第31話 死んでるですか?


 叔父さんの姿を見て、母は弟であることを思い出したようだ。

 すがり付くように叔父さんに抱きつき、涙を流す。


 声は聞こえないが、見ているだけで嗚咽おえつが聞こえてきそうだ。

 そして、私は叔父さんに抱きかかえられて、家を出た。


 歩けるのが不思議なくらい、手足が細く、せ細っている。

 けれど、母はもっとひどい。


 最初の頃とは別人のような顔つきだ。

 まるで悪魔に取りかれたような表情に見える。


 私が居なくなったことを喜ぶかのように、高らかに笑う。

 けれど、姿が見えなくなるとその場に崩れ落ちて泣いた。


あやまっているのですか?」


 とはルリ。なにを言っているのかは分からないけれど、


「きっと、そうだね」


 私はつぶやいた。目をつぶり、意識を集中すると右手に温かな感触が伝わる。

 きっと優夜ゆうやだ。現実世界で私の手をつないでくれている。


 本当だったら……もう、見ていたくはなかった。

 けれど、私は知らなくてはいけない。思い出さなくてはいけない。


 私は愛されて生まれてきたことを――

 私の幸せを願ってくれる人たちが居たことを――


 誰かが、それをくるわせた。

 私が、その切っ掛けを作ってしまったのだ。


 景色は再び変わる。

 雨の降る中、視界は悪い。


 私が居なくなったことで、母は普通の生活を取り戻したようだ。

 傘を差して、道を歩いている。


 丁度、横断歩道で信号が変わるのを待っていた時だった。

 母の表情が変わる。


 道路をはさんだ向かい側で、合羽カッパを着て傘を持った少女の姿があった。

 見覚えがある。それは、いつかの私の姿だ。


 傘を持って母を迎えに行った『あの日の私』ソックリだった。

 そんなはずはない。嫌な予感がする。


 その少女が車道へと飛び出す。

 危ないっ!――と思ったのだろう。傘を捨て、母は飛び出した。


 横からはトラックが来ている。

 そのままであったのなら、確実に二人ともかれていただろう。


 母の手をつかむ人がいた。

 父だ。『黒い茨』はすでに取りのぞかれている。


 叔父さんが助けてくれたのかもしれない。

 一方で合羽カッパを着た子供は大きく後ろへんだ。


 人間の跳躍ちょうやくりょくではない。同時にトラックが走り抜ける。

 間一髪だった。


「危なかったのですぅ~」


 とルリ。私も安堵あんどの溜息をく。

 母は私の偽物にせものを探しているようだ。


 その偽物にせものは電柱の高い位置に片手でつかまっていた。

 明らかに人間でないことは確かだ。


 それは真っ黒な小鬼の姿に変わると、屋根伝いにんで逃げていった。

 何者なにものかの指示か、イタズラだったのかは分からない。


 ただ、父が母を助けたことだけは確かだ。

 二人の再会を嬉しく思うも、景色が変わる。


 そこは病室だった。どこか怪我けがでもしたのだろうか?

 いや、精神的なモノからくる病気の可能性もある。


 ただ穏やかに、母はベッドの上で眠っていた。


「死んでるですか?」


 とルリ。言っていいことと悪いことがある。

 けれど、この場合、本当に死んでいるように見えた。


 よく見ると『黒い茨』が母に巻き付いている。

 通常の人間なら初期段階だ。


 そこまで心配することはない。しかし、母は弱っていた。

 精神的にも肉体的にも衰弱すいじゃくしていると言える。


 誰かに『呪われている』のだろうか?

 いったい、誰が――いや、この場合、自分で自分を呪っている可能性もある。


 娘を手放した自分を許せないのかもしれない。

 次第に娘の記憶がなくなり、その分、後悔だけが積もる。


 そして、景色が変わった。

 まだ、院内のようだ。どうやら、お医者さんの部屋らしい。


 そこで、父が医師からなにかを言われている。

 なにを言っているのかは分からない。


 けれど、状況から推測するのは簡単だった。

 母は助からないのだと、絶望した父の表情からさとる。


 でも、助ける方法を私は知っていた。

 いや、私にしか出来ない方法だ。


 すべてが白い霧に包まれる。

 どうやら、これが今の状況らしい。


 叔父さんはきっと、このことを知っていた。

 だから、私に見せたのだ。


「約束は果たしました」


 と光の蝶は私の顔の前で羽搏はばたくと、そのまま、空へと昇って行く。

 気が付いた時には、私とルリは喫茶店へと戻っていた。


 目の前には朝美あさみの姿がある。

 音楽の流れる温かい店内には、コーヒーのいい香りがただよっていた。


「大丈夫か?」


 と優夜。心配そうに私を見詰めている。


「うん、大丈夫だよ」


 心配させまいと、笑顔で答えたつもりだったけれど、


「泣いているぞ」


 優夜が指摘する。


「あれ? どうしてだろう……」


 知らない内に目から涙がこぼれていた。

 止まらない。優夜はハンカチを取り出そうとしたのだろう。


 一旦、私の手を離そうとした。

 けれど、私はその手を強くにぎる。


 片手では、少し時間が掛かったようだ。

 それでも、優夜はポケットからハンカチを取り出すと渡してくれた。


「ありがとう」


 私は涙をぬぐう。


「いい子いい子なのですよぉ~♪」


 とルリ。私の頭をでた。

 一方で――なにをした?――と優夜は朝美をにらむ。


「うんん、違うの……」


 私は答える。本来、私が居るべき場所。

 そこへ帰らなくてはいけない。


 母を助けたい。危うく、なにも知らずに戻る所だった。

 興味が持てなかったのだ。


 私のことなど、誰も心配していない――そう思っていた。

 けれど、そんなことはなかったようだ。


 妖精は確かに植物などの自然から生まれることがある。

 しかし、その他にも、人の心が創り出すのだ。


 愛、憎しみ、勇気、恐れ――様々な感情があって、想いがある。

 ルリは――瑠璃るり唐草からくさは――母が私を想って作ってくれた人形だ。


 私のそばを離れない友達。

 彼女こそ、私と母をつないでくれる存在だった。

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