現実6

 体育終わりの睡魔と戦っていた審は、教卓に立って授業を進めている教師をまるで別次元の存在のように感じていた。この世界は自分にとって他人事の現象なのではないかと錯覚していたところに、携帯の通知が鳴った。幸い鞄の中にしまっていたため、教師に気付かれることはなかったが、周りにいる何人かのクラスメイトからは視線を集めてしまった。

 教師の死角をついて携帯を取り出し、通知音を切った。なんとなく通知元を確認すると、なんと姫乃風花であった。どうやら、開設した自分のツイッターアカウントにDMが届いたらしい。そう気付いた審は、すぐにツイッターのアプリを起動し、メッセージ欄を確認した。


砂田審様

こんにちは。お手紙を書かせていただいた姫乃風花です。

正直、驚きました。あなたは本当に夢を形成することができるらしいですね。

私の不躾なお願いにまさか応えてくださるとは、正直思っていませんでした。

私のために夢を形成してくださったこと、ツイッターアカウントを開設してくださったこと。まずはそれらについてお礼をしたいと思います。ありがとうございます。

本当は今すぐにでも直接お礼をしたいところですが、訳あって私は今、動けない状態にあります。ですので、今回のことでのお礼は、また日を改めたいと思います。

さて、またしても図々しいお願いなのですが、あなたが昨晩作成してくださった夢の数は、一つだったと認識しています。間違っていたらすみません。

あなたの出版された書籍によりますと、おそらくは私とあなたの物理的な距離が、夢の創造数に制限をもたらしていることかと思います。

お手数ですが、今晩も夢の形成をお願いできませんでしょうか?

この件に関するお礼につきましては、後日必ずさせていただきます。どうか、もうしばらくだけお付き合いいただけますと助かります。

これ以上長いDMというのも煩わしいかと思いますので、最後にお伝えしておきたいことだけ記させてください。

手紙では書くのを失念していたのですが、私は基本的に午後九時以降は床に就いていますので、眠る時間まで配慮していただく必要はありません。もしもあなたがその時間帯よりも早くに就寝されるというのであれば、こちらの就寝時間を調整しますので、お気軽にDMをしてください。

重ね重ねご迷惑をお掛けしますが、どうかよろしくお願い致します。


 審はDMの内容を確認して意外に思った。どうやら姫乃風花は、本当に審の能力を必要としているらしかったからだ。荒唐無稽な話だと思っていたが、審は姫乃風花には込み入った事情があるのではないかと思い始めた。そして、自分が能力を使用したことで、文面上ではあるが確かに感謝されたらしいことに、審は静かに喜びを噛みしめていた。審を騙そうとする悪意が働いているかもしれないという疑いが拭い去られたわけではないが、少なくともやはり、姫乃風花という人物が記した文面からは、怪しい匂いがすることはなかった。こちらを振り回してしまっていることへの謝罪が適宜挿入されており、後日のお礼という点については信憑性を担保することはできないが、どういうわけか審は誠意が感じられるもの、という印象を受けた。

 動けない状態にあるという言葉が具体的に何を指しているのかは推察不可能だが、それも嘘だとは思えなかった。ただ、手紙に記してあった所在地が病院であったことは無関係ではないだろう。

審は普段、詐欺や欺瞞といったものに敏感で、些細なことにも気が付く性分である。そんな自分がどうして如何にも怪しい手紙やらDMやらに心を惹かれるのか分からなかった。心の奥深くにある過去への罪悪感の払拭に貢献することができるという甘美な贖いが、審をこうも突き動かしているのが、その最もたる説明になるだろう。それでもいい、と審は思った。

宗教やら詐欺やらに騙される人たちを見下して生きてきたが、当の本人たちは知能が低いわけではなく、今の審と同じように自分の核心を突くような演出をされてしまって、自覚しながらも諦観した結果自らドツボにハマっていくのだな、審は思った。

「だったら、とことん騙されてやろうじゃないか」

 その結果、もしも姫乃風花という人物が何らかの形で助かるのであれば、それに越したことはない。金品の要求に応じない限り、物理的な損失が発生することもない。突然姫乃風花が手のひらを返して審にSNSの脅威をもってして攻撃してこようものなら自業自得だ。そしてそれは、形のない精神的なダメージであるため、我慢しようと思えばできる。

審は折角見つけた拠り所を逃すつもりはすでになくなっていた。思えば夕人の接触によって、審は他人に自身の能力で貢献したいという思いが強まっていた。例えいつかネタばらしがされて自分が傷つくことになっても、少なくとも今は姫乃風花という人間が自分に対して本当に感謝しているかもしれないと思えている。本当に姫乃風花は、審に助けを求めているかもしれない。審は、その希望に縋って、姫乃風花のアカウントをフォローした。

