第13話 焼られた熱き想い

 出銑口が開くと、赤熱した鉄が水のように流れていく。溶岩のようにどろりとしたものではない。流れはまさに水路をゆくようだ。釘付けになる私たちを熱波が襲う。吹き付けるのは灼熱の風。全員の髪をはためかせながら天へ飛び去っていくのは目に見えぬ炎の暴風であろう。目の前が歪んで見えるほどの焦熱が辺りの景色すら赤く染め上げていく。流路のあちこちで飛ぶ火花と炎。暑いという感覚すら干上がってしまうこの煉獄の中にあって、イーニャは見とれる私たちに説明する手を止めなかった。それは文字通り鋼鉄の名を受け継いだ者に相応しいかもしれなかった。

「外から見えたあの高い煙突は、耐火レンガの配管を通してあの真ん中の高炉と繋がってるわ」

 張り上げた声を、熱を上げた荒風が掻き消さんと迫る。二つ目の出銑口が開いた時、もはや誰の声も聞こえなかった。リーヤと私が思わず耳を塞ぎ、イーニャすら顔をしかめる。鉄が奏でる轟音の嵐が目の前に地獄と見まがうような命の夕暮れを作り出す。何者も生きることを許さずという光景は、赤々と地上を照らし出す夕陽と変わることはないかもしれない。国を守るために敵兵の命を刈り取る兵器は、この世とは隔絶された燃え盛る世界から生まれるのだ。

「凄い」

 私から思わず零れた言葉はそれ以外に言いようのないものだった。教本の祝福の詩に描かれた神が遣わした炎。それが目の前の光景だとしたらどんなに美しいことだろうか。熔解した鉄が目の前を流れる様は悪魔を追って自在に姿を変える炎の槍のようだった。頭が揺れるような轟音の下で、私は不思議と静けさを感じていた。時が止まったような感覚。景色を赤く染める金色のごとく輝く流鉄が去るまで、この世界から時が消えたようだった。

「落ち着いたかしら」

 高炉の扉が閉められてしばらく。耳鳴りが続き、体の平衡感覚が無くなったような気さえする。あまりの迫力に圧倒された私たちを現実に呼び戻したのはやはりイーニャの声だった。彼女の口は動くが声は遠くにくぐもったようだ。しばらくして、工員が奏でる金槌の甲高い音と共に彼女の声も戻ってきはじめた。

「とてもじゃないけど会話なんてできないね」

 私の口から飛んだ素直な感想にリーヤも頷く。私自身はこの光景を見るのは数度目だが、何度見ても見惚れる幻想的な光景。聖キリルが神から賜った聖火、そしてそれを駆使した悪魔との闘いなど、このような景色だったのではないか。

「こうして鉄ができていくのですね」

 通商共和国から発信され始めた青銅砲は、槍と弓で武装したガレー船を駆逐していき、更に威力を増しながら互いに多数の青銅砲を備える戦列艦同士の戦いへと変え始めた。イリーナは、未だに割れやすく信頼性の低い鋳鉄砲を飛び越えて鋼鉄で大砲を作れば。と意気込んでいるが、中々上手くいっていないようだ。

「まだよ、あの先の蓄熱炉で、鋼に変えていくわ」

 流鉄が流れていった先、これも耐火レンガ造りの平たい長屋のような建物。そこからもうもうと立ち上る黒煙。高炉で作られた脆い銑鉄は、あの黒煙に磨かれて鋳鉄へ、そして鋼鉄へと姿を変えるのだという。

「蓄熱炉、平炉……か」

 一瞬の呟きが全員の注目を集める。特に、すぐにでも詰め寄らん雰囲気を湛えているイーニャの視線は針束のようだ。あまりの勢いに後ずさる彼を見て、ドミトリーさんが全員に落ち着くように促す。

「イリーナ様。僭越ながら、約束を違えることはお控えを」

落ち着いた口調でドミトリーさんが伝えれば、イーニャは途端に視線を逸らして目を伏せた。ヤマダのヒントに惹かれ過ぎたのかもしれない。

「悪かったわ」

 冷静な声に落ち着きを取り戻したのだろう。途端にしおらしくなったイーニャを見て、ヤマダも申し訳なさそうに頭を振る。まだ残る熱風がサーシャの髪をはためかせる。ここまで何も言わない彼女が感じたのはどんなことだろう。

「私も出過ぎた真似を」

 謝罪を受けたドミトリーさんが一歩下がって一礼する。横目で彼を捉えながら呟くように漏れた一言に彼女の心が現れているのだろう。確かに計算高い彼女ではあるが、二心を置くほど手段を選ばないわけではない。

「この後どうする?平炉の先に鋳造や二次精錬の工程があるわ。それか、ウチで一番忙しい青銅の工場でも見に行く?」

 咳払いしたイーニャは彼をまっすぐに見据える。先程の熱は冷めていないが、暴風のような勢いではなく、彼から着実に学ぼうという雷に近い激しさが見え隠れする。次いで彼の一言にイーニャは驚いたようだった。

「鉱滓……かな」

 訝しむような視線を向けるイーニャは、顎に親指を当てて彼の意図を探ろうとしている。馴染みのない言葉に私たちが付いていけていないことに気付いたのだろう。イーニャが彼に人差し指を向ける。

「鉱滓って、金属を取り出した余りよ。その辺の石と変わらないわ。そんなのを見てどうするつもり?」

 彼女の言い分を尤もだと肯定するように二度頷いた彼は、少し大袈裟に両手を開く。そして、控えるドミトリーさんの剣を指した。

「ドミトリーさんの剣を見る限り、かなり質の高い鋼鉄だと思う。だからこそ、どれくらい優れているのかを見てみたい」

 彼の目は真剣だった。ついで、聞き入る彼女の視線も研ぎ澄まされたように鋭くなっていく。

「いいわ。鉱滓置き場は一番奥よ。だいぶ歩くけど大丈夫?」

 私達が一斉に頷いたのを見て、イーニャは歩き出す。その自信に溢れた背中を見て、私は少し羨ましいと思う。

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