第19話「タイムマシンを造った理由」

 自宅に戻ると、浴室から水の音が聞こえた。


 そういえば、晩ご飯がまだだった。


 しかし、作る気力がわかない。作り置きのおかずと冷凍ハンバーグをレンジで温めて、白米とインスタントの洋風スープという簡素なものにした。


 食卓に並べていると、ちょうどパジャマ姿の夢月むづきが出てきた。泣きはらした目元はすっかり赤くなっていて、ひいき目に見てもひどい顔になっている。


「……ごめんね」

「……何がだ?」

「ううん、なんでもない」


 夢月は座布団に座り——光一はどこか釈然としない気持ちで、反対側に座った。


 食事の間は無言だった。


 何度か夢月の表情をうかがっても、彼女はただうつむいているだけ。もそもそとおかずに箸をつけているが、味など感じてないように、ひどく無感情だった。


「ごちそうさま」

「ごちそうさま」


 食事を終え、光一は手早く食器を盆に載せる。「あ……」と夢月が手を伸ばしかけたが、「いいから」と言って、夢月の仕事を盗ってやる。


 皿を洗っている間も、夢月は食事の時と同じ姿勢のまま、ちゃぶ台の一点をただ見下ろしていた。〈ウォッチ〉を起動する様子もない。


 なぜ、彼女はこんなにも沈んだ顔をしているのだろう。


 未来は変えたはずだ。


 千晴ちはる悟郎ごろうも、あの子も死ななかった。


〈リライト〉だって退けられた。


 それなのに、どうして——


 洗い物を終え、光一は再び夢月の向かい側に座った。「お茶、いるか?」と訊いても、ふるふると首を振るだけだった。


「そうか」


 自分の湯飲みに茶を淹れ、ひと口つけてから——「お疲れさん」


「あ、うん……」

「さっき少しだけ確認したが、背中の辺りが特にひどいな。後で薬を塗ってやる。それと、しばらくは派手な動きをしないことだ」

「うん……」

「…………」

「…………」


 夢月は何も言う様子がなかった。


 このまま黙っていてもらちが明かないので、自ら切り出すことにした。


「今日、どうだった?」

「どうって……?」

「姉さんと悟郎さん……お母さんとお父さんに会ってみて、どうだった?」


 夢月はためらいがちに、「あったかかった」


「とても懐かしくて、涙が出そうなぐらい……あったかかった」

「そうか」

「おじさん。わたし、正直……迷っていたの」

「姉さんと悟郎さんを守るかどうか、だな?」


 はっと夢月は目を大きく見開いた。


 やはり、と光一は無言で小さくうなずいた。


「もし、二人が生きていれば、君の知る歴史が変わってしまう。それは俺も懸念けねんしていた。だが、君はこうして俺の目の前にいる。四歳の夢月もいる。……そこで疑問だが、君の過去については、今も覚えているのか?」


「う、うん。わたしがおじさんに引き取られたことからのことも、ずっと……」

「だが、今日、二人は死ななかった。つまり、俺があの子——夢月を引き取るという未来はなくなった。それなのに、君は俺に引き取られたという記憶を持ったまま、ここにいる。どうしてなのかはわからないが、明らかに何らかの変化が起きている」

