第7話「光一と、未来から来た夢月」
「ただいまー」
1Kの自宅に上がり込んで早々、
眉をひそめた光一に構わず我が物顔で部屋に入り込み、たっぷりと息を吸い込んで、「懐かしいなぁ、この匂い」とのたまっている。空気清浄機を買おうか、本気で考えた。
次に夢月はデスク周り、スチールラックや天井にまで届く高さのコレクションラックに並べたロボットのプラモデルを丹念に眺め、「ほんと、懐かしい……」
「あ、このロボット! おじさんが子供の頃に観てたってやつだよね!」
「あ、ああ……」
「あれ? これは知らないな。これも知らない。……おじさん、また増やした?」
プラモデルを指さし、じろりと睨まれる。その目はかつて、姉が冷蔵庫に入れておいたプリンがないことで、こちらに疑いの目を向けた時のものに酷似していた。
「そ、そんなことはどうでもいいだろう」
ひとまずネクタイを緩める。
プラモのみならず部屋中を眺め回している夢月は、すっかり楽しそうだ。アラサーの男の部屋に、面白いものなどあるわけないだろうに。
「……茶でも飲むか?」
「うん!」
電気ポットに水を入れ、沸かしている間——先ほどの光景を思い浮かべた。
あの後、ヨルワタリというロボットは、光一の自宅の近くの公園まで着地したのだった。特に場所を指示したわけでもないのに、である。
光一が地面に足をつけた時、振り返って疑問を覚えた。これだけの大きなロボット、一体どうやって隠すのか、と。
降りてきた夢月は手首のデバイスで、何やら操作していた。するとヨルワタリの背後に突然、機体の全高を超える線が縦状に走り、左右に広がって大きな穴を作った。その穴の奥には巨大な鋼鉄のフレームが、左右には予備の槍や弾丸と思しきものがおびただしい量で並んでいた。
「お疲れ様、ヨルワタリ」
『お疲れ様、夢月』
突然声がしたので、光一は慌ててあちこちを見回した。この状況で他に声を出す者がいるとしたら――それは間違いなく、目の前のヨルワタリしかいない。
どうやら自動操縦機能も備わっているらしく、ヨルワタリは後ろ向きでその穴に入り込んでいった。穴が閉じ、周辺には足跡しか残っていない。
「ふぅー」
疲労混じりの吐息をついて、夢月が振り返った。
「あ、まだ説明してなかったね。これは〈トリカゴ〉っていって、ヨルワタリだけの、亜空間の一種なの。名前はあんまり好きじゃないけど、わかりやすいからって」
「亜空間……」
話についていけず、光一は頭を抱えたくなった。
しかし、夢月はぐっと背伸びして——
「あー、なんだか疲れちゃった。おじさん、家に行ってもいいよね?」
う、と一瞬だけ言葉に詰まった。
ロボットを操縦していた得体の知れないパイロットだが、おそらくまだ十代。しかも姪と称している。養護教諭である立場としては、正体不明の少女を自分の家に入れることに抵抗を覚えてしまう。
「……わかった」
半ば諦め、覚悟を決めて光一は了承した。
説明してほしいというのもあるが、ここで断ったりしたら後が怖いように思えたのだ。
ぴー、とお湯の沸く音がした。
回想から戻った光一は魔法瓶にお湯と、安物のお茶のパックを入れ、二人ぶんの湯飲みを用意する。ひと回り見て飽きたのか、夢月は座布団の上で足をぱたぱたと動かしていた。光一が来るのに気づくと、「えへへ」と笑った。その屈託のない笑みに、一瞬心を許しそうになる。
光一は無言で、湯飲みに茶を注いだ。
自然に向かい合うような形になり——まず、光一が口火を切る。
「色々と訊きたいことがある」
「そりゃそうだよね」
「まず、君は何者だ?」
すると、ぷくっと頬を膨らまし、「夢月だよ」
「おじさん——
「俺の知っている夢月はまだ四歳だ」
「察しが悪いなぁ、おじさん。タイムスリップしてきたに決まってるじゃない」
「どうやって?」
「ヨルワタリがタイムマシンみたいなものなの。そんで、そのタイムマシンの……なんだろ? 設計思想? とにかく、おじさんのアイデアでヨルワタリが生まれて、わたしはこの時代に来ることができたの」
