第2話:人ではない

「……ん?」


気が付けば少女は、揺れる焚き火の前で横になっていた。


「あ、れ……………?」


ここは草原だろうか。辺りはすっかり日が暮れて、明りの周り以外は何も見えないほどに暗闇で満ちている。


「あ、帽子!」


ハッとしながら、魔女を思わせる鍔広帽子が横の小枝に立て掛けてあることに気づく。見つけるやいなや素早く手に取り、顔を覆い隠すように深く被りながら、その隙間から少女は外の様子を伺った。


「起きたか」

「⁉」


焚き火に照らされた向こう側に、彼は佇んでいた。

唐突に響いたその声に少女は驚き、返事も出来ずに固まってしまった。時間差で警戒心を高めるが、ぼやけた脳内がクリアになった途端、目の前にいる人物こそが窮地の自分を救ってくれた恩人なのだと少女は理解した。


「……っあ、えっと、あの、助けてくれてありがとう。あなたがいなかったら今頃どうなっていたか……」

「いや、礼はいい」


と、またもや食い気味に返答され、少したじろいでしまう。


「そ、そうだ!フェンガルは? あの獣はどうしたの?」

「フェンガル? あの四足獣のことか。あれなら気絶させて森へ返した。もうじき目覚めるだろうが、ここまで森から遠く離れていれば追ってくる心配はないだろう」


もの凄いことを淡々と言ってのけた。


(気絶させた⁉ 一体どうやって……)

「…………」


しばらくの間、重い沈黙が流れる。

改めて彼の風貌を見ると、まず鎧の精巧さ、奇妙さに目を奪われた。先ほどの戦闘が嘘のような、傷一つ無い鎧の表面もさることながら、本来ならば可動域となるはずの関節部にさえ、一部の隙もなく装甲があてがわれているその奇怪さといったらなかった。さらに、鉄兜と思わしき顔面には大小二つの円形が斜めがけに描かれていた。歯車のようなそれは一体何の冗談か、大円も小円もまるで生きた眼球のように動き回り、ギロリとこちらを睨みつけてきた。


「なんだ?」

「……あなたは、一体何者? あの時何をしたの?」


顔の模様は置いておき、まずは一番に知りたかったことを聞いた。


「あの時、とは?」

「あの鉄の壁は……それにあの発光も、一体何だったの? もしかしてあなたは……」

ごくりと喉を鳴らし、少し間を置いて少女は言う。

「異形者、なの?」

「……」


<異形者>


それは、数千年前に突如として現れ始めた奇病、その発症者とされ、身体が歪な異形と化すところから『異形者』と呼ばれてきた者達だった。超自然的な現象をも引き起こすことが出来るため、危険な化け物として忌み嫌われ、人前には決して出てこなくなった。そんな彼らがなぜ自分の目の前に現れたのか、本当に異形者なのかという疑念が少女の中で渦巻いていた。


「あなたの、その鎧のような体も、あの閃光も、全部異能なの……?」

「一度に複数の質問をするな」

「あ、……ごめんなさい」


少し興奮気味だった自分を抑え、少女は反省したように目線を落とした。しかし、どうしても彼の正体が知りたかった。

ゆっくりとした口調で、全身鎧は言い始める。


「まず、俺は異形者ではない」

「なッ! じゃああなたは普通の人間なの⁉ 人間の素の力で、あのフェンガルを倒したってこと?」

「いいや、それも違う。俺は異形者でもなければ人間でもない、もっと言えば、生き物ですらない」


まるで他人事のように、機械的な口調でそう言い放った。

人間ではないと言った彼は、確かに人の形をし、自分と会話し、意思の疎通ができている。それが、生き物ではない?