「変化……」

「そしておそらくその変化は、〈リライト〉にとっては望ましくないことのはずだ」

「ん……」

「これは俺の勘だが……次、奴らは本気で攻めてくるだろう。それでも君は戦うのか?」


 夢月は光一の目をじっと見据え、「当たり前じゃない」


「わたしの望む未来は、最初からずっと変わってない。〈リライト〉からみんなを守る。時の流れがどうのなんて、わたしには知ったことじゃないもの」

「……たとえ、世界中を敵に回すことになってでも、か」

「え?」

「なんでもない、独り言だ」


 お茶を飲み干し、ことん、とちゃぶ台に湯飲みを置く。手に持った湯飲みから急速に熱が失せていくのを感じながら、光一は言葉を紡いだ。


「なんにしてもこれからは、より一層の警戒が必要になるか……」

「うん。今度のターゲットはおじさんか、わたしになると思う」

「君が?」

「元はと言えばわたしとヨルワタリが、時の流れを狂わせることになったから」


 うつむく夢月の手前——光一はあごに手を添えた。


「本当にそうか?」

「え?」

「俺が未来で……いや、今でも疑わしいが……とにかく、タイムマシンを発明したのがきっかけだったんだろう? ならば最優先で始末するべきは、俺じゃないのか?」


 そこまで言って——「いや」


「そもそもなぜ、タイムマシンなんかを発明しようと思ったんだ……?」


 夢月はきゅっと口を結んだ。悪いことをしてそれが発覚し、これから叱られることを怖がる子供のようだ。


 意を決して口にした答えは、実にシンプルなものだった。


「わたしが、お父さんとお母さんに会いたいって言ったから」

「——それだけ?」

「うん、それだけ」

「……そうか」


 光一はあごに手をつけたまま、思わず笑い声を漏らしてしまった。


 不思議そうな顔をしている夢月に、「いや、悪い」


「確かに俺だったら、あの子のためにタイムマシンを作るぐらいのことはするだろうな」

「…………」

「そんな顔をされても困るぞ。……さて、明日は学校だ」


 おもむろに立ち上がる。


「そろそろ寝る準備をしておきなさい。寝不足はお肌の大敵だろ?」

「……むぅ」


 からかうように言ってやると、ほんの少し頬を膨らました。やはり神妙にうつむいているよりも、そういう幼い顔の方がよく似合う。


「そうだ」とデスク脇の救急箱から塗り薬を取り出した。


「忘れない内にやっておかないとな。とりあえず、背中を見せてくれ」

「あ、うん……」


 ためらいがちに上半身の服を脱ぎ、後ろを向いた夢月の背中を見——光一の顔がこわばった。いくつもの注射の痕のようなものが、背骨を中心に点在している。傷はふさがっているが、その傷の周辺には赤いものが残っていた。


 明らかに打撲だぼくあとではない。


「えへへ、ひどいでしょ?」


 無理して言っているのが、明らかだった。


「……そうだな。軟膏なんこうの方がいいかもしれんな」


 軟膏とガーゼとテープを用い、背中に塗りつけ、貼っていく。多少筋肉がついているとはいえ、あまりにも小さな背中だった。


 まだ子供なのだと痛感するには、十分すぎるほどに。


 そして、ヨルワタリのことが頭をよぎる。あれがもし本当に自分の考えついたものならば、ブーステッドシステムというものが搭載されているはずだ。メリットも、デメリットも、使った結果どうなるかも——知っている。


 この子はそのシステムを使ったのだ。


 千晴や悟郎、四歳の夢月、そして——光一を守るために。


「……おじさん?」

「……大体は終わった。痛かったりしたら、横向きで寝た方がいい」

「——うん」


 痛いはずなのに、なぜか嬉しそうだった。


 その理由を考えようとして——止めた。


 夢月はすぐに寝入った。


 音を立てないように気をつけ、光一はデスクライトを点けて日記を書くことにした。


 そういえば——今日あった出来事は、夢月が持っている自分の日記と、そっくりそのまま同じ内容になっているのだろうか。


 中身を確認したいが、今、夢月は寝ている。無理に起こしたくはない。〈ウォッチ〉は常に夢月の手元にあるので、取ろうとするのも難しいだろう。


 ひとまず、日記にペンを走らせる。


 ふと、あることを思いついた。


 光一のつけた日記と、夢月の持っている日記が完全に同じものだとしたら―—その先の出来事も書いておけば、その通りになるのではないか? 〈リライト〉を退け、自分も千晴も悟郎も、そして二人の夢月も死ぬことのない未来に導けるのではないだろうか。


「……アホか」


 自分の書いたことが現実になるなど、さすがに発想の飛躍が過ぎる。


 だが。あるいは。もしかしたら。


 そういう期待感がどうしても拭えなかった。


「……誰か、こういうのに詳しい人がいればな……」


 デスクの上でぼやき——「あ」と小さく声を上げる。


 一人いた。身近にいる人で、その手の知識に詳しそうな人が。

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