第54話・白百合の知らえぬ恋は・6

 目の前の美しい少女が口にした歌が、灼けたような赤い縮毛に向けた賛辞だと気づいた者は、そのとき誰もいなかっただろう。当の龍田でさえ、あなたまで馬鹿にするのかと涙がにじんだくらいだ。

「素敵! ちはやぶる神代も聞かず龍田川 からくれなゐ唐紅に水くくるとはーー龍田川はきっとこんな鮮やかな赤なのね!」

 紅潮した頬で見つめる人形のようなお姫様、温かく握られた手。好意が素直に受け止められない龍田は、うつむいて泣きたくなる。

「お母さま! お母さま! わたくし、この子がお友達に欲しい!」



 龍田中納言の父は現・弘徽殿の女御のいとこにあたる。位は中納言。龍田の母である北の方正妻は女ながら漢籍の教養に長けて、内侍としてよく仕えた。若い頃はたいそうな美人で、交わした多くの歌は歌集にも取り上げられている。出世願望の高い摂関家の男と美しい教養人の妻――上流貴族によくあることとして、両親は娘の入内を夢見ていた。

 しかし生まれてきたその子の髪は、血のように赤い縮れ毛だった。

 長くまっすぐな黒髪が尊重される世の中で、色も強い癖も目立つ。鬼の子のようだ、と皆が口を覆って噂した。

 育てば育つほどその顔は母に似ない凡庸であり、比して赤い縮れ毛が目立つ。率直に言えば醜女だった。

 期待を裏切った怒りもあり、幼い龍田は何かと厳しく当たられ、どうせ人前には出せない子だからと他のきょうだいに差をつけられ、家を訪れる親戚からは御簾越しにも隠せない赤毛を言いたい放題噂された。



「そんな妾を見て、妾よりもずっと幼かった弘徽殿の方様はこうおっしゃったのです。――”神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは(神代にも聞いたことがないわ、龍田川。こんな美しい唐紅に水を染めるなんて)”と」



「乳姉妹のあなたでさえわたし」を嗤うのかと……最初はそう思いました。しかしその白い頬はうれしそうに紅潮して妾を見ているのです」

 龍田が懐かしそうに微笑む。

 思い出すのは初めて顔を合わせた乳姉妹のはずむような笑顔。

 お前など娘と紹介するのも恥ずかしいと罵られながら叩きこまれた礼儀作法すらうまくできなくて、ああ失敗した失敗したと思えば思うほどに周りの笑い声が自分の失態と髪の色に指されている気がして。いたたまれなくて母の背中に隠れた幼い龍田に、ぐいと迫る右大臣の自慢の姫の美しい笑顔。

『素敵! 初めて見るわ、紅葉みたいな綺麗な髪! わたくし、あなたの髪が好きよ、龍田。お母さま、わたくし、この子をお友達に欲しい!』

 耳を疑った。周りの大人は冗談だと思って嗤っていた。

(もう構わないで。さらし者にしないで。こんなわたしのこと)

 いたたまれなくてうつむく幼い龍田の手を、それよりも白く小さな手が強い力で握りしめる。

『どうかずっとわたくしに仕えてくださる?』

 しかし蝶子の強く握る手は嘘じゃないと訴えている。



 後に弘徽殿の女御となる右大臣の姫・蝶子は龍田を所望した。初めての遊び相手に。入内を目指して一緒に学び成長していく女房に。

 最初は疑っていた。そそっかしい赤毛の鬼っ子に建前で優しくすれば、妃にふさわしい慈悲のある姫だと評判が立つ――そういう算段なのだろうと。あるいはあの人形のように美しいお顔の引き立て役なのだろうと。

 覚悟している。だから早く見放してほしい。どうせ入内のときにはわたしのような見栄えのしない女房は連れて行かないに決まっているのだ。わたしの未来は孤独で真っ暗なまま。

 見捨てるのなら、早く、早く。あなたを好きになってしまう前に。


 なのに蝶子の寵愛は年々深くなる。それに引き上げられるように、龍田の女房としての教養と技能はめきめきと向上し、もはや誰も愚鈍と思う者はいない。

 龍田の赤い縮れ毛に紅葉のようで美しいと見惚れ、愚図なところを慎重で忍耐強いと讃え、母の教育が怖かった妾の目の前で楽しそうに本を読んで学問の楽しさを教えたその人は。誰よりも信用して傍に侍らせるその人は――入内の決まったそのとき、まっさきに龍田のところに来て「ずうっと一生わたくしに仕えてね!」と笑いかけたのだった。


『紅葉には月よ。わたくしについてきなさい、龍田。あなたにこの世の望月を見せてあげる』


  ◇◇◇


「女御様だけが、わたしを人間にしてくださいました」

 龍田はそう言ってはにかんだ。

「あなたにも、そんな人がいるのではありませんか?」

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