第14話 記憶の残滓に託すこと

 目の前にそびえるのは真っ黒な山。ゴツゴツとした火山岩のような刺々しい石が延々と積み上がっている。これが鉱滓。私が気にも留めなかったものを見たいという彼は、やはり思うところがあるのだろう。

「しかし物好きな若けぇのだな」

 建物を出たところで、工員用の馬車を捕まえたイーニャの判断は正しかっただろう。そうでなければ、ここまで延々と歩き続けることになっていたのだろうから。

「ホント、こんなの見てどうすんの」

 呆れるイーニャの後ろで物珍しそうにヤマダを見ているのは、中年くらいの工員だ。煤に汚れて灰色になったシャツと頭に巻いたタオルはその証だろうか。偶然に乗り合わせて、馬車を折り返す傍らでイーニャをお嬢と呼んでいた辺り、昔からの付き合いなのだろう。鉱滓を拾って観察する彼の姿は見せ物小屋の虎くらいの感覚に違いない。

「いい鉄鉱石と石炭だね」

 彼はそう言うと、工員の腰を見てイーニャに視線を向ける。彼の言葉にイーニャの目蓋がわずかに痙攣する。彼は見てすぐにここが鉄の鉱滓だと言い当てたことに驚いているのだろうか。幽霊を見るような表情の二人は、鉱滓片手にうんうんと言う彼が一体何者なのか測りかねているようだった。

「ハンマー借りても?」

 彼の一言に固まった工員に対して、イーニャは頷いた。革ベルトに吊られた鉄のハンマーは、節くれ立った大きな手から赤みがかった小さな手へと渡る。

「それで何するつもり?」

 疑問を払拭できないのだろう。イーニャの声には少しの不機嫌さを含んでいる。彼は何も言わずに、近くにあった大きめの鉱滓を転がすと、おもむろにハンマーを振り上げる。

「たぶん、これが答えさ」

 振り下ろされたハンマーは特有の金属音を立てて跳ね返される。同時に重い音が辺りに響く。私達がよく分からない状態で彼を見ているのに対して、工員は明らかに動揺した様子だった。

「若けぇのよ、何でそんな」

 イリーナはといえば何も言わない。その表情には、驚愕というよりも先程より強い疑念が浮かんでいた。何者か探っていた相手がより素性の分からない者に豹変していた。自分ではその情報を処理しきれないのだろうか。

「そんなに凄いことなのでしょうか?」

 リーヤの疑問に、工員が頭を抱えたように天を仰ぐ。イーニャも一呼吸置いて、ヤマダの方を見た。

「鉱滓を割るのは熟練の技よ。金属の上に浮いた不純物を捨てて固めただけだから、砕けはしても簡単には割れないはずなのに」

 脆い鉱滓は、普通に叩けば砕けるように崩れてしまうのだという。二つに綺麗に割るには経験を積んで鉱滓の固まり方を見極める必要があるというのだが。

「あの士官様は何モンですかい?あんな技見たことねぇや」

 おそらくは熟練なのだろう、彼からしてもヤマダの技には困惑しているようだ。熟練の職人すら驚嘆することを、彼は涼しい顔でやってのけたらしい。

「ヴェレヌィの士官候補生だそうよ」

 何とか平静を保ったイーニャが横に言葉を流す。正直な職人はといえば、珍しげを過ぎて同業者を見るような視線でヤマダを見ている。軍人というか、冶金職人と言った方が彼にはしっくり来るのかもしれない。

「最近の士官様は何かに秀でてるモンですなぁ。武器の管理でもするのかいアンタ」

 振られた彼は困ったように笑っている。イーニャが探す、この世界を変える発明。そして、彼から出た言葉は漏れることなく記憶されているだろう。そこにいる青年こそ、おそらくはこの世界でもっとも危険な男かもしれなかった。

「あはは。そんなんじゃないですよ」

 彼がそのまま転がした断面には、外見から見える黒さはなく、薄灰色だった。その中に、夜空を映したように細かな輝きが埋もれていることに気付く。彼は、表面を軽く撫でて頷く。

