第12話 鉄の家訪問
小高い丘の麓に、工場を後背に置いた巨大な屋敷が見える。赤黒い煙が立ち上る巨大な竈を抱える工場へは、袋詰めの石炭や木炭を抱えた幌馬車が間断なく出入りしている。中には赤黒い鉄鉱石を乗せた大型馬車を引く輓馬たちが遅れて走る様子も見てとれる。少し前までは黄金より高価だった鋼鉄がそこで生み出されている。鋼鉄の家。その家名に相応しい光景が、この先に広がっているのだ。
「相変わらず、ものすごい煙突ですね」
工場の中心にそびえる大煙突を指してリーヤがため息をつく。吐き出される黒煙は風に流されて、空にインクを流したようだ。風が吹くたびに、青空には文字が記されそしてかき消されていく。交通整理の騎馬警備員の怒号が飛び交う中で、大公国騎兵に先導された私たちの馬車は優先的な通行権が認められているようだった。並ぶ馬車の列を横に、人々でごった返す工場の門を過ぎる。休憩の馬車たちが並ぶ通りは、先程とは打って変わって途端に静かになる。厩舎を備えた広場を過ぎれば、先の道は石造りの屋敷へと続いている。馬車は石積みの高い壁の脇を進んでいった。
「あら珍しい。通商共和国風の建て方なのね」
サーシャの言う建物はスターリン家の母屋だ。垣根越しに見えるのは帝国風の重い造りではない。どちらかといえば、南国風の神殿といった風だろうか。正面玄関の構造は、神秘的にも見える豪華な装飾と共にイーニャの祖父の趣味だという。正門も大理石造りのアーチ型で、その上にはやはり長底辺の三角屋根が付いている。細部まで入った彫刻は聖キリルの戦いの様子。南海の神話ではない辺り、そこには譲れない所があったのだろう。
「開門せよ」
警備指揮官の命令により、鋼鉄の扉が重い音を立てて開く。こちらにも頑丈な鉄枠に囲まれて、細い針金で組まれた紋様がびっしりと描き込まれている。門の前にいるのは警察官に似た紺色の制服の男性たち。スターリン家に雇われた陸軍上がりの警備員だそうだ。よく見れば、制帽の紋章は剣とハンマー、その上に太陽があしらわれている。鉄は力なり。ここでも家訓が生きているのだろう。
「これが玄関?」
私の口から洩れた言葉は、全員の代言でもあったのだろう。石造りの分厚い屋根がいくつもの細い柱で支えられている。本で見た遺跡の神殿そのままのようだ。その奥には、四階建ての回廊が左右に延びていく。少しずつ様式が違うのは、増改築時に建て方を変えてきたからだろうか。
「カーチャも初めて来るのですか?」
リーヤの疑問ももっともだ。私も何度か来たことがあるが、父と共に来るときは工場を見学した後、裏口から入っていた。その為、正面玄関を見たのはこれが初めてだ。
「えぇ、カーチャは裏にある応接間に直接入ってもらってたから、ここを見るのは初めてのはずよ」
イーニャが言うには、ここを使うのはスターリン家と交流のある大商人や家格に自信のある貴族たちだという。彼らの多くは工場には興味もなく、製品や交易品を目当てにやってくるため、先ずはこの巨大な正面玄関を見せつけ歓待することが常套だそう。彼女は、ここが広義の応接間よ。と皮肉交じりに自嘲する。
「サーシャやリーヤがここを通ることには何の文句もないはずだわ」
少し不機嫌な声でイーニャが付け加える。リーヤが苦笑いするのと、少しも表情を変えないサーシャが対照的であった。高位の貴族といえば、サーシャの馬車の存在からして明確だろう。相乗りしている私が場違いと言えばそうかもしれない。
「階級なんて詮無きことよ」
「またまた。御冗談を仰る」
互いに嫌味のような冗談を交わしたところで馬車は止まった。御者によって扉が開けられると、先ずは一礼してイーニャが降りた。
「ただいま、お父様お爺様。お客人よ」
いつも通りのぶっきらぼうな言い方に応対した声は、よく知る野太い声だ。柱の隙間から、鷹揚に馬車を見上げている姿が見える。
「おかえりイーナ。またとんでもない人を呼んだものだ」
続いて私が降りると、その声の主は私に向く。視線で出迎えるイーニャの隣で、恰幅のいい男性と立派な髭の老人が出迎えた。二人とも体に合った燕尾服姿であり、腕のいい仕立屋がいることを伺わせる。男性は鉄の杖を、老人は金縁の眼鏡をかけている。久方ぶりに会う私は、二人に一礼して笑顔を向けた。
「やぁ、よく来てくれたね、エカテリーナ様」
いかにも帝国人らしい四角い顔の男性は、大きな腹を揺らしながら右手を差し出す。その手は長年鉱石を扱ってきたのが分かるほどに傷だらけでがっしりとしている。後ろに立つ老人は、少しやせ形で老紳士という言葉が似合うだろう。柔和な表情に私たちを見守っている。その気さくな声に挨拶を返せば、二人からも笑顔がこぼれる。父と共によく知るこの二人こそ、イーニャの父と祖父だった。
「お久しぶりです。
握手と共に互いに抱き合う。こうして二人と同時に挨拶するのはいつぶりだろうか。後ろに控えたイーニャの横に並ぶと、リーヤが踏み台伝いに降りてくる。そこでも二人が握手して出迎えた。
「お久しぶりですね。リリーヤ様。ずいぶん立派になられました」
「父がいつも無茶を掛けまして、大変ご迷惑を」
リーヤが話すのは海軍の大砲の話だった。そして、海運でいつも助けられているから、これくらい手伝わせてほしいと返す。短い会話の中に、久方ぶりに会うには短い距離感が伝わる。リーヤがボリスラーフ様と握手を交わせば、イーニャがぼそりと呟いた。
「で、最後に来るのが」
