第8話 今そこにある光
午前終業の鐘が鳴る。一斉に食堂へ向かう生徒の群れに交じって、私たちも廊下を歩いていく。貴族の子女だろうと、この学院では家格に関係なく食堂にて決められた食事を摂る。最近流行しているパーティー制と言うらしい。これも皇后陛下の方針のようだった。食事をするのは四人一組で。高級家の子女は一人で食べることを許されているようだが、私たちはそうはいかない。私は銀食器の乗った木トレーを抱えて席に着く。
「で、あんたらも物好きよね」
イーニャが声を向けているのは、私と同じ組となった二人。パンの欠片を口に放り込んだあと、一人が口を開いた。収穫時期の小麦畑を思い出す金色がかった髪を、肩から胸元へ下げて交差し一つに編み上げている。今は中級貴族の中で流行っているようだ。制服の襟に緑の飾り帯を巻いて、両端には金色のリング。襟元で交差する輪は聖キリルの象徴である百合に交差する二本の槍に繋げられている。緑は彼女の家の色であり、交差する槍は天秤に結び付けられ常に公正であれ。そんな願いが込められているようだった。彼女も伯爵家の子女だが、そんなことは意に介さない。家名を見れば大方の貴族が目の色を変え、家格に見合わず皇帝への謁見と請願すら許された異色の貴族。財務部一級管理官ユーリィ=イヴァノヴィーチ=パリカールパフスキー伯爵の娘、アナスタシア。それが彼女だった。
「まーねぇ。うちには爵位なんて有って無いようなものだもの」
官僚組織で大きな権限を持つ財務官僚は、その高給と爵位により身分が保証される。その代わり、伯領と呼ばれるような領地は無く、首都の屋敷と、郊外の広大な別荘があるだけである。帝室直轄領で農地を経営してはいるが、領地というにはあまりにも貧層だ。爵位は大きく国家財政を両手に抱えるが、個人で動かせるものはあまりに少ない。知の巨人伯爵などと陰で呼ばれるような始末だ。大げさにかぶりを振って、大きめにちぎったパンにかぶり付く。御令嬢と呼ぶには多少粗暴だが、これでも作法の授業ではトップの成績なのだから恐ろしい。切り替えが大事なのと言う彼女にとって、学院は息を抜くにはちょうどいいようだ。
「皆様と比べれば私なんて小さいものですから」
高い声に似合わず背が高くて、しかし体は華奢。髪は後ろで二つにまとめられている。髪を縛る赤いリボンの両端に銀のリングが付いているのがアクセントだろうか。制服も、身分相応に装飾するのが常識の学園にあって地味な仕立て方。唯一装飾らしいものと言えば、袖口に駆ける馬の刺繍が小さく入っているくらいだろうか。灰色の瞳をした彼女の家は、端的に言えばイーニャの家の下請けだ。馬車組合頭取の息女、マリア=レナートヴナ=ミコヤナ。名目としての令嬢という事で学院に通っているが、家格的には下から数えた方が早いのかもしれない。故に扱いもぞんざいになることが多いが、イーニャは不満気だ。
「あんたもいつまでそんなに卑下するつもりなの」
紅茶のカップをソーサに戻したところでイーニャが指さした。
「そうよぉ、いいとこに嫁げれば万々歳なのよ」
濃緑色の瞳でアナスタシアが顔を覗き込めば、少し頬が紅潮する。こうして、横から茶々を入れられて余計に縮こまってしまうのはいつものことだ。
「
三人がイーニャの顔を覗き込む。私とアーニャを順番に指差して、イーニャは続ける。自信家と蔑まれる彼女だが、ゆえに勉強熱心であり、こうして人前で何かを言う時、不思議と引き込まれるような魅力を感じてしまう。
「あんたたち爵位持ちと違って、うちらは国からの給金なんて無いんだから」
そんな単純な話じゃないんだけどな。アーニャの指摘を無視して、イーニャはマリアの方に向き直って指差す。思わず背筋が伸びるマリアの横で、面白そうな顔のアーニャが次の言葉を待っている。
「新しいものを見つけるの。うちだって安泰な保証はないのよ。今の馬車会社から何ができるのかを探るのも社長の仕事なのよ」