「やっぱりいい鉱石だ。リンをほとんど含まない鉄鉱石でしょ」

 近づいてみれば、微細な何かの結晶が陽光を反射しているらしかった。無言で肯定しながら断面に触れるイーニャに対して彼がそう囁いた時、イーニャはまっすぐに彼の顔を見つめた。

「確かに極東の鉱山から運ばせた鉄鉱石よ。これだけでそこまで分かるものなのね」

 パラパラと細かな破片が地面に散る。それらは地面と混ざり合ってもはや追えないようになっている。元の世界から零れ落ちた彼がこの後辿る運命。そう考えると何も言えない気持ちになる。

「……正直に言ってあなたのことは、ほら吹き男としか思っていなかったわ」

 不意に視線を落としたイーニャは、一呼吸置いて彼を見つめ直した。おそらく面食らったのだろう、彼が黙り込んでなおイーニャは続ける。そこに誰にもいないかのように、自分自身に言い聞かせるように彼女は話している。真剣な声色にこちらまで背筋が伸びる。

「さっきまでの考えは取り下げる。あなたにはとても失礼だったと思う。だから、ごめんなさい」

 頭を下げた彼女に、彼は慌てて両手を振った。

「ほら吹き男というは当然の評価じゃないかな。仮に僕がこの世界の事をの人間に話したところで、同じ評価が下ると思う」

 元の世界。彼はその単語をどこか懐かしそうに零す。もし帰れたとしたら、彼はこの世界をどう思うのだろうか。

「使っているのは鉄鉱石と石灰、そしてコークスかな。だとしたら僕の世界と変わらない。だから、この先もっと発展するだろうね」

 ふと彼が言ってのけたことに、イーニャは顔を向けたがしばらく沈黙した。ここには無い、彼の世界と決定的に違うもの。それこそ、彼女が踏み込まなければならない未踏の領域なのだろう。

「曽祖父が鋼鉄を商品化して、お爺様とお父様が数十年かけて蓄熱炉を改良したわ。でも、まだ完成はしていない。だから、その続きを私がやらなければならない」

 スターリン家が苗字を鋼鉄スターリンに変えたのは、曽祖父の代だという。それだけ鋼鉄というものが未来を拓くと考えていたのだろう。そして、その意志を継ぎ覚悟の籠ったまっすぐな言葉。だが、その言葉の中には約束を違えるつもりはないという宣誓を含んでいる。彼女は、ヤマダの中飛びした存在しない知見に対して自身の検証で追いつこうとしているのだ。

「うん。僕も応援はする。核心以外なら、いくらでも考える。そう、ここは僕のいた世界じゃない。だから、違う方向に発展しても構わない」

 まっすぐにイーニャを見つめる彼の目は真剣だ。彼は歴史に干渉して流れを変えることを恐れている。だから流れの緩急に差を付けることはしても、向きを変えることはしない。彼の瞳の奥で何かが揺れる。それは羨望に似た恐怖感。戻りたいと思いつつも、彼が感じているものは恐怖なのだろう。彼の言った、世界を股にかけて統制しようとする経済。政治というものが完全に経済に飲み込まれれば、彼の国は。いや、彼の世界はどうなってしまうのだろう? 彼は先に進むことに非常な躊躇をしている。世界の流れを彼の世界に合わせてはならない。彼はそう言っているのだろう。

「ずいぶん話し込んだわね」

 サーシャの声に全員が空を見上げた。日は傾いて、空は銅色に染まりつつある。さっき見た命の夕暮れが目蓋に蘇ってくるようで、私は一度深呼吸した。

「ちょうど帰りの馬車も来たことだし」

 軽快な音を立てる蹄が近づいてくる。工場を巡回する馬車の時間がすぐそこまで迫っていた。ヤマダはいくつか手に持った鉱滓を名残惜し気に戻すと、私達の方を見た。

「ありがとう。おかげで勉強になったよ」

「別に特別なことじゃないわ」

 イーニャはあくまでぶっきらぼうに切り上げると馬車に歩き出す。石炭の残り香のする風は私達の髪を適当にあしらって吹き抜けていく。見上げた煙突から吐き出される煙は相変わらず空にインクを流したようで、やはり文字で埋め尽くされたように見える。