リーヤが道を譲れば、ドミトリーさんと後ろに控えるヤマダが一歩踏み出す。途端に、緊張でつばを飲み込む音が聞こえる。商家の二人の緊張感に、こちらまで顔が引き攣ってしまいそうだ。
「お初にお目にかかります。アレクサンドラ=イヴァノヴァナ=ヴェレヌォフスカヤと申します。本日のお出迎えに感謝いたします」
鮮やかに腰を落としてスカートを持ち上げる。軽やかな動作に見入る暇もなく、二人が恭順のため跪いた。本来なら顔も見ることはない相手。代理人を通じて話をするならともかく、こうして来訪することなど完全に予想外だったのだろう。
「我が息女イリーナが大変ご迷惑をおかけしているかと存じます。父のウラジーミル=ボリスラヴォヴィーチ=スターリンでございます。どうかお見知りおきを」
「私がウラジーミルの父で、工場を取り仕切っております、ボリスラーフ=ゲオルギエヴィーチ=スターリンでございます。本日は我が屋敷に御来訪いただき感謝の言葉もございません」
帝国でも一二を争う大貴族を前に、失礼の無いよう神経を尖らせているのが分かる。サーシャに限ってそんなことはないが、機嫌でも損ねようものなら簡単に家ごと無くなってしまう。そんな危うい橋を渡っている感覚なのだろう。
「ウラジーミル様、ボリスラーフ様。どうかお立ちください」
あくまで自我を貫きたいサーシャにとってこの光景はどう映っているのだろう。着せられた権力にひれ伏す人々。以前サーシャは、そんな貴族たちへの嫌悪感を吐露していた。どう取り繕おうとも私を見ようとせず、私の服へ首を垂れる。服だけを置いておいても何も変わらないのではないか。そう悪態を突いたこともあった。長年付き合いのある私から見れば、スターリン家は帝国に忠誠を誓う大商人であり、貴族に取り入ろうとすることはない。二人に対しての彼女の言葉は、至極穏やかなものだった。その目は何も語らず、ただアレクサンドラ大公令嬢としての所作だろうか。
「そして突然のご訪問となりましたことをお詫び申し上げます」
次にとった行動に、イーニャは思わず吹き出した。立ち上がった二人に対してサーシャはこれまで以上に深く首を下げる様が余程おかしかったのだろう。途端にウラジーミル様が首を振ったのが見えた。ボリスラーフ様に至っては仰け反りそうなほど驚愕している。
「そういう人よ、サーシャは」
イーニャがそう言えば、ボリスラーフ様が青い顔で振り返る。きっと心臓に悪いに違いない。何か言おうとして言葉を失っているのだろう。腕を組んで鼻を鳴らしたイーニャに叱り声をあげたのは父であるウラジーミル様だった。
「イリーナ、お前は何てことを!」
こちらも真っ青な顔でその声も震えている。が、サーシャもイーニャも普段通り動じない。私の麻痺した感覚は、あまりの日常感に笑い声さえ上げそうだった。
「いいえ、構いません。普段通りにして頂ければ」
普段からこんな失礼なことをしているのかと詰め寄りそうな二人を前に、イーニャは何食わぬ顔で髪を梳く。あまりにも格上の相手に対して略称を用いることがどれだけ失礼か。おそらくは略称を許されたことを知らないであろう二人にとって、この場は地獄の憂き目にあう方がマシだと思えるに違いない。
「今日はあくまで私個人として工場の見学を希望したのです。ですので、家名を負わない只のアレクサンドラとして見て頂ければ」
あくまで通常運転のサーシャだが、慣れ切った私たち以外から見れば奇異の目で見られて当然と思われるかもしれない。サーシャとしては、スターリン家を試しているのかもしれなかった。
「では、アレクサンドラ様。まだ工場の準備が整っておりませんので、しばらく応接室でお待ち頂くこととなります」
多少の間があったものの、ウラジーミル様の声は変わらなかった。商売の相手に貴賎なし。もし分けるとするならば、商機があるか否か。商人の在り方について語った彼の芯はぶれていない。私は確信して彼の背を見た。
「ヴェレヌィは公正だわ。だから、サーシャに媚を売ろうが変わらない。サーシャもそういう相手は苦手でしょ?」
はっきりと言って取るイーニャにサーシャは口角を上げた。正解と言いたそうな表情の裏で、彼女は挑戦するように言葉を投げかけた。呼応するようにイーニャの目に輝きが増す。
「えぇ、そうね。それに、大公家が上客になる可能性もあるわ」
あくまで品質で大公国は決める。続いて彼女がちらりと見た方には、謎の青年将校ことヤマダがいる。彼がこの工場をどう見るかによって将来が決まる。彼女はそう言いたいのだろう。
「知ってる。だから、偏見のないサーシャに見てほしいのよ」
ヤマダはあくまでサーシャの従者であるために、直接言及されることはない。だからこそ、二人は視線で合図を取りあう。ゆえに、何も知らない父親らから見れば、二人がここで火花を散らし合っているように見えるだろう。焦り始めたウラジーミル様が、全員に対して応接間へと右手を向ける。私が二人に呼びかければ、先ずはイーニャがサーシャに手招きした。
「では、お手並み拝見といこうかしら」
足を進める瞬間に、サーシャは前だけを見て言った。その瞳にはもう高炉の炎が燃え移っているかのよう。探求心という炉には既に石炭がくべられている。
「それに、急に招待したのは私だしね」
誰にも聞こえない声でイーニャが呟く。続いて靴音が少し強くなったような気がした。最後尾の彼女からは、高く伸びた煙突へと歩む私たちがどう見えているのだろうか。
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