少女にとって甚だ信じられない、突拍子のない話である。


「それは、どういう意味……?」

「俺は人間によって作られた機械、ロボットだ。血なんて一滴も通ってはいない、ただの人形だ」


少女にとって聞き慣れない単語が耳を通り抜けた。


「何それ、ろぼっと? ………そんな言葉、初めて聞いた」

「この世界の言葉ではないからな、信じないのならばそれでいい、君には関係のない話だ」


訳のわからないところは色々とあるが、それでも彼が発した「人間ではない」という言葉が、少女の心底に引っ掛かった。


「関係なら、あるよ」


キッパリと言い放ち、なにかを覚悟したかのように少女は視線をこちらに向けた。ただ真っ直ぐに、真剣みを帯びた態度をしながらも、その表情はどこか悲愴的であった。


「だって、私も」


僅かに緊張した様子で、少女は深く被っていたはずの帽子をおもむろに頭から取り外す。そして少女には似合わないような厳つい眼帯を左目から引き剥がした。露わになった顔の上半分は、驚くべきものであった。

透き通るほどの美麗な肌に、灼けるような赤いロングヘア。少し幼く見えるも、整った目鼻立ちからは優しげな雰囲気が醸し出され、人柄の良さが伝わってくる。しかし、注目すべきはそこではない。


「人間じゃないもの……」


その大きな左眼には、瞳孔が無かった。本来あるはずの黒目に白目といった視線を向けるための部分さえ無い。宝石のように硬質的な球体が一つ、人形に嵌め込んだガラス玉みたいに鎮座しているだけだった。ゆらりと揺れる火に照らされ、妖しく桜色に光るそれは異様な存在感を放っている。


「異形者の特徴は、勿論知っているよね……、この通り私は、人間と呼ばれてない、呼ばれちゃいけないような、そういう生き物なんだ」


どこか自虐的で、陰りのある表情でそう少女は呟いた。


「ほう」


直後、彼は少女の悲壮な告白を意にも返さないように、隣へズカズカと移動し、顔をグイと近づけ、まじまじと観察をし始めた。


「これほど局所的な異形も珍しい。それに、美しい」


唐突な行動に「美しい」という言葉。少女が混乱しないわけがなかった。


「な、なに急に⁉」

「調査する。そこを動くな」


驚く少女を無視し、冷淡に言い放つ。

ロボットはそこだけ生身に銀色の塗り物を塗りたくったかのような、異質な左腕を少女の目の前に向けてきた。


「それは……?」

「調査装置だ」


ズズズズズズズズズズズ……と。

その腕は、どう見ても普通とは思えないほどに膨張し、歪み、曲がり、器のように流動しながら、「ひっ」という小さな悲鳴ごと少女の全身を飲み込んでしまった。


(いやちょ、なにこれ⁉ なんなのこれ⁉)


訳も分からず揉みくちゃにされながら、体中を隅から隅まで、粘液のようなものになす術もなく触られてしまう。

やがて調べ終えたのか、銀色の粘着物は少女の体を離れ、元の腕の形へズルズルと変形していった。


「ん……ぷはぁ……! い、いきなり何なの⁉ どういうつもり⁉」

「心配はするな、ただ君の体を少し調べただけだ。これで、俺が人間ではないと理解はできたか?」

「心配とかじゃなくて!何かするならその前に一声掛けなさいよ!」

「……? 君はさっきの調査について怖がっているのではないのか?」


なぜか妙な方向から怒ってくる少女に、困惑した様子を滲ませるロボット。


「別に驚いたし、怖くなかったわけじゃないけど……あなたの行動に『敵意』が無いことは、十分感じ取れていたから。……というか怖がるって分かるなら最初からやるなし!」


聞き捨てならない、驚くべき発言をロボットは聞き逃さなかった。


「敵意を『感じ取る』?」


驚愕と疑問の感情をぶつけられ、少女は少しばつが悪そうに語り始める。


「………うん。私はね、他人の意識とか感情が、どんな風になっているのか、どこに向かっているのか、そういうものが全部分かるんだ。簡単に言うと、生き物の心が理解できるってこと」


その告白にロボットは驚きもせず、ただ静かに聞き入るだけだった。


「生まれた時からだったよ。こんな目をして、こんな特技を持っていたのは……、村の人たちからは、当然気味悪がられて、同い年の子供からは、よく石を投げつけられてさ……」


人々の負の側面を、幼いころから一身に浴び、それに愚直ながらも彼女は耐えてきた。その心境は想像を絶するほどに痛ましいものだろう。


「はは、笑っちゃうよね、そりゃそうだよ。こんなの誰がどう見たって化け物だもん……嫌われるのなんて当たり前だよね」


自虐気味に、どこか愁いを帯びた表情で彼女は笑った。しかし、それを切り裂くように、ロボットは思わぬことを口にする。


「そんなことは無いとも言い切れないが、しかし、君は人間だと思うぞ」

「え……?」

「君の体構造を調べた結果、この世界の人間と既存の体構造がほとんど一致した。まだ調べ足りないことは山ほどあるが、それでも俺は、君がこの世界における人間ではないという可能性は、限りなく低いだろうと考えている」