「お父様が食事の用意をしているハズよ。その後、応接室で勉強会にしましょうか」

 馬車を呼び止めたイーニャが慣れた様子でドアを開ける。御者も手慣れた様子で踏み台を出すと、彼女はさっさと乗ってしまった。私達も遅れまいと続く。

「知らない事ばかりだわ」

 馬車が走り出すと、煙突を見上げるサーシャが一言零した。

「お貴族様なら知っても用事はないでしょ」

 サーシャの呟きにイーニャは目敏く反応する。サーシャがため息をついて「そういう事じゃないの」と言っても、そんなことに興味を持つサーシャが特別なのだとバッサリ切ってしまう。完成品にしか興味のない貴族たちを見てきた結果だろう。イーニャはやはり奇異の目で彼女を見る。サーシャは気にも留めず、窓からの景色を珍しそうに眺めている。

「鋼鉄の時代……か」

 ため息とともに零れた私の呟きは、馬車の轍に落ちてそのまま溶けていってしまう。サーシャがそうするように、私も窓の外を見渡す。太陽は地平線近くまで落ち、命を吹き込まれ始めた月が輝き始める。それは太陽から舞台を譲られたからに他ならない。夜空に切り替わり始めた視界の中で、遠くの夢を見る。青銅が鋳鉄になり、次は鋼鉄に。私達が立つ舞台は移り変わっていくのだ。馬車は走る。周期的な車輪と蹄鉄の音が私の耳に心地いい。

「あなたの仰る、小島ほどある船は、それでも護衛を必要とするのでしょうか。そこまで大きければ海賊も手を出すのは難しいと思うのですが」

 マーリャがヤマダと話している。さっきの石炭を運ぶ船の話だろうか。何万ラストという石炭を運ぶ小島ほどもある船。その舷側にずらりと船員と漕ぎ手が並ぶ姿を想像する。一つの駐屯地が動いているような感覚だ。

「そうだね。だから、海賊はあんまりいないかな。でも、船に乗っているのは何十人くらいだ。この時代の帆船の方がよほど多いと思うよ」

 巨大な機械によって動かされる船。それにより船員は少なくて済むそうだ。人間に代わる機械。彼の言う未来の世界には、船だけでないあらゆる世界にそんな機械が溢れているらしい。

「鉄と火の文明は、私達の鉄の意志と溢れん情熱にとって代わる」

 イリーナが口ずさんだのは先代皇帝陛下に仕えた将軍の言葉を言い換えたものだ。かつて騎兵を主力とした帝国軍も、確実に槍を伸ばしてきた歩兵に対し少なからぬ被害を出し始めた。同時に、小国家連合の仲違いに端を発した一年戦争では、当時現れ始めたばかりのマスケットが大きな威力を発揮した。事に対して、当時の将軍は「鉄の意志と燃え盛る闘志は、本物の鉄と火薬に置き換わった」と、本格的に銃の時代が始まったことを告げたのだ。

「便利になればなるほど、戦争での死者は増えるし、民間人はより苦しむようになる。でも、この世界も平和じゃない」

 頻繁に小規模な戦争が起きるこの時代と、大量の死者を出す大戦争が長いスパンを経て起きる彼の時代。私達は前者しか、彼は後者しか知らない。果たしてどちらが幸せか、という問いは意味の無いものだろう。どちらも幸せではなく、かといって不幸せでもないのだ。

「儚いものね」

 言葉通りに歌うようなサーシャの声。その声に私は小さく頷く。それもまた、昇り始めた月光に溶かされていく。さて、この後は。私は夢の続きでも見るようだった。

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