第4話 道標は見えどかく遠き

 家に着いた私は、母にあいさつして自室へ入った。そのままカバンを机に置き、戸棚を開ける。そこに私の目当てが入っていた。

「サーシャが言うのはこういう事なのかな」

 いくつかの箱に分けてしまわれているのは地図だ。古地図、海図、歴史地図、伝承地図などなど、種類は多岐にわたる。父が外国へ出張に行けば、お土産として買ってきてくれる。元は父の趣味だったものだが、父に話をねだりながら古地図を眺めるうちに、私もその魅力に取りつかれてしまったようだった。私が帝国史を好きになった理由の一端はこの趣味にあるのかもしれない。帝国内外には数多の伝説、神話が存在する。相手の精神の姿、国の形の根本は神話にあると言っていい。故に、外交に旅立つ前には、必ず神話を読み解き、その根底にあるものを掬い上げるのだ。とは、父がよく言う言葉である。

「確か、南の海図に」

 取り出した海図に書かれた文字は読めない。はるか南の海洋民族が伝承として受け継いだ海図を模写したものだそうだ。いくつかの港以外の領土は持たず、ほぼ一生を船の上で過ごす彼らは、優れた操船能力から運び屋として珍重される一方、伝承にある島を探し続けているのだという。海図には、暗礁の位置や海流の向きといった航海に必須の情報から、契約の島、終の島といった伝承の存在が書き込まれている。いくつも入れられた注釈は、父の話を聞きながら私が入れたものだ。彼らの神話は、海から現れた世界の始まりを明確に表現していた。

「それに、これだ」

 これもまた、原語は私には全く読めない。大陸西端にある島国の伝承地図だ。閉鎖された世界において異民族の支配もなく、古代からの伝統文化を残した数少ない国。彼らも解読に困る古文書は、現在の体系になる前の古代語で書かれているのだという。地図上には儀式と戦士と怪物の絵が並ぶ。彼らの神話では、世界の始まりは明確ではない。世界は怪物の支配するものとして最初から存在し、古の英雄たちが少しずつ切り拓いていった。前述の海洋民族と比べれば、ストーリー性には乏しく、主体となっているのは戦士と怪物だ。彼らは神から力を与えられ、かつて神のもとから逃げ出した怪物を倒していくのだった。出てくる怪物たちはその土地に固有のもののようで、それらを倒した順番というのも明確ではない。土着の神話を集めて回ったような、そのような印象を受ける。

「やっぱりどの神話にも神様は出てくるのよね」

 帝国の建国神話や民間伝承にも多くの神と呼ばれるものが登場する。当然だが、世界を作ったり、人間を生み出したり、何かの力を与えたりと行動する。だが、確かにサーシャの言う通り、その後に神はほとんど干渉しているようには見えないのだ。サーシャの言う、人間としての正当性を担保するだけの創造主。悪行を繰り返す人間を滅ぼそうとする神もいれど、善良な人間は残している。サーシャの疑問はまずはそこだった。宗教という型枠に上手く当てはめられるように、神は行動している、と。

「街道地図なんてものあったなぁ」

 帝国における古代の街道と現代の街道を見比べれば、その差は歴然かもしれない。街道の宿場に付けられた地名。遊牧民や狩猟民の言葉でその場所を表したものから、明確に帝国語で訳したものへと変わっていく。この道こそが、聖キリルを人々が運んだルートなのだろう。西方諸島の神話において、怪物とは土着の神々であり、ならば、征服されたとしても人々の心の中で、古の神たちは息づいているのだ。被征服民族としては神話の終わりを迎えたわけだが、異なる神の僕となってなお時代は続いているともいえる。

「なんだかよく分からないなぁ」

 今日聞きかじっただけでは、何なのかよく分からない。ただ、サーシャの言う、管理者としての神は、おそらくは人間が神のふりをしているだけなのかもしれない。害をなす神へ害をなしたのは、その人間たちではなかったか。薄ら寒い感覚だが、ある意味では認めるしかなかったのだろう。

「世界を片付けてしまう、か」

 帝国内のとある遊牧民族には、空を覆う竜が鍋を冷ますように地上に息を吹きかけると、世界はたちまち凍りついて永遠に明けることのない冬が訪れるのだという。地に巨大な鎖で縛りつけられた竜が年に一度もがくと、長い冬がやってくる。世界の終わりを描く伝説は多いが、それでも世界は続いていく。完全になくなってしまう、とは一体どういうことなのだろうか。

「お嬢様、夕飯の支度ができました」

 家政婦の声にパンク気味の思考が呼び戻される。まずは食事にして、そこから話を整理しよう。私は扉の向こうに返事をすると椅子から立ち上がった。

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