第9話 出る道を探して

 月曜日の昼は、いつもより休み時間が長い。先生方は月曜の昼礼拝の後に一週間の授業準備をするための時間が与えられる。その為に、私たちは普段より一時間長い昼休みにありつけるわけだ。食後は少し散歩でもしようか。そんな話を四人でしながら中庭に出た時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

「エカテリーナさん」

 少し小柄な少女。制服は私たちと似ているが、全体的に飾り気はない。白みがかった鉛石色の髪を三つ編みにして左右に振っているからか、見た目以上に幼くも見える。襟に着いたバラのバッヂから同学年ということは分かったが、名前が出てこない。そんな私に対して、周りの三人はどうしてか彼女を知っているらしい。

「あら、リリーヤリーヤ。珍しいわね」

 振り返ったイーニャが目を丸くした。続いて振り返ったアーニャが笑顔で会釈する。驚いた顔のマーリャはと言えば、一礼してイーニャの陰に入ってしまった。

「まぁ、リリーヤ様リリーヤ=コンスタンチノヴィナ

アナスタシア様アナスタシア=ユリエヴナ、お止め下さい」

 アーニャの敬意に畏まるのはマーリャと同じ反応だ。イーニャとアーニャは知っているようだが、私はどうにも見覚えが無いように感じた。

「まー、カーチャは知らないでしょうよ。高等部から入学したんだから」

「お初にお目に掛かります。私、リリーヤ=コンスタンチノヴィナ=ロジェストヴェンスカヤと申します」

 あぁ、あの豪商の! そう言うと彼女は少し苦しいような顔をした。私の記憶の中から引っ張り出した人物と違ったのだろうか。慌てて、脳内で再度逡巡したところでイーニャが助け舟を出した。

「まぁ、無理もないわ。ここでは商人としての姿が有名だもの」

 野菜や魚、肉類を油漬けにして瓶に詰める保存食を発明して大当たりを出し、軍の携行食として今や不動の地位を築いた豪商のイメージが私の中にあった。

「当家は、海軍の家系でして。先程のエカテリーナ様のお話をもう少しお伺いしたいと」

 途端にイーニャが顔をしかめた。困ったように視線を背ける。その様子にしまったという顔をしたリリーヤさんに、カーチャは小さく呟くような声を出した。

「ごめん」

「いえ、あれは当然の評価かと」

 ばつの悪そうに謝るイーニャに、リリーヤさんは慌てて否定する。

「リーヤのお父様はコンスタンチン=ヤロスラーヴォヴィーチ=ロジェストヴェンスキー海軍大将なの。一艦隊を率いて列島王国の海軍も破った猛将なのよ。故に、リーヤはロジェストヴェンスキー伯爵の子女ということになるわ」

 アーニャの説明に、私は慌てて頭を下げた。それに驚いたのかリリーヤさんが途端にパニックを起こしたようにあたふたし始める。敬意を向けられるのに慣れていないのだろうか。

「申し訳ございません。伯爵家の方とはつゆ知らず」

 腹を抱えて大笑いするアーニャの横で縮こまった彼女が何を言っていいのか困ったような風を見せている。思えば、アーニャとの最初の出会いでも似たようなことがあった。あの時も彼女は涙を流すくらいに大笑いしていたのを思い出す。

「いえ、当家も海軍なので、どうしても陸軍の陰に隠れがちでして」

 先の大陸西方遠征時に、陸軍の補給路を脅かし退路を断とうとした列島王国海軍を破り、海軍一の大戦果を挙げた人物。アーニャの話と、その名前を聞いてやっと思い出した。私が聞く評判としては、チョウザメを使って巨利を得る海軍軍人のような豪商。立場が逆転したような話だが、海軍自体の評価が低いこの国ではやむを得ない事象なのだろうか。

「確かにチョウザメの利益と瓶詰の成功によって、軍人らしくないとは言われるのですが」

 付け足したリリーヤさんの説明に、イーニャはそれと海運もね、と加える。海に関することでロジェストヴェンスキー伯爵が為した改革は多い。ちらりとリリーヤさんを一瞥したイーニャは彼女の肩に右手を置いた。

「うちも世話になってるからね」

 スラヴァ河を行き交う船とそれを護衛する傭兵の多くは彼女の父が扱うのだという。戦争に備えて普段から兵隊を鍛えておく。いかにも軍人らしい発想だが、それを商売と結びつけてしまうのが恐ろしい所だろう。積載量の多い船は非常時には艦隊の補給艦として組み込んでしまうらしい。確かに柔軟すぎる発想だった。

「私も仲良くさせて頂いております」

 マーリャの馬車会社は、港での積み替え時にお世話になるらしい。いかにも船乗りといった腕の立つ男たちは、重い荷物も難なく運んでしまうので欠かせない労働力だそうだ。

「ほら、あんたが好きな海軍軍人よ」

 兄が三人もいるから選びたい放題じゃない。そう茶化すイーニャに、私はまだそこまで考えてない!と誤魔化すしかなかった。すると、冗談と受け取れなかったのかリリーヤさんがばつが悪そうに口を開く。