「こんなに単純だったんだな、俺って」

 審は苦笑しながら、姫乃風花のDMに返信した。


 その日の晩、審は再び姫乃風花の顔写真を思い浮かべながら就寝した。すると、目の前に姫乃風花の記憶が視界一面を覆った。その中から、前と同じように、姫乃風花本人が印象に残っていると認識している記憶を抽出した。その記憶に焦点を当てると、審は記憶の中の姫乃風花と同期して追体験を始めた。

 目の前には昨日も姫乃風花の記憶に出て来た梵という少年がいる。ここはどうやら梵という少年の家らしい。如何にも少年らしいトミカやウルトラマンのフィギュアが窓際などに飾られている。今は二人でテレビを観ているらしい。

 ここまで一分にも満たない時間しか追体験を終えていないが、審は不自然に思った。というのも、前回姫乃風花の記憶を追体験したときは、梵という少年に対して恋心を寄せている感覚があったのだが、今回の記憶ではどうもそういった感情を抱いているわけではないらしい。今回の記憶ではどちらかというと、梵を純粋に友達として見ているのが姫乃風花の感情らしい。もしかすると、時系列的には前回の記憶よりも今回の記憶の方が前なのかもしれない。つまり、今回審が追体験している記憶では、まだ姫乃風花は梵に対して恋していない。しかし、前回見た記憶に至るまでの間で、姫乃風花は何をきっかけとしたかは分からないが、梵に恋心を抱くようになる。審が抱いた違和感の説明としては、これが一番しっくり来る。

「見てよ。最近話題になってる超能力者!」

 梵は興奮した様子でテレビを指さした。

 姫乃風花はそれに従って視線をテレビに移すと、そこにはなんと、幼き頃の審が映っていた。どうやら、審の能力を被験者に試す企画らしい。審は少し複雑な感情を抱いた。

「すごいよね。僕たち以外にも夢の能力を持ってる人がいるなんて。一回会って話してみたいなぁ」

「うん。そうだね」

 口ではそう言ったが、どうやら姫乃風花はそれほど審に興味を示しているわけではないようだった。それがまさか時を経て審に手紙を送ることになるなんて夢にも思っていなかったことだろう。

 兎にも角にも、姫乃風花が審をテレビで見たというのは本当だったらしい。また、姫乃風花の視界から見える梵の姿は、テレビに映る審と同年代のように見える。つまり、梵や姫乃風花は、今の審と同じく高校生である可能性が高い。昨日と今日の連続で小学生のフォルムをした登場人物たちを見るに、姫乃風花は幼少期に印象的な思い出を残している様子だ。

 それにしてもやっぱり、どこか違和感がある。この違和感はどうにも審には言語化できなかった。ただ、前回と今回では、姫乃風花が記憶に対して抱いている感情が全くもって異質なのだ。この世界を見聞きしている受け手自体がまるで違うような、そんな感覚がある。

「あ、そうだ。海斗、最近新しいフィギュア買ってもらったんだ」

 梵が突然こちらを振り返って言った。姫乃風花の視界には、目を輝かせた梵の姿がある。姫乃風花はそんな梵の様子を微笑ましく思っている様子だったが、果たして海斗とは誰のことだろうか。姫乃風花の視界は、テレビと梵を往復しているだけで、この記憶における視界が狭い。従って、審が知覚している範囲内に海斗という人物はいない。つまり、こちらを見ている梵は、姫乃風花の背後に向かって呼びかけていることになる。海斗というおそらくは同年代の少年に、姫乃風花は目を向けることはなかった。審は海斗という新たな登場人物の姿を確認することのないまま、追体験を終えた。

「姫乃風花の目覚めを良くするには微妙な夢だな」

 審はそう呟くと、別の記憶を探し始めた。すると、すぐに新たな記憶が見つかった。審はその記憶にアクセスし、追体験を始めた。

 目の前に眠っている犬の姿があった。姫乃風花は悪戯心を持ちながら、その犬の頭にカラフルな三角帽子を被せた。それでもすやすやと眠り続ける様子がおかしくて、姫乃風花は口元を押さえながら笑った。

「風花、ケーキ食べるよ」

「うん!」

 犬と同じ三角帽子を被る女に呼ばれた姫乃風花は、ワクワクした気持ちでテーブルについた。どうやら、彼女は姫乃風花の母親らしい。父親らしき男は、機嫌良さげにホールケーキに蝋燭を差している。蝋燭の本数は四本で、どうやら姫乃風花が四歳になる誕生日の記憶らしい。

