エピローグ

第41話「そして変わらぬ日常へ」

『本当にいいの? 光一』


 通話先で、千晴ちはるが念を押してくる。


『あの子、楽しみにしているのよ。……まぁ、平日だから無理は言えないけどさ』

「ごめんよ、姉さん。どうしても外せない用事があってさ。でも、誕生日プレゼントは用意してあるから、今度の休みに持っていくよ」

『ふーん……まぁ、仕方ないか。あと、どうしても外せない用事って何? 仕事?』

「まぁ、そんなところ」

『熱心ね。あんたらしくない……って言ったら、失礼か。まぁ、いいや。夢月むづきには私の方からうまーく言っておくから』

「頼むよ」

『あ、そうそう。睦月むつきちゃんにもよろしくねー。ご両親はまだ来れてないの?』

「あー……どうも今度は、パスポートの申請に時間かかっているみたいでさ」

『あー、そりゃ長いわ。となると、しばらくあんたが親代わりなのね』

「……そうなる、のかな」

『うん? なんかあった?』

「いいや、なんでも。……そろそろ切っても大丈夫? 昼休みが終わりそうなんだ」

『あ、そうなの。くれぐれも体には気をつけなさいよ』

「ああ、姉さんも。悟郎ごろうさんも、夢月も」

『わかってるわ。んじゃ、切るわね』

「ああ」


 通話が切れる。


 光一はスマホの画面をじっと見下ろし——ポケットに入れた。


 開けた窓から風が吹いてくる。やや湿気を帯びている。もうすぐ梅雨の季節だ。四月、五月のような爽やかさが徐々に失せていくのは少し残念に思えた。


「先生」


 いつの間にか、気配もなく、ベッドに黒乃が腰かけていた。いつも通りの三つ編み、分厚いフレームの眼鏡姿だ。


「元に戻したのか」

「前の方が良かったんですか」


 刺々しい口調に、光一は苦笑した。


「いや、あれなら男子にもモテるんじゃないかなぁって」

「私には、先生以外の男なんてどうでもいいです。男子なんてガキばっかりだし。つまんない見栄ばっかり張ってるし」

「はは、そういう年頃なんだ。許してやれ」


 言いつつ、手際よく片づける。鞄をデスクに載せると、黒乃は眉をひそめた。


「先生、もう帰るんですか?」

「ああ、ちょっと用事があってな」

「……あの子ですか?」


 じっとりとした目で言われ、光一は肩をすくめ、「そんなところだ」


 黒乃ははぁっとため息をつき、「本当に姪っ子ラブなんですね」


「前にも言いましたけれど。本当に、どうなっても知りませんからね?」

「わかってる。それよりも俺は、君の方が心配だな」

「…………」

「〈リライト〉に逆らうことをしたんだろ? 大丈夫なのか?」


 ぷい、と黒乃にしては珍しく——年頃の少女がするように——そっぽを向いた。


「先生に心配してもらうほどではありません。こう見えても〈リライト〉では幹部扱いだったので。処罰は受けるでしょうが、身内同士で潰し合いをしてもメリットは薄いですから」

「ふぅん……なるほど、な」


 光一が鞄を持つと同時、黒乃は立ち上がり、二人で保健室から出た。


 鍵をかけ、ふと——黒乃が顔を伏せていることに気づく。


 光一は後頭部をかき——結局、気の利いた言葉が浮かばなかった。


 そんな自分に呆れつつ、「黒乃」


「なんでしょうか」

「その、な。ありがとう」

「……礼を言われる筋合いなんかありません。私は——」

「もういいんだ。過ぎたことだ。結果的にだが二人は助かったし……もう、いいんだよ」

「私のことが許せないんじゃないんですか?」

「まぁ、ちょっと前まではな。でも、最後に助けてくれたからそれでチャラだ」

「…………」

「じゃあ俺、そろそろ帰るから」


 黒乃に背を向け、階段に向かって歩いていくと——


「先生」

「……ん?」

「私、先生のこと諦めませんから」


 言うや、すぐさま黒乃は光一の横を通り過ぎ、そのまま走り去ってしまった。


 光一は首筋をかき、うーんと腕を組んで唸った。苦笑ともつかない微妙な表情で。


「参ったな……」

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