第37話・一方その頃のトニさんは

 射放った矢がまっすぐに的の中央に刺さる。

 あたしが得意げな顔をするより早く、拍手が聞こえてきた。

「すごい、百発百中だ」

 にーさんは自分が射たわけでもないのに本当にうれしそうな顔をして興奮気味に褒めている。

 彼はあたしが内裏の門を尋ねたときに警護をしていた衛士で、まだ頼りないおにーさんだ。

 なぜかあの一件で尊敬のまなざしを向けられてしまったあたしは(いや、本当に何もしてないんだけど、なんで?)弓場殿の片隅を借りて一緒に練習をすることになった。

「当然だろ。あたしは小さいから強弓は引けない。できるだけ素早く正確に、たくさん当てなきゃお陀仏さ」

 なんか毒が抜けるほど気さくなやつだな。おそらく田舎から労役で出てきたばかりの地方役人の息子――とはいえ、こいつだってあたしからしたら立派な貴族なのに。

「その射法を教えてほしいんだよな。ここで教わることなんて全部礼儀ばっかりでさ。言う通りにしたって全然当たりゃしない」

 言いながらにーさんは寄り引いて矢を放つ。にーさんの命中率は低いが、射起こすとき気持ちよく背が伸びる。

 その姿に、いつか見たぼーさんの姿がかぶって見えた。

 ああ、綺麗な姿勢だ。きっとえれえ人たちってのはこういう姿勢で弓を習うのだろう。

「だめ。あんたは教わった通りの姿勢でがんばってうまくなるんだよ。そういう綺麗な姿勢で弓を射る奴をひとり知ってる。あいつはきっと巧い。中途半端にあたしの素人射法を混ぜたらかえってぐちゃぐちゃになる」

 あたしはどちらかといえば、背が曲がっているし、あまり高く掲げないまま連続で弓を射る。正しい弓術としてはきっと邪道なのだが、素早い連射を可能にする、狩りの実用射撃だ。

 それに一切の劣等感はないし、狩りで正しい姿勢なんて気にしていたらすぐ獰猛な野生動物が迫ってくるのは確かだが、こういうのが向いている場所と、お作法通りに学ぶほうがいい場所とがあると思うのだ。あたしはこいつの一生の師匠になれるわけではないし、こいつも山でお膳立て無しのガチな狩りをするわけではない。

 にーさんは「ちぇ」と残念そうに舌打ちをしてもどかしそうに作法を確認しながら弓をつがえる。

「そういえばさ。名前、なんてーの?」

 あたし、こいつのことはおもしれー男だと思ってるんだよ。

 洛中の人々からは汚くあしらわれている猟師の娘に向かって、わざわざ頼んで一緒に練習してほしがる変わり者の下っ端衛士。いつまでも「にーさん」じゃ味気ない。

 尋ねると、彼はなぜか自分の弓を持ち上げて眺めながら首を傾げる。

「名前?」

 どうにも通じていなさそうなので、あたしははあきれたように言った。

「おにーさんのだよ」

 衛士の少年は俺?と自分を指さす。そうだよ、そう。あんたの名前。なんで弓の部位の名前なんか聞いたと思ったんだ。

 少年はなぜか悔しそうにそっぽ向いて、ぶっきらぼうに答えた。

「……与一」

 あー。これ知ってる。つい最近も見た反応だ。犬君のぼーさんに名前聞いたときに見せた不本意な顔。

 だけどいいじゃん与一なら。大人の男なのに女童みてえな名前つけられたぼーさんだっているんだぞ。

「いい名前じゃん、与一」

 肘で小突きながら言ってやると、与一は今度こそ頬をふくまらせながら投げやりに言う。

「カッコよくなんかねえよ。太郎も二郎も三郎も姫も産んで、もう充分に産んだから打ち止めにしようと思っていた矢先に生まれてきた子につけるありふれた名前が与一だ。あまった一人だから与一」

 判りやすい拗ねた末っ子の愚痴に、あたしはちょっと笑う。

「でもきっとあんたにはいい名前だ。与一って名前のやつは弓がうまいと決まってる」

 それを聞いた瞬間、今まで頬を膨らませてそっぽ向いていた与一が急にこちらに向き直り、肩をつかみながら食い気味に聞き返してきた。

「そうなのか!?」

 勢いに飲まれて、あたしは思わず本当のことを漏らしてしまう。

「……えー……ごめん、今のは適当に考えた……」

「なんだ」

 与一は再び頬を膨らませながら手を離した。

「でも本当に与一は筋がいいと思ってんだよあたし。名前も普通にカッコいいって思ってる。だから許してよ、与一おにーさん」


 そんなことを言っていると、急に練習場がざわつきだした。

 遠くに女官のきれいなおべべを見かけて、思わず与一の背中に隠れる。

「やべ。なんでこんなところに女官が!」

 与一はあきれたようにちょっとこちらを顔だけで振り向きながら小声で言った。

「弓が借りたいんだってさ。心配しなくてもこっちには来ねえよ。俺たちのショボい練習弓には用が無いからさ」

 あたしは首を傾げてもう一度、遠くに見える女官を見つめた。

「……弓?」




◆次回更新、新章開始は2024/2/16(金)になります◆

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