「じゃあ、電気消すよー」

 母親の掛け声とともに部屋は真っ暗になった。父親が蝋燭に火を灯すと、蝋燭の明かりが家族の顔を照らした。

「せーの」

 姫乃風花の掛け声とともに、家族全員でハッピーバースデーの唄を歌い始めた。

「「ハッピーバースデーディア風花」」

 両親の祝福を受けて幸福値が最大になった姫乃風花は、逸る気持ちを抑えながら唄の終わりを待った。

 やがて全員の拍手とともに「おめでとう」の祝福を受けた姫乃風花は、待ちに待った様子で蝋燭の火に力強く息を吹きかけた。

 蝋燭の火が消えたことを確認した母親は、部屋の電気をつけた。部屋の明かりが急激に視覚に訴えかけてきて、姫乃風花は思わず呻き声を上げた。そんな姫乃風花の様子に笑いながら、父親は両手をぱちんと合わせて言った。

「さ、食うか」

「うん!」

 二人の笑顔に応えるように、母親はホールケーキを切り分けた。そして、予めテーブルに用意されてあったお皿にそれらを乗せた。その様子を、姫乃風花は心待ちにする思いで眺めた。

「はい。食べていいわよ。ただし、いただきますはちゃんと言いなさいね」

「はーい! いただきます!」

 姫乃風花は大げさに手を合わせて言った。

 ケーキを口に運ぶと、期待以上の甘さと旨味が口の中に広がった。

「美味しい!」

「だろ? ちょっと奮発したからな」

「もう。子どもに大人の事情は言わない」

「ははは。そうだな」

 よく分からないが、両親二人が仲良さげに笑い合っているのを見て、姫乃風花は更に幸福を感じた。それからしばらく、家族団欒での誕生日会が続き、姫乃風花の記憶は幸せな気持ちのまま途絶えた。

 審は姫乃風花の人生の片鱗を見て、思わず息を吐いた。自分が四歳の頃は、すでに子供心に両親の間で愛が冷めていることは理解していた。誕生日なんて、一度たりとも祝われた記憶がない。審は姫乃風花を羨ましく思った。

「せめてあんたは良い夢見てくれよ」

 審はそう呟くと、記憶を具現化して姫乃風花の夢に被せようとした。そして、姫乃風花が異様な状態にあることに気付いた。

「昨日俺が具現化した夢が、まだ残ってる」

 姫乃風花がおそらくは同級生二人の男子と川のほとりで眠っている夢が、まだ消えていないことに審は驚いた。

「どうなってるんだ」

 普通、審が形成した記憶もとい夢は、夢の主が目覚める前に追体験することで自動的に消失することになっている。しかし、昨日具現化した夢がまだ消えていないということは、つまり姫乃風花は昨晩から今晩に至るまで、まだ一度も目覚めていないということである。

「だとすれば、俺にDMを送ってきたのは一体誰なんだ」

 姫乃風花が一日以上眠り続けていることも不可解ではあるが、それよりもツイッターのDMでやり取りをした人物は誰なのか、そのことが審にとって一番謎に思える要素だった。もしかすると、姫乃風花を代理した、あるいは騙った第三者が審にコンタクトを取ってきたのかもしれない。それならば、一体何のためにそいつはそんなことを?

 審は疑問に思って夢の具現化を躊躇した。こうした状況に置かれて、あの手紙やDMが誰かによる悪意の託されたものである可能性が高まったからだ。ただ、やはり審はあの文章が人を陥れるために用意されたものとは到底思えなかった。

もしかすると、自分を頼ってくれていると思っていた人間に裏切られることが怖くて、無意識のうちに自分が騙されているという可能性から目を背けたいだけなのかもしれない。だとしても、やはり審には姫乃風花と名乗った人物が正真正銘の悪人だとは言い切れない気がした。あの手紙からひしひしと伝わってきた緊迫感には、どうしても正当な何かを感じ取ってしまえる。

審は迷いながらも、記憶の具現化を開始した。自分のしていることが正しいと信じた、思い切っての行動だった。

「明日、あんたが何者なのか訊いてやるからな」

 審は自分に言い聞かせるように呟くと、夢の形成という役目を果たした。これで姫乃風花には、オリジナルの夢に二つの夢が階層的に重なっていることになる。

役目を終えた審は、姫乃風花の夢から立ち去った。

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