実際、イーニャの家は鋳物師から鋼鉄に手を出し大成功を収めた。世が世ならこれで没落する家もあるだろうし、成功する家もあるだろう。これまでにないものを見つけ出して商売にする。それは賭けだが、無謀なものと片付けるには少々乱暴だ。
「
わざとすまし顔にしたイーニャの声に顔を真っ赤にしたマーリャがやめてよ、と返す。実際、イーニャの声は真剣であり、だからこそマーリャは大げさな気がしてくすぐったいような心持になるのだろうか。
「ま、あんたが挑戦したいならすればいい。あたしは、うちの利益になるなら全力で応援してあげる。未来は見つけるものよ」
最後に家の利益を掲げる辺りちゃっかりしている。状況を見ながら主張できるところは包み隠さず言えることがイーニャの魅力なのだろう。故に私もアーニャも、イーニャのことを信頼できるのかもしれない。
「イーナは鋼鉄の生産量と品質を上げることが目的なの?」
アーニャから飛んだ質問に、イーニャは全然違う。と返す。
「それは経営目標よ。将来の展望を担うにあたってはもっと先を見ないと」
計算高いイーニャの事だから、既にあちこちに伸ばした情報網で伸びそうなものを掴んでいるのだろう。万一に社長になってしまっても堂々とプランを発表して会社を引っ張っていければ、自ずと社員は付いてくるのかもしれない。
「で、あんたはどうすんの」
「うぇ!?」
イーニャの指がこちらに向けられた。何も考えてなさそう、なんてイーニャは言うけれど、考えがないわけではない。今はあまり褒められたものではないかもしれないけど。イーニャの言う何十年後の展望を見据えればその選択肢もアリかもしれない。
「私は、海軍さんに嫁ぎたいかな」
三人全員が素っ頓狂な声を上げる。もうお相手がいるの?なんて言ってくるアーニャをよそに、イーニャは続きの声を上げずとも、ありえないと顔に書いてあった。この表情を見るのも中々久しぶりかもしれない。
「カーチャ、あんた何言ってるか分かってんの? ガサツな陸軍のお荷物よ、海軍って」
清々しいまでの全否定に私は苦笑した。確かに、戦争が起これば負け無しの陸軍と比べて海軍は、勝てないが負けもしない、と言われるくらいには評価が低い。それでも、父が持ち帰る情報を見るに、また、海軍が少しずつ拡充されていく現状を見るに悪い展望ではないと思う。
「今はそうでもないかもしれないけど、航路って将来大事な気がするんだ。西の列島王国とか海軍は強力だって言うし。今たくさんのものを運べるのは船でしょ?」
まぁ、確かに。考え込んだイーニャに続いて、アーニャも唸り始める。マーリャは艦長様ですか、と能天気な声を上げている。物を運ぶ。その能力において、船舶ほど特化したものはない。
「うちは男爵とはいえ一代限りだし。上の爵位持ちの家に嫁ぐのはほぼ無理だから」
仮に父が亡くなれば、父の勲章も叙任状もただの飾りになる。母は遺族年金がもらえるだろうが、私となれば話は別だった。爵位の肩書きが後ろに無い以上、爵位のある貴族に嫁ぐのはほぼ絶望的だ。功績を上げた騎士、成り上がり男爵に嫁げれば十分なのではないか。本当に将来を考えるならもっと考えなくてはならないのだろうが、正直今は夢のまた夢。そんな感覚だ。
「男爵令嬢様曰く、海運と海軍力が大事だそうよ」
茶化すように言っているが、いつものような暴言が飛んでこない辺り、認めてもらったようだ。イーニャは私を指して、マーリャの方を向く。
「カーチャの言う通り河と言わず海と言わず、船便が大事なのは確かよ。マーリャもこれくらい柔軟になりなさい」
「さすがは
フムフムと頷くマーリャの横で、ピロシキを片付けたアーニャはいたずらっぽく笑っている。私がワッと言うと、すかさずイーニャはアーニャにワザとらしく頭を下げる。
「伯爵令嬢様が言うと説得力があるわ」
「ふっ、何よそれ」
アーニャが噴き出せば、全員がつられて笑った。
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