第18話「可能性の塊」
あの後、
光一の家まで着いた時、「あれ……?」と夢月が目元をこすった。
「無理をするな。今日はもういいから、休んでおけ」
聞こえていたかはわからないが、光一は再び眠りに落ちた夢月を部屋に運んだ。悟郎が布団を敷くのを手伝ってくれたので、そっと寝かしてやる。プラモデルだらけの部屋を見て、「また千晴さんに怒られますよ」と半ば呆れ顔で言われ、「内緒でお願いします」と苦笑で返した。
「じゃあ僕はそろそろ帰りますね」
「あ、見送りしますよ」
「いえいえ、お気持ちだけで十分です」
取り
夢月は今、眠りについている。
何かあったら守る術がない。
「いえ。やっぱり、見送らせて下さい」
半ば語気を強めて言うと、悟郎は諦めたように小さく肩をすくめた。
外に出て、車のそばまで近づいたところで——「光一さん」
「タバコ、ありますか?」
「え? あ……まぁ、ありますけど」
「すみませんが、一本もらえますか?」
言われるままに光一は一本差し出し、ついでに火も点けてやった。なんとなく自分もタバコを口に含んで、二人で紫煙を吐く。夜の空気と混ざり合い、空に吸い込まれていくのを見届けながら、光一はちらと悟郎を見た。
「タバコ、お吸いになるんですか?」
「たしなみ程度ですね。でも、夢月が生まれるとわかった時、すっぱり止めました」
「なるほど」
「光一さんの方はどうですか?」
光一は吸い殻を携帯灰皿に捨てながら、苦笑した。
「なかなか止められませんね。養護教諭という立場上、不摂生だとわかっているのですが」
「タバコを吸っていても、長生きできている方はいくらでもいますよ」
「別にそこまで、長生きしたいとは思いませんがね」
「そうなんですか?」
悟郎は本気で驚いている様子だった。
「ええ。とりあえず夢月が二十歳になるまでは、生きておこうかと」
「そうなると、次の欲が出てきてしまいますよ。結婚するまでは見届けたい、子供が生まれるまでは見届けたい。今度はその子供が成長するのを見届けたい……といった具合に」
「あの子が結婚……」
ドレス姿でバージンロードを歩き、どこの馬の骨とも知れぬ男と誓いの
想像し、「嫌ですね」と思わず口にした。
「同感です」と悟郎も苦笑した。
「でも、あの子の未来を予想するのは楽しくありませんか? 僕も夢月が生まれるまではわからなかったんですけど……子供って、可能性の塊なんですよ」
「ああ、それは……なんとなく、わかります」
「大人になるとわからなくなること、忘れていたことを、子供は教えてくれる。思い出させてくれるというか……ふとしたことで、はっとなる瞬間があるんですよ。夢月がいなかったら、今の僕はいないでしょう。それはたぶん、光一さんにとっても同じことではありませんか?」
すっぱり止めた、と言いながら悟郎のタバコを持つ仕草はこなれていた。吸い殻が伸びてきたので、携帯灰皿を差し出す。とんとん、と器用に吸い殻を捨てる姿は様になっていた。
光一は頭をかき、「そうですね」
「ちょっと言い過ぎかもですが……夢月が生まれた時、俺の人生は一変しました」
「それならよかった。ここだけの話、千晴さんは光一さんにとても感謝しているんですよ」
「え?」
「いつも夢月を本当の娘みたいに、可愛がってくれているって。誕生日やクリスマスの時も、毎年一緒に祝っているでしょう? プレゼントも欠かさず持ってきて。僕の両親もプレゼントは送ってくれてますが、遠方なので、なかなか会えないんです。そういうわけで、身近に親とはまた違う大人がいてくれることは、とてもありがたいことなんですよ」
「はぁ……そうなんですか。でも、俺はあくまで
「そう、
一瞬、心臓が跳ねそうになった。
そういえば千晴の家にいた時に、悟郎は何かを言いかけていた。まるで、夢月の正体に気づいたような口ぶりだった。
「…………」
いつの間にかタバコを吸い終えていた。悟郎もだ。
携帯灰皿に二人分の吸い殻を入れる。その時、悟郎と目が合った。
「睦月さんのこと、大切にしてあげて下さいね。どうやらあの子に似て、涙もろいところがあるようなので」
「……心がけます」
「それを聞けて安心しました」
悟郎が手を差し出してきたので、つられるように握り返す。
その微笑みには、いつになく力強いものを感じ取れた。
信頼して
「そろそろ行きますね。帰りが遅くなるといけないので」
「あ、すみません。お時間取らせて。わざわざ車で送ってもらっちゃって……」
「いえいえ、いいんです。僕も光一さんと、ゆっくりお話したかったので」
「それでは」と言い、悟郎は車に乗り込む。
人気の少ない、そして暗い住宅街の中、車のライトがやけに目に焼きつく。
悟郎は窓越しに小さく手を振り、光一もそれに応えた。
そのまま車は走り去り——光一はただそれを見送っていた。
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