夢iiii

 文化祭が明後日にまで迫った。今日と明日は準備期間として、午後は文化祭の準備が行われることになっている。裁縫室では衣装係のクラスメイトたちが仕事に勤しんでいるらしい。器用さの欠片もない僕は、教室で大人しく宣伝用の看板の色塗りをしていた。他の人たちはポスターの絵を描いたり、案内用のチラシを考えたりしている。ちゃんと本番までに間に合うのかは、今の雰囲的に微妙なところである。

この世界が夢だということは、僕と風花にとって共通認識とはなっているものの、だからと云って風花が目覚めるための打開策は思い浮かんでいなかった。第一、本人は目覚めたくない様子だ。今朝風花と一緒に登校しても、風花が夢の話に触れることはなかったし、こちらから触れようとするのも躊躇われる空気感だった。

そもそも外界から風花が起きるための刺激がもたらされていないということは、もしかすると風花は病気で倒れてしまったのかもしれないし、何か事故に遭ったのかもしれない。つまり、誰も風花に触れてはいけない状況である可能性が高い。

「……事故」

 自分の思考を整理するために、その言葉を口にしてはっとした。

「もしかして、僕たちが乗っていたバスが事故に遭った。その時から風花は昏睡状態に陥って、今も眠り続けている。だとしたら、僕があの日バスに乗っていた途中から夢だと気付いた説明にもなる!」

 全てが繋がった気がして、僕は居ても立っても居られなくなって、風花のもとへ向かおうと思った。もうすぐ衣装が出来るとかで、風花は衣装室に居るはずだ。

 そこまで思い至ってみて、僕は持っていたペンキを乱暴にバケツに突っ込んだ。そして、教室を飛び出そうとした。すると、教室のドアを開けて駿河と風花が入って来た。駿河はハンドメイドの王冠を被って、王子様の衣装を着ていた。一方で風花は、再現度の高い白雪姫の衣装を身に纏っていた。あまりにも似合っていて、僕は思わず佇んだ。

「やべー、姫乃似合ってる!」

「霧雨くんかっこいい!」

「ちょっと二人とも、写真撮らせて!」

 教室中が二人の登場に歓声を上げた。二人は恥ずかしそうにはにかみながら、クラスメイトたちに携帯で写真を撮られた。

 やがて撮影会が終わると、風花は僕の視線に気付いて近寄って来た。風花はドレスの裾を摘まむと、照れた様子で僕を見上げて言った。

「どうかな?」

「……似合ってるよ。すごく」

「ほんと? 良かった」

 風花はほっとしたように微笑んだ。僕は風花の晴れ姿に見惚れて、先ほど思い至った重大なことを忘れていたことに気付いた。僕は我に返って風花にそれを伝えようとした。

「そういえば風花。この世界が夢だっていうことの話で、少し進展があったんだ!」

 僕が次の言葉を発しようとすると、風花は表情を暗くして言った。

「ごめん。その話は、聞きたくないな」

 風花はそう言うと、僕に背を向けて友達のもとへと向かった。僕はその様子を呆気に取られたまま眺めていた。すると、どこからか視線を感じた。振り返ると、駿河が僕を見ていた。気まずく思って教室から出ようとすると、駿河が僕の肩を掴んできた。突然のことに怯える僕に向かって、駿河は言った。

「お前、また風花を悲しませるようなことしたんじゃないだろうな」

「……分からない」

 僕が正直に答えると、駿河は小さく溜息を吐いた。

「まぁ、俺も最近、どういうわけか風花に避けられてる。知らないうちに、風花に何かしちまったんだろうな。今は人の事は言えねえや。だがな、これ以上風花を傷つけたら許さないぞ」

 王子姿の駿河に咎められて、僕は落ち込んだ。確かに、僕は風花の気持ちを考えずに行動してしまい、その結果風花にあんな表情をさせてしまった。自戒の意味も込めて、僕は駿河に頷いておいた。僕の首肯を見届けた駿河は、掴んでいた僕の肩を離した。

 僕は教室を出てお手洗いに向かおうとした。とにかく今は、一人で居たい気分だった。トイレは校舎の端であるため、そこに近づく毎に人気は少なくなっていった。

 やがてトイレに到着して用を足し、手を洗って廊下に出た。すると、そこには駿河が立っていた。その恰好はやっぱり、眠るときに着用するようなジャージ姿だった。

「駿河……」

 駿河は複雑そうな表情で僕を見据えると、こちらに近づいて来た。思わず身構えると、人一人分くらいのスペースを空けて、僕の前で立ち止まった。

「やっとここまでたどり着いた。フェイクの夢を搔い潜る方法が分かった」

「……フェイクの夢?」

 駿河の言葉を復唱した僕の肩を、駿河は掴んだ。先ほど夢の世界の駿河に掴まれたときよりも迫力があった。

「梵、頼む。お前の力が必要なんだ」

「……え?」

「風花が目覚めるには、お前が説得するしかないんだ」

「ど、どういうこと?」

「どうやったら風花は納得して目覚めることができると思う?」

「……それは」

「お前は風花の気持ちに気付いてるんだろ? だったら、それに応えてやるしかない」

「……駿河?」

「不意をついて、何か突拍子のないことをしてやるのも一つの手だ。とにかく、俺じゃあどうしようもできないんだよ」

「…………」

「お前、昔劇で白雪姫の王子役になっただろ。あの時、そうするふりで良かったのを、実際に風花にキスしてたよな?」

「……どうして今そんなこと」

「今お前が風花にキスしてみたらどうなると思う?」

「さ、さあ。そんなの分かるわけないよ」

「動揺するはずだ。だから、梵。風花にキスしてやれ。なんなら、それ以上のことをしてもいい」

「ま、待ってよ! 話が見えてこないよ! それに、駿河は本当に、僕が風花にキスしてもいいの?」

「……今は俺の気持ちに構ってる暇はないんだ。風花のためには、それが一番だ。頼む。眠りから覚めない風花を、お前が目覚めさせてやってくれ」

 駿河は僕の肩を掴んだまま項垂れた。すると、駿河の身体が透け始めた。

「駿河の身体が……」

「風花の夢にたどり着く前に、二つの夢にダイブした。おそらく、誰かが風花の夢に干渉して偽物の夢を用意したんだ。その夢を突破するための方法を模索して時間が取られちまった。ダイブできる時間に制限があったことは、お前も覚えてるだろう?」

「……偽物の夢」

「ただ、その夢は間違いなく風花が過去に体験したものだった。どういう原理でそれが夢になっているのか、俺にも分からん。とにかく、今日はここまでみたいだ。明日また、この夢に俺は現れる。今度は、風花の前に」

 意志のこもった目で僕を見つめながら、駿河は宣言した。そして、風景に溶け込むように駿河は姿を消した。

 教室に戻ってからも風花にはこの話をしなかった。なんとなく気まずくて、その日は風花と下校することもなかった。

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