第8話「夢と、現実と」
結論からいえば、夢ではなかった。
微妙に体が痛い。チェアーで寝ていたのだと思い出した時——はっと布団の方を見た。
そこには十代の少女がすぅすぅと寝息を立て、猫のように丸まっていた。
そっくりだった。
まだ四歳の、あの子の寝顔に。同一といってもいいほどだった。髪の垂れ具合も、目の端から伸びるまつ毛も、顔のラインも、ふっくらとした唇も。
自然と力が抜けてしまう寝顔。
それでいてなぜか、体中にやる気が満ちてくる。
つい、頭を撫でてやりたいような衝動が芽生えかけ、光一はぱしっと自分の頬を打った。
何を考えている。相手は十代の少女だぞ――
その時、現実的な思考が錯綜し始めた。
十代の少女を家に泊めるなど、バレたら懲戒免職ものだ。姪っ子なんです、と言えば信じてもらえるだろうか。そもそもこの少女が本当に、自分の姪であるかどうか疑わしい。昨夜、写真をはじめ様々なものを見せてもらったが、偽装しようと思えばできるはず。
しかし。
心から安心して、すべてをこの場所に委ねているような寝顔を見ていると、そんな風に考えることさえ罪悪感を覚えてしまう。
やはり、この子は——
「んん……」
カーテンから漏れる光に、眩しそうに
そして——泣いた。
つうっと涙粒が両の頬を伝っていく。それを拭おうともせず、光一を見て、「おじさんだぁ……」と深い安堵の言葉を漏らす。
「おじさんがいる。ほんとに、おじさんがいるよ……」
泣きじゃくる夢月を前に、なんと言えばいいかわからなかった。
彼女の涙が止まるまで、光一はしばらくその場から動けなかった。
いつの間に着替えていたのか――夢月の服はあのパイロットスーツではなく、花柄のパジャマだった。それが涙で濡れに濡れてしまったため、「洗濯しないとな」と、光一は男物の衣服とタオルを分けながら言った。
「……うん」
「普通の服はあるのか?」
「〈ウォッチ〉に入れてあるから大丈夫」
「〈ウォッチ〉?」
「このデバイスのことだよ。正式名称は長いから覚えてない。簡単なものなら圧縮して、中に入れておけるの」
そう言って腕時計型の〈ウォッチ〉を見せてくる。
はぁー、と光一は感嘆した。
「便利なもんだな。未来ではそんなに進んでるのか」
「うん。でも、洗うならやっぱり洗濯機」
「そこはまだ同じなんだな」
苦笑しながら言うと——
「あのね、おじさん」
「……なんだ?」
夢月は恥ずかしそうに言った。
「わたし、シャワー浴びたいな」
「……ああ、そうか」
昨夜のごたごたですっかり失念していた光一は、ひとまずタオルのみ洗濯機に放り込んだ。あらかじめ洗剤を入れておき、「後はスイッチを押すだけだから」と伝える。
「うん、わかってる」
「あと、シャワーのお湯だが、ちょっと加減が……」
「わかってる。何度も使ってるし」
「……そう、か」
光一はひとまず自室の引き戸を閉じ、シャワーの音が流れるのを待った。その間に新しいタオルを用意してやり、朝食を作り始める。浴室のすぐ隣がキッチンという一人暮らしに特化した構造であるため、急いで作る必要があった。
シャワーを終えた夢月はタオルを髪に、シャツと短パンを身に着けていた。ちゃぶ台に並んだ食事——ご飯、レトルトの味噌汁、そして冷蔵していた余り物のおかずと、卵焼き。年頃の少女が満足するかはわからないレパートリーだったが、夢月はぱっと顔を輝かせた。
「肉じゃがだ!」
「余り物だけどな」
「おじさん、昔から煮物は得意だったもんね!」
「そ、そうか……?」
夢月は食卓につき、「いただきまーす!」と元気よく言った。
「いただきます」
つられるようにして光一も、箸を丁重に持つ。
そういえば——誰かと一緒に朝ご飯を食べるなんて、どれぐらいぶりだろう。
朝食のあと、「洗い物はわたしがやっとくから!」と言ってきたので、任せることにした。自分以外に人がいることのありがたみを、光一はしみじみと感じた。
水が流れている間、光一は着替えを済ませる。
テレビを点けると、昨夜のことは爆発事故として報じられていた。負傷者は少なく見積もっても百人以上。死者は——十数名。テロの可能性もあるのでは、アナウンサーが物知り顔で語っていた。
やはり、死者は出ていたか――
ロボットに、夢月に助けられたことで、自分は生き残った。
運が良かったのだ。
だが、そうでない人々は理不尽に死んだ。家族、友人、親類……近しい人たちは悲しむだろう。〈リライト〉の襲撃に巻き込まれたことに、納得できる者などいないだろう。
いつの間にか見入っていたらしい。振り返ると、夢月が口を結んで立っていた。すぐにテレビを消したが、とても誤魔化せる雰囲気ではない。
「……爆発事故、だってな」
「うん、連中ならそれぐらいの情報操作はできるよ」
「それだと多くの人の運命を、歴史を狂わせることになるんじゃないのか?」
「それはない。連中はきちんと、殺しても問題ない人間を選んでいるから」
「なんだと?」
「大きな時の流れに干渉しない限り、消しても問題ない——連中は本気でそう考えているの」
「…………」
光一は息の塊を吐き出し、「やめよう、こんな話」
「そうだね。朝からするような話じゃないもんね」
夢月は目を伏せて言った。
光一は鞄を手に取り、「ああ、そうだ」と思い出したように声を上げる。
「君はこれからどうするつもりなんだ?」
「おじさんの学校に行くよ」
「……は?」
「必要な書類は揃えてあるし、学校にも話を通してあるから大丈夫だよー」
「いや、おい、いつの間に……っていうか、なんで学校にまでついてくるんだ!?」
するとなぜか、ジト目で睨まれた。
「おじさん、自分の立場わかってる?」
「む……」
「わたしがすぐそばにいないとね。いつまたあいつらがやって来るか、わからないんだから」
「う、む……」
光一は言葉を探しあぐね――結局、「……制服は?」としか聞けなかった。
「もちろんあるよ。〈ウォッチ〉の中に」
「……だろうな」
「今から着替えるから、外で待っててー」
夢月に
光一は仕方なく自分の靴を履こうとして——隣に、ひと回り以上小さなローファーがあることに気づいて、不思議な感覚を覚えた。
外に出て待っていると、三分と経たずに制服姿の夢月が扉を開けてきた。ますます若い頃の姉にそっくりだが、目元が柔らかいのは父親の遺伝だろう。
「どうしたの、おじさん。まじまじと見て。……似合わない?」
「……そんなことはない」
そう言ってやると、夢月は調子良さそうに指を一本立てた。
「もうひと声、プリーズ」
「……似合ってるよ」
実際、似合っていた。
紺色のブレザーとシャツの丈はぴったりだし、赤色のリボンもアクセントになっている。スカートはやや丈が短く感じるが、これよりもきわどいのを履いている学生もいるし、十分許容範囲内だろう。足は細く、肌も白く、黒のソックスがより際立てて見せていた。
もし、四歳のあの子がこのぐらいの歳になれば、こうなるのだろうか——
つい想像し、光一は咳払いをした。
「……出かけるぞ」
「うん!」
元気よく応える夢月を尻目に、光一はドアに鍵をかけた。
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