ただ彼は、これまでのデータを元に、導き出される結果を予測しているに過ぎないのだろう。何の保証もない、出鱈目の可能性だってある。見た目の問題だというのに、心なしかこの鎧男は自信満々な雰囲気を出していた。

しかし、彼女にとってその言葉は、深く奥底に積もらせていた心の澱を、僅かにだが和らげるには十分なものであった。


「そう……、ありがとう、そう言ってくれるだけでも、少しは救われるよ」

少女は嬉しそうに、微笑した。

「…………けど、普通の人の体構造が分かるってことは、君は学者か何か? 他の誰かにもあのグネグネをやっちゃったってこと?」

「ああ、学者ではないが、そうだ」

「あー、うん……、今度からはそういうの、許可取ってからした方がいいよホント」


許可をとったところで、あの行為を許されるかどうかはまた話が別だが、あの気持ちが悪い感触を好む人間は、まずいないだろう。顔も名前も知らぬ人に、密かに同情の念を向ける少女だった。


「ねぇ、あなた、これからどこへ行くの?」

「この辺りの生態系は、あらかた調べ尽くした。だからそろそろ別の環境に移動しようかと考えていたが、それを聞いてどうする」

「一緒に、ウェルガンへ旅に行かない?」

「断る。会ったばかりの人間など、信用できない」


一も二も無く拒否された。


「……い、いいじゃない! 当ても無くただうろつくだけだったら、目的あって行動した方が楽しいよきっと! 私は道案内できるし!」

「俺は楽しみにここにいるのではない、使命があるからここにいる」


神妙な面持ちで(表情は分からないが)ロボットはそう告げた。


「使命?」

「そうだ、俺はこの世界を、この星のあらゆる事象や生態系全てを観測し、計測し、記録する。そのためだけに俺は造られ、ここに送られた」


感情も何も詰まってはいない、虚のような円形の瞳に、しかし、強かな意思の炎が微かに揺れ動いているのを、少女は感じた。


「……やっぱり、あなたは人間だよ」

「俺が、人間? 違うな。確かに俺の頭脳は生きた人間をベースにして造られた。だがそこまでだ、所詮は模造品だよ。生きる人間の生命力なんて持ち合わせてはいない、ただの機械だ」


冷めたような口調で、しかし心なしか、自らを忌まわし気に語るそのロボットには、隠し切れないほどの矛盾した情緒があると少女は直感する。


「私が意思を感じ取れるのは、人間と生き物だけなの。あなたのそれは少し弱いけど、人間の意志そのもの。ただあなた自身がそれを認めていないだけ、だと思う」

彼女はただ真っ直ぐに、桃色の目を向け再び言った。

「あなたは人間だよ。私に誓ってね」

「……勝手に言っていろ」

「ん?ってことは、一緒に旅してくれるの?」

「俺には使命があると言っただろう。そんなことは言っていない。会話が嚙み合っていないぞ」

「いろんなものを調べるってやつ? 何のためかは聞かないけど、だったら尚更、一緒に旅した方が良いと思うけどな……、知るって言ったって、フェンガルの名前を知らなかったのもそうだけど、名前が分からなかったらあんまり意味ないんじゃない? それに」


一区切りし、悪戯をする子供のような笑みを浮かべ、少女は言った。


「大国の文化っていうのも、気になるものじゃない?」

「……」


『大国の文化』この星に来て一年半、寂れた村ぐらいしか訪れていなかったロボットにとって、それは是非とも観測したいものであった。少し考え込むように俯いた後、ロボットは了解したように少女の目を見た。


「面白い、しかしいいのか、君は君で、何か目的があったのではないのか?でなければこんな森を通ろうとは思わないだろう」

「あーいや、まさにその大国を目指していたから、丁度いいなら一緒に行こうかなぁなんて……」

「……なるほど、道案内をする代わりに、用心棒になれと、そういうことだな?」


呆れた様子で、ロボットは口もないのにため息を零す。


「た、確かに危険な時は助け合っていきたいけど、それだけじゃなくてさ……」

(君の言う調査の手助けになれれば、と思って)


