だってことは、絶対夢感のある僕には分かっている。でも、この日常の一体どこに矛盾があるのか、それがどうしても見つけられないんだ。風花は本当に、一切の破綻なくこの夢を構築したの?」
僕の疑問に、駿河は一瞬目を逸らした。一度目を閉じて深呼吸すると、駿河は僕に真っ直ぐ目を向けながら言った。
「お前が気付くべき矛盾点は、今ここにお前が居ることだ」
そう言った駿河の表情は、どこか悲しそうだった。駿河の言葉の意味を咀嚼する前に、駿河の身体が透け始めた。
「梵、頼む。どうか風花を目覚めさせてくれ」
駿河の懇願するような言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
駿河の姿が完全に見えなくなってから、ずっと無言で佇んでいた風花が小さく呟いた。
「でも、やっぱり目覚めたくないな」
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