第5話:ウェルガン
「平絶の道」の朝は冷たく、凍えるような風と乾ききった空気が喉の水分という水分を吸いつくし、とてものんびりはしていられない。
エムは早々に支度を整え、もう進もうとしていた。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って。ゲホッ、喉が渇いて……水を調達しないと」
「ああ、あるぞ」
「え? あるの⁉ …………でも何も持ってなさそうだけど」
「これだ」
そう言うと、エムはおもむろに、左の銀腕を差し出してきた。
「…………え? 嘘でしょ?」
「嘘ではない、これは液体にも変化できる。そして飲料水としても利用可能だ」
「えぇ……」
どこか自信満々にそう言ってのけるエムは、その不定形な腕を変形させ、丁度真上を向けば口に入るように、円錐型の器をそこに形成させた。溶けた金属のようなものがポタポタと滴り落ち、キラリと朝焼けに照らされ光り輝いている。
ナズナは半信半疑で、そのおおよそ人が飲むべきではなさそうな銀の液体を両の手で掬い取る。思ったより冷たいそれは、濁りも何もなく、ただ純粋な銀の色をしていた。少し躊躇いはしたものの、喉の渇きには勝てず、そのままゴクリと勢いよく飲み干した。
「どうだ?」
「………ちょっと鉄の味が強めの水って感じ」
「そうか」
「でも、喉は潤ったよ。ありがとう」
「そうか。乾いたらいつでも言ってくれ」
「うん、……って、何やってんの?」
なぜかエムは、まるで背負われろと言いたげに跪きながら、ギラリと光る鉄の背を向けてきていた。ナズナは嫌な予感をしつつも、その行動の理由を聞いてみる。
「ここから先も、乗っていった方が早い」
「ま、まぁそうなんだろうけどさ」
いまいち乗り気にはなれないナズナだが、確かにその方が、ウェルガンに早く着くことも不可能ではないと薄々分かっていた。しかし、こう何度も頼りきりで、文字通りおんぶに抱っこの状態はさすがにどうなのかとナズナは悩んだ。そして。
「何も心配は要らない。馬車にでも乗ったつもりでいてくれ」
「馬車なんて乗ったことないよ……」
ウェルガンに着いた後、何か奢る形で礼をするということにし、素直にその背中に乗ってしまった。相変わらずネチョネチョとする銀粘土の腕と、頼もしく思えるほどの硬い背に、自分の全体重を預ける。
その途端、エムは大地を思い切り蹴り上げ、朝日が出る南の地平線へ猛然と走り出した。
(はやっ……‼)
乾いた疾風が頬を撫で、魔女帽子と外套を荒くはためかせる。地を割くように照らす陽光は、まるで自分たちを祝福しているかのように眩く、目を細めなければ前が見えない。冷たい風を追い越せば、轟!と旋風を巻き起こし、ちょっとした災害が作り出される。
すると、先ほどまで不毛の土地が一面に広がっていたのが、見る見るうちに草木が茂り、小川が流れるほどの豊かな大地へとエムは急速に移動していった。
本来ならば森から徒歩で4~5日、馬車でも2日はかかる「平絶の道」ではあるが、エムはその鉄脚を思うがまま振るい、わずか半日でその荒れ果てた岩石地帯を人一人背負いながら踏破してしまったのだ。
段々と目に見えてきたウェルガンらしきものに、ナズナは目を見開く。
「どんな足してるの……、大丈夫? 無理してない?」
「ああ、少し燃料が減ったが、大丈夫だ。無理はしていない」
丁寧に、そして疲れなど微塵も感じさせない声で返答するエム。しかし、エムはナズナの心配をよそに、目の前に近づく大国のことで頭がいっぱいだった。
(大国ウェルガン……一体何があるんだ?)
興味の矛先はただ一つ、ウェルガンへと向かれ、駆ける足を急かしていく。
〈大国ウェルガン〉
そこは、別名水の国と呼ばれるほど水資源に恵まれ、その莫大な地下水を利用した農業が活発になっていた。数百万を超える人口を持つことで知られ、その名は全土に轟かされており知らぬものはいないほどである。
目の前に広がっていたのは、ウェルガンへと入るための関所、殺風景な門であった。一面には白い壁が並び立ち、その壁の上に監視員らしき人影が数人、門の真上に配置されている。
もう乗る必要はないので、ナズナは早々にエムの背から降り、銀の液体から離れていく。しかし、長時間同じ体勢の中、硬い鉄の上に背負われていたため、地面に足を付けた瞬間、雷撃を思わせるほどの痺れと激痛がナズナを襲った。
「う、っくうううう……」
鈍い痛みを堪えながら少し悶絶した後、彼女はなんとか立ち上がった。しばらく続きそうなこの痺れは後回しにし、先ずはあの関所を通るための作戦を立てなければならなかった。
「……いい? 普通の人間の振りをしてね、手続きは私がするから。絶対にその腕を変形させたりしないでね、分かった?」
「ああ、分かった。だがその前に、少し細工をする」
と、エムが彼女の目の前に銀腕をかざしたかと思えば、銀粘土の一部がナズナの桃色の目をアイマスクのように覆い、本物とほとんど遜色ない程の偽物が描かれた。
「冷たっ!なに⁉ なにしてるの⁉」
「普通の目に擬態させた。あまり動くな、不自然になる」
「ぎ、擬態? ……これ両目にする必要ある?これじゃ何も見えないよ」
「片方だけでは配色のバランスが取りづらい。少しの間我慢してくれ」
「あなたは?その姿はどうするの?」
「大丈夫だ。手はある」
(プログラム起動、標準スキン作成開始)
