第18話「可能性の塊」

 悟郎ごろうの運転する車の中——夢月むづきは光一の肩にもたれかかって、寝息を立てていた。まるで起きる気配のない様子から、今日の戦闘は相当堪えたらしい。


 あの後、千晴ちはると悟郎から「もう帰った方がいい」と言われた。二次災害の恐れがあると危惧してのことだろう。電車は使えなくなってしまったので、現在、悟郎が運転してくれている。夢月を起こさないためか、悟郎は進んで話しかけてこようとはしなかった。


 光一の家まで着いた時、「あれ……?」と夢月が目元をこすった。


「無理をするな。今日はもういいから、休んでおけ」


 聞こえていたかはわからないが、光一は再び眠りに落ちた夢月を部屋に運んだ。悟郎が布団を敷くのを手伝ってくれたので、そっと寝かしてやる。プラモデルだらけの部屋を見て、「また千晴さんに怒られますよ」と半ば呆れ顔で言われ、「内緒でお願いします」と苦笑で返した。


「じゃあ僕はそろそろ帰りますね」

「あ、見送りしますよ」

「いえいえ、お気持ちだけで十分です」


 取りつくろうような微笑みに、光一は言い知れぬ不安を覚えた。この日、千晴と悟郎が亡くなることがあらかじめ決まっていたのだとしたら、悟郎がこの後交通事故にでも――最悪、〈リライト〉に襲われる可能性もゼロじゃないからだ。


 夢月は今、眠りについている。


 何かあったら守る術がない。


「いえ。やっぱり、見送らせて下さい」


 半ば語気を強めて言うと、悟郎は諦めたように小さく肩をすくめた。


 外に出て、車のそばまで近づいたところで——「光一さん」


「タバコ、ありますか?」

「え? あ……まぁ、ありますけど」

「すみませんが、一本もらえますか?」


 言われるままに光一は一本差し出し、ついでに火も点けてやった。なんとなく自分もタバコを口に含んで、二人で紫煙を吐く。夜の空気と混ざり合い、空に吸い込まれていくのを見届けながら、光一はちらと悟郎を見た。


「タバコ、お吸いになるんですか?」

「たしなみ程度ですね。でも、夢月が生まれるとわかった時、すっぱり止めました」

「なるほど」

「光一さんの方はどうですか?」


 光一は吸い殻を携帯灰皿に捨てながら、苦笑した。


「なかなか止められませんね。養護教諭という立場上、不摂生だとわかっているのですが」

「タバコを吸っていても、長生きできている方はいくらでもいますよ」

「別にそこまで、長生きしたいとは思いませんがね」

「そうなんですか?」


 悟郎は本気で驚いている様子だった。


「ええ。とりあえず夢月が二十歳になるまでは、生きておこうかと」

「そうなると、次の欲が出てきてしまいますよ。結婚するまでは見届けたい、子供が生まれるまでは見届けたい。今度はその子供が成長するのを見届けたい……といった具合に」

「あの子が結婚……」


 ドレス姿でバージンロードを歩き、どこの馬の骨とも知れぬ男と誓いの接吻せっぷんを——


 想像し、「嫌ですね」と思わず口にした。


「同感です」と悟郎も苦笑した。


「でも、あの子の未来を予想するのは楽しくありませんか? 僕も夢月が生まれるまではわからなかったんですけど……子供って、可能性の塊なんですよ」

「ああ、それは……なんとなく、わかります」

「大人になるとわからなくなること、忘れていたことを、子供は教えてくれる。思い出させてくれるというか……ふとしたことで、はっとなる瞬間があるんですよ。夢月がいなかったら、今の僕はいないでしょう。それはたぶん、光一さんにとっても同じことではありませんか?」


 すっぱり止めた、と言いながら悟郎のタバコを持つ仕草はこなれていた。吸い殻が伸びてきたので、携帯灰皿を差し出す。とんとん、と器用に吸い殻を捨てる姿は様になっていた。


 光一は頭をかき、「そうですね」


「ちょっと言い過ぎかもですが……夢月が生まれた時、俺の人生は一変しました」

「それならよかった。ここだけの話、千晴さんは光一さんにとても感謝しているんですよ」

「え?」

「いつも夢月を本当の娘みたいに、可愛がってくれているって。誕生日やクリスマスの時も、毎年一緒に祝っているでしょう? プレゼントも欠かさず持ってきて。僕の両親もプレゼントは送ってくれてますが、遠方なので、なかなか会えないんです。そういうわけで、身近に親とはまた違う大人がいてくれることは、とてもありがたいことなんですよ」

「はぁ……そうなんですか。でも、俺はあくまで親戚しんせきに過ぎないんですよ?」

「そう、謙虚けんきょなさらず。立場や血縁などは関係ないと、僕は思います。光一さんは夢月をとても大切にしている。そしてそれは、あの子もしっかりわかっている。まだ四歳でもです。だから彼女も——睦月むつきさんも、安心してあなたのそばにいられるんでしょう?」


 一瞬、心臓が跳ねそうになった。


 そういえば千晴の家にいた時に、悟郎は何かを言いかけていた。まるで、夢月の正体に気づいたような口ぶりだった。


「…………」


 いつの間にかタバコを吸い終えていた。悟郎もだ。


 携帯灰皿に二人分の吸い殻を入れる。その時、悟郎と目が合った。


「睦月さんのこと、大切にしてあげて下さいね。どうやらあの子に似て、涙もろいところがあるようなので」

「……心がけます」

「それを聞けて安心しました」


 悟郎が手を差し出してきたので、つられるように握り返す。


 その微笑みには、いつになく力強いものを感じ取れた。


 信頼してたくせる相手を見つけられた——そんな確信を目と手に込めて。


「そろそろ行きますね。帰りが遅くなるといけないので」

「あ、すみません。お時間取らせて。わざわざ車で送ってもらっちゃって……」

「いえいえ、いいんです。僕も光一さんと、ゆっくりお話したかったので」


「それでは」と言い、悟郎は車に乗り込む。


 人気の少ない、そして暗い住宅街の中、車のライトがやけに目に焼きつく。


 悟郎は窓越しに小さく手を振り、光一もそれに応えた。


 そのまま車は走り去り——光一はただそれを見送っていた。

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