第7話:何でも屋
翌朝、エムは昼間収集した情報処理のために視覚情報を遮断し、一時的なシャットダウン状態でベッドの上に横たわっていた。それを「睡眠」と呼ぶべきかは定かではないが、エムがその処理を終え、目を覚ました時にはもうナズナの姿はなかった。代わりに横に添えられていた手紙をエムは手に取った。
『文字でのお別れになってしまいごめんなさい。面と向かってあなたと話したら、決意が揺らいでしまいそうになるから。旅に付き合ってくれてありがとう。ちょっとの間だったけど、冒険、楽しかった。私はもうこの国を出るね。エム君に出会えてよかった。さよなら』
その別れは、エムにとって何の影響も、感慨もない、ただ調査対象が手元から離れただけの取るに足らない出来事に過ぎなかった。
エムは何でもないようにその宿屋から出て、街中を歩いていると、道端にズラリと店が並んだ商店街らしき場所に行きついた。主に自然の中ばかりで行動していたエムは、目の前に広がる都会の喧騒に新鮮味を感じ、僅かに高揚していた。しかし、そんな感情は邪魔だとばかりに、胸の奥底で噛み殺しながら、早速国の調査を開始した。
「この焼き菓子のようなものはなんだ?」
「ん、あんた旅人さんかい?これは、「バク」と言ってね、ここいらで良く採れる穀物を粉にして練ったものさ。甘くて美味しいよ」
「どうやって作っている? 使っている機器は? その穀物はなんという名前だ?」
「お、おい、なんだよあんた。買う気がねぇんならどっか行ってくれねぇか⁉」
「…………」
「これはなんだ? あれは?」
「なにいきなり!失礼じゃないの⁉」
「…………」
しかし、目についた人を片端から質問攻めにし、不審な動きをする彼に住民は不気味がった。当然ではあるが誰もエムには近寄らなくなり、避けられる始末となる。
(まずいな、これでは調査どころじゃない。円滑に行う為にも、この国の住民との信頼関係は必須か)
コミュニケーションに少し難があるのは、しばらくナズナ以外の人間で会話をする機会が無かったからか、それとも元の性格からそうなのか、彼を作った者のみぞ知ることではあるが、しかし、事は急を要する。その問題を乗り越えるべく、エムは自らの頭脳をフルに回転させ、一つの案を導き出した。
(そうだ、地図がある。なんでも屋、そこに向かえば………)
何を考えついたのか、エムは昨日記録した地図の画像データを視覚上にアップし、目的地へと向かいだした。
信頼関係の構築。それを行うにも、まずはこの国における多くの人間と交流が可能な仕事を介して、住民とコンタクトを計り、馴染んでいくしかないとエムは考えたのだ。
地図通りに街を巡り、着いた先は、でかでかと書かれた『ウェルガンなんでも請負屋』という看板が特徴的で、その看板が似合うだけはあるほどの巨大な屋敷だった。
中は広そうで、どうやら依頼が目的の客でごった返しており、外からでも分かるほどの盛況である。
中に入れば、その騒がしさを更に実感でき、職員らしき人たちが慌ただしく右往左往していた。屈強な筋肉を持つ男共もウロウロしているその光景は迫力がある。
(さて………)
「おや、あなたはいつぞやの」と、声をかけてきたのは、昨日、親切で宿屋へ道案内をしてくれたあの不気味な黒コートの男であった。
「来てくれたのですね⁉これは有難うございます‼…………もう一人の女性はどうしたのです?」
「彼女はもうこの国を去った。それに、俺が今日来たのは依頼の為ではない。顔面が近すぎるぞ」
「おおっと、これは失礼、私の悪い癖でして。……それで、ご用件が依頼ではないとすると、何用でこちらに参ったのでしょうか?」
ギョロリとした目玉をこちらに向け、なにか品定めをするように、とぼけた調子で聞いてきた。
「ここで働きたい」
きっぱりと言い放ったその言葉に、黒コートの男は、なぜか全身をブルブルと戦慄かせ、俯きながら笑いだす。その不気味な笑い声が店の中に響き渡れば、周囲の客は何があったとばかりにシンと静まり返り、こちらを凝視しだした。
「う、ふ、ふふ、うふふふ………」
「どうした、何がおかしい」
「いや、失敬。久しぶりの『挑戦者』がいらしたものですから、思わず笑みが零れてしまいまして」
「挑戦者だと?」
直後、周囲の客も従業員も、所かまわずどよめき立ち、歓声を上げ始めた。
「おお、来たか!」
「あの名物をやっと拝めるぜ!」
「おーい兄ちゃん!簡単にやられるなよ!」
「期待してるぜぇ‼」
各々勝手なことを言われ、エムは数秒してやっとこの状況を理解していく。
「なるほど、働くには、何か試験のようなものを突破しなければならないと、そう言いたいんだな?」
「ええ、察しが良くて助かります」
「……」
(どんな試験かは分からないが、いずれにしても、文化を調査するためにはコミュニケーション力は必須だ。受けるしかないだろう)
「分かった、受けよう。何をやるん」
「あのー、すみませーん。ここってウェルガンなんでも屋ですよね……?」
ガチャリと、エムのセリフを遮り、扉を開けて背後から入ってきたのは、大きい魔女帽子と赤髪が特徴的な少女、ナズナだった。
「ん?……あれ⁉ なんでここに⁉」
手紙を置いてどこかへ去っていったはずの少女がこちらに気づいた途端、頬を髪色と同様真っ赤に染め上げ、驚きに声を上げた。
「君こそ、なぜここに来た?もうこの国から出ているとばかり思っていたが」
「あー、いや、あの、出ようとはしたんだけど、その、…………途中でもうお金が無いことに気づいちゃって、食料も碌に買えなくて………」
もごもごと最後まで言えず、ナズナは言い淀んでしまう。
「それで、俺と同じくここで働きに来た、と」
「う、……うん」
手紙まで置いて格好つけて去っていったばかりに、なんとも間抜けな理由でエムと再会してしまい、ナズナはあまりの気恥ずかしさで挙動不審になっている。すでに魔女帽子で隠れている顔を更に深く被り、こちらに体を背けてしまった。
「おや?あなたもここで働きにいらしたのですか⁉」
「はい、恥ずかしながら……」
「これは僥倖!早速、今からやっていただきましょう」
「え? 今から? 何をです?」
「お頭殿ぉ‼‼ 挑戦者が参りましたぞ‼‼‼」
そのハスキーボイスを声高らかに店内へ響かせれば、どこからともなく地響きにも似た足音が近づいてきた。客も店員も、どうしても待ちきれないとばかりに、ワクワクした調子で騒めき立つ。出てきたのは。
「よくぞ来た‼‼‼‼‼挑戦者たちよ‼‼‼‼‼‼‼‼」
大樽のような鉄のダンベルを両腕に持つ、大男であった。
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