慌てた様に思ったことを口に出そうとしたが、少し考えたあと気恥ずかしさで言葉を噤んでしまった。


「まず、その大国への道順は知っているのか?」

「も、もちろん!」


少女は気を取り直し、当然と言いたげに胸を反らせながら、使い込まれた腰のバックから何らかの皮で出来た地図を取り出した。


「……まぁいい、そういうことなら利害が一致する。あまり足を引っ張るなよ」

「ホント⁉ なら決定だね!」


砂金のように散りばめられた雄大な星空の下、一人と一機、その奇妙な関係が交わろうとしていた。


「そうだ、そういえば自己紹介がまだだった。一緒に旅する相棒なら、名前ぐらい言っておかないとね。私の名前はナズナ、得意なことは弓を引くこと、苦手なことは裁縫かな。あなたの名前は?」

「惑星単機探索型ヒューマノイド、個体識別番号はM-56。どう呼んでも構わん。俺の主機能はこの銀腕と、自動言語翻訳、右腕の捕獲用スタンガンだ。威力は上限で2億ボルト、下限で5ミリアンペア。カメラは赤外線、放射線測定、レーダー探査などにも対応可能だ」


相変わらず何を言っているのかナズナには理解できないが、それでも容姿など気にせず、自分に少しでも歩み寄ってくれるその姿勢にナズナは感謝の念を込め、名前を呼ぼうとした。しかし、ふとあることに気づく。


(……なんて呼べばいいんだろう。確か『えむふぁいぶしっくす』とか言ってたっけ。えむふぁいぶ……、えむ……、そうだ!)


「これからよろしくお願いします、エム君。……ところでさ、さっきからその、わくせい?とかなんとか言っているのは何なの?」

「惑星とは、太陽など恒星の周囲を公転し,十分大きな質量をもつため、自身の重力でほぼ球形を保ち,その軌道近くから他の天体を排除した天体のことを指す」


まるでどこかの専門書籍に載っている知識を丸々羅列したかのような、無感動な返事が返ってくる。


「えっと……、もう少し分かりやすく?」

「……俺はあそこから来た」


そう言って、真上の星空を、その鉄の指で示した。


「あそこから?あの空に光ってる、あの星空の中から?」つられて上を見上げながらも、とても信じられないという風に聞き返すナズナ。

「あんな小さな光が、君の故郷なの?」

「ああ、正確に言えば、この星から50光年離れた地球と呼ばれる惑星だ。明るく見えてはいるが、ただ恒星の光を反射しているだけだ。あれ自体に輝きはない。それに、小さく見えるのはそれだけ遠距離に位置しているからだ。質量の差はあれ、ここもあの光と同じ、星だ」


その説明にナズナは「そっか……」と呟き、意外そうでもなければ、驚いたようにも見えない、奇妙な顔をしていた。


「姉さんが言っていたのは、ホントだったんだ……」

「姉がいたのか」

「うん、私が生まれた直後に、両親が死んじゃってね。幼い私の世話をして、ずっと守ってくれていたんだ。優しくて、厳しい姉だった。でも……」


何かを言いかけたが、ハッとした表情の後に頭を横に振りながら、言いかけていた言葉を飲み込み「なんでもないや」とナズナは笑って誤魔化した。


「姉さんは、私に色んな事を教えてくれたんだ。どれも突拍子が無いもので、信じられないものばかりだった。今の話みたいに、私たちのいるここも空の光と同じ星で、この広い世界の幾億もある星の中にも私たちと同じような人間がどこかにいるかもしれないって話を聞いて、面白いけど、あの時の私にはよくわからなくて……、でも、今なら分かるよ。ホントなんだね」


どこか遠い記憶の情景を思い起こしながら、ナズナは桃色の瞳に目一杯の星を映す。水面に宿る星空のように、その目を潤わせ、小さく光る星々を瞬かせる。

その少女は、もう何も話すことはなかった。

気を使ったのか興味が無いだけなのか、エムはそっぽを向いて、先の調査で得たデータを頭脳内で解析し始めていた。


その涙に、気づかない振りをしたまま。

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