「いえ、兄らはもう、武官の子女を娶ることとなっておりまして」

「はいはい、冗談だから」

 武官は武官と結びつきを強めたいものよ。そう断言したイーニャにアーニャも頷く。軍人の結婚は将来の立場を決定づける。武官同士のパイプを太く持つ方が有利なのだという。

「それに、エカテリーナさんならもっと高級将校の方が似合いそうで」

 私が略称を勧めると同時にイーニャはリリーヤを小突く。

「あんたの父親は高級将校にしか見えないけど?」

「まぁ、そうなのですが」

 そういう意味ではなくて、と困り顔のリリーヤを前に、父の言っていたことを思い出す。馬に限界はあれど、船に限界はないだろう。彼女の聞きたいこととはそこなのだろうか?

「リリーヤさん」

 慌ててこちらを向いたリリーヤは、少し浮き上がった返事と共に略称で構わないと付け足した。呼び止めたのは私なのだから。そう付け足した彼女に、伯爵らしくしなさい、とのイーニャの声が飛びまた困ったように肩をすくませる。

「カーシャは、内からではなく、外から見た海軍の様子をご存じかと思いまして」

 先ほどの会話。確かに私は強力な海軍を持つ国と、船の輸送能力について語ったような気がする。が、私も詳しく話せるかといえば微妙な所だろう。

「ほとんどはお父様の受け売りだけど」

 首を傾げたリーヤにイーニャが補足する。そういえば初対面なのだ。互いの家族についてなど知っているはずもなかった。もしかしたら私も彼女と同じ軍人家系だと思われているのかもしれない。

「カーチャの父親は外交官のツィオルコフスキー男爵よ」

 イーニャの一言にリーヤは納得したように頷いた。そして、一つ決めたような真剣な目で私を見つめる。

「端的に言えば、私の父が執る海軍整備は妥当かどうか、といったところです」

 まさかそんな深い所まで切り込まれるとは。ただの素人に近い私の意見が彼女に通るのだろうか。横ではアーニャとマーリャが興味津々といった様相で、リーヤと並んだイーニャは呆れてものも言えないといった感じだ。

「いや、私に戦争は素人だよ?」

 聞き方を間違えたという感じか、そうではないと彼女は両手を振る。戦術ではなくもっと政治的な方向だという。諸外国内の海軍の影響力。そこが知りたいようだ。

「チョウザメの利益を軍艦に換えるというか、軍人の家で軍艦を揃えて海軍拡充を行っている国が他にあるのでしょうか?と」

「あんたのお父さん健気すぎでしょ」

 ほとんどの国は、海軍の戦闘艦として国が揃え、乗組員を募る。それでも足りなければ海の荒くれ者、海賊に金を渡して傭兵として組み込むことが多い。が、元はといえば海賊。海軍の質としては、経験には勝るが装備には劣るため、やはり正規の軍艦の性能がモノを言う場合が多い。

「あんまり多くはないけど、西の通商共和国なんかは、商人たちの船が輸送船兼軍艦を兼ねる場合もあるかも。海賊から身を守るためだけどね」

 サーシャのお膝元であるバルチック大公国も有力な海軍を持っているが、公国海軍としてではなく帝国海軍としてふるまっている。これも一例だろうか。

「将来的には、というかね。行き交う物が増えてる現状だと、近いうちに限界が来るんじゃないかなぁ、なんて思ったりもするよ」

 経済活動が活発になれば、その分交易品の流れも増える。航路が増え続ければ、護衛や警戒に当たる船も増えるわけで、個々の貴族が軍艦を揃えている現状では面倒を見切れないはぐれ商船が出てくるのは時間の問題だろう。各国の私掠船や海賊に対してどのように対処していくのか。伸び続ける帝国、という命題に対して一つの課題となるのではないか。

「とはいえ、海軍は金食い虫だからね」

 船一隻買うのに幾らすると思ってんの。そうぼやくイーニャの意見ももっともだ。先に挙げた通商共和国も、南洋航路を独占しているからこそ、その利益から建造費を拠出できる。チョウザメの利益で軍艦を作っているリーヤの家とあまり変わらない。そこには、いつまでも維持できるわけではない、という危険性をはらんでいる。

「ありがとうございます。また、お伺いに来てもいいですか」

「もちろんね」

 午後の予鈴が鳴るまでしっかりと話を続けた私たちは、校舎へと歩みを進めた。

「カーチャは博識ですね」

 マーリャがそう言ってきた。私は首を振る。

「ううん、全部お父様が言ってたこと。正しいかどうかは私も分からない」

 マーリャはしかし、見識を深めることはいいことです。正しいかどうかなんて、誰もわかりませんから、と私に笑いかけた。

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