エムは起動コードを念じ、左の銀腕を自分の額につけ、ドクドクと煌めく粘液をうねるように全身の体表面へと流した。すると、ナズナの目と同様に全身の色が変色し始めたではないか。黒髪、黒目、前を開けた白い外套と腰のバック、クロカイコの糸で紡がれた一般的な服装まで、まるで本物の「普通の青年」と見紛うほど、リアリティの高いものに変身した。
驚くべきこの光景を、ナズナは目の擬態に視界を遮られていたため見ることができず、何が起こっているのか分からない状況であった。
(大丈夫かなぁ……、何かやっているみたいけど)
その一抹の不安に関係なく、目に巻かれたその鉄のアイマスクに導かれ、関所の前へと辿り着いてしまった。そこには、青い制服のようなものを着た兵士と思わしき4人の男女がいた。
「止まれ!」
真上の監視員らしき人物の怒号とともに、男女の兵士が二人、目の前へ現れる。
でかい図体に制服が耐えきれておらず、今にも張り裂けそうなほどピチピチになっている茶髪の男と、美麗な黒髪と猫背が特徴的な、少し瘦せこけた暗い雰囲気の女が、互いに説明をし始めた。
「えー……、これから……身体検査を……始めますぅ」
「これから行うことに決して抵抗せぬよう忠告する‼ 以上‼」
テンションの差で風を引きそうなその二人は、裏に控えている他兵士に心配そうな眼差しで見られているものの、全く意に返すこともなく、ナズナ達の身体検査をし始めた。
「は、はい、お願いします」
「………」
素直にその検査を受けるナズナ達を、門の上から見下ろす男がいた。
(何が来たかと思ったら、普通の女子に、…………あれはなんだ? 普通の男?にしては妙な違和感があるが、直前であの二人に変更したのは正解だったな。遠目からでもわかるあの進行速度……、あの旅人、何か怪しい)
風になびく三つ編みを抑えようともせず、その凛々しい瞳に疑惑の念を灯しながら、ナズナ達を睨みつける。当然ナズナは、その殺気とも闘志とも言えない意思をすでに感じ取っていた。
(うへぇ、なんか、凄い上から見られてる……)
「はーい……、後ろ向いて……下さ~い。あとぉ……帽子を……取ってくれませんかぁ……?」
「あ、はい」
「ほう‼ 貴様、意外とガタイがいいな‼ 鍛えているのか⁉」
「まあ、そんなところだ」
青制服の兵士は、一通り服や荷物を隅から隅まで調べた後、「以上無し‼」「以上……無しぃ」という二つの掛け声を呼び合うと、ナズナ達を関所の奥へと案内した。そして、いくつかの書類を書いた後、無事関所を通ることが許可された。
「南門、開通!」
張り上げられた声とともに、ギギギと唸るように門が開き、目の前に、まだ見ぬ国の景色が広がっていた。
(あー、よかったー、何事もなく終わって)
ホッと胸を撫でおろすナズナ。
明らかに警戒されていたが、これも、この擬態の完成度がなせる業なのか、一向に気づかれることもなくあっさりと通ることができた。
「ここからぁ……まっすぐ行けば……すぐ都ですぅ……」
「はい!ありがとうございます!じゃ、行こう。エム君」
「ああ」
少しの不安はあるものの、なぜか、彼と一緒ならば、なにも怖くはないと思えるほど勇気が湧いてくる。そんな不思議な感覚にナズナは支配されていた。
門を悠々と出ていく二人の旅人を見送りながら、上にいた監視員らしき男が、下の警備兵がいる関所前へと、壁の中を刳り抜いたような作りの階段を勢いよく駆け下り、先ほどの特徴的な警備兵二人に詰め寄った。
「おい!ガガン!サリナ!あの旅人はホントに問題なかったんだろうな⁉ 警備兵の中でも、随一厳しい検査をするお前らを選んだのは、ああいう不審な輩が来た場合の為なんだぞ⁉」
「はい‼ 問題はありませんでした‼」
「はいぃ……、どちらも……隈なく検査しましたがぁ……、何の異常も……ありませんでしたぁ……」
「本当かそれは?」
「監視員のぉ……勘違い……では……?」
「ソライ監視員はそそっかしいからな‼」
「だが、しかしあれは……」
納得のいかないソライであったが、上司に対する部下の失礼な言動はあとで叱るとして、彼らの得体の知れなさに、なにか嫌な予感を感じずにはいられなかった。
一方で、関所からもう十分な距離に離れたナズナ達は、そのまま一直線に都心部へと向かう。
「ありがとう、もうそろそろ取っていいよ?これ。私は帽子があるから隠せるし、もう大丈夫だよ」
「ああ、分かった」
スルスルとその目に巻きついていたものが、銀の蛇みたいに素早く足り外される。
「うっ」
ようやっと陽の光を拝めたかと思いきや、ジンと刺すような陽光の輝きには堪えられず、桃色の目を思わずしばたたかせる。段々光に目が慣れてきたと思えば、今度は目の前に知らない男が一人、無表情でこちらを見ているのが分かった。
「誰⁉」
「俺だ」
「エム君なの⁉」
もはや別人の容貌であるそのエムに、開いた口が塞がらないような反応で見つめるナズナ。
「俺の格好は目立つからな、このまま潜入する」
潜入とかいう、なんだか物騒な言い方をしながらも、エムットらしき人物は落ち着いた素振りで歩き続ける。それについていくナズナは、もう前の全身鎧の面影が全くない青年の姿そのものの彼に少し恐怖を覚えるが、意志だけは前と変わらず不器用なほどに小さい自我であったため、不安は無かった。
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