光一は目頭を揉んだ。ツッコみたいところが山ほどあった。
だが、まずは現状の把握に努めるしかない。
「なぜ、この時代に来た?」
「おじさんを助けに来たの」
その言葉には確固たる響きがあった。
嘘をついているとは思えず、光一は腕を組む。
「あの連中……馬鹿でかい懐中時計や、巨人みたいなのはなんだ?」
「修正機関〈リライト〉。その先兵だよ」
「修正、機関……?」
「時の流れを修正し、イレギュラーを排除する。そのためなら手段を選ばない連中だよ」
「……その〈リライト〉はなぜ、俺を狙った? 自分で言うのもなんだが、俺はただの養護教諭だぞ? 確かにロボットに興味はあるが……ロボット工学に詳しいわけでも、ましてやタイムマシンを造れるような知識と技術があるわけでもない」
「今はね」
「……なに?」
その時だった。ぴぃ、ぴぃ、とまるで鳥が鳴くような音が聞こえた。
夢月が先ほどのデバイスを操作し、液晶画面から立体的な像が浮かび上がった。それだけでも十分に驚いたが——ツバメの外見をした像は、こちらを見るなり首を垂れた。
『初めまして、光一様。お会いできて光栄ですわ』
「あ、ああ……」
『私の名はヨルワタリ。あの機体のAIよ。あなたはご存じないでしょうけど、今からほんの少し先の未来であなた方に助けられ、名をつけて頂いたの』
「俺が助けた……?」
『ええ。といっても夢月の記憶から入力されたデータに過ぎないから、実感がわかないというのが正直なところではあるのだけれど』
「AIなのに、実感とかあるのか……」
『十二年後、技術はそれだけ発展しているのよ。私——ヨルワタリのようなロボットはもとより、タイムマシンを開発できるほどに』
光一はあぐらを組み、膝の上に肘をつけ、口に手を当てた。
今から十二年後に、ロボットの実用化はまだわかる。だが、十メートルを超え、自在に空を飛び、高速で武器を操るようなものなど、まだ難しいのではないだろうか。加えて、時を越える機能が搭載されているなど、夢物語としか思えない。
「おじさんが疑問に思うのももっともだよね」
『そうね。でも、現実として私たちはここにいる。それを証拠に、色々なデータがあるの』
そう言ってAIは液晶画面に引っ込み、代わりにいくつもの画面が宙に浮かんだ。ヨルワタリのデータ、そして夢月の履歴書や身分証明書があれば、写真、動画もある。光一と、ランドセルを背負った夢月が写っている写真もだ。そんなもの撮った覚えはない。
驚く光一をよそに、夢月はパイロットスーツの内側から一冊の本を取り出す。
「これ、見覚えあるよね?」
そう言って、ちゃぶ台の上にすっと滑らせた。
それは端がかすれ、表紙の一部が焼け焦げた日記帳だった。
だが、光一はこの日記帳を知っていた。今、自分が使っているものとまったく同じ装丁なのだ。ページをめくると——紛れもなく自分の筆跡かつ、書いた内容にも覚えがある。
とっさに光一はデスクから、まだ新品同然の日記帳を取り出し、見比べた。信じられないような思いで交互にページをめくっている内に——「ストップ」
「それ以上は読んじゃダメ」
「なんで……あ、未来の出来事を知ることになるからか?」
「そう。未来を知り、変えようとすれば〈リライト〉が襲ってくるから」
「……だが、君は未来を変えるためにここに来たはずだ。その時点で〈リライト〉が来る口実を与えていることになっている。違うか?」
夢月は答えず、光一の手から古びた日記帳を手元に引き寄せた。物憂げな表情を前に、光一は納得がいかず、がしがしと頭を掻いた。
「……いかんな、疲れてるらしい」
「え?」
立ち上がり、洗面所に向かい、洗顔と歯磨きをする。すぐ近くまで来ていた夢月は、首を傾げていた。
「何をしてるの、おじさん?」
「寝る準備だ」
「え!? いや、でも、話はまだいっぱい……」
「これは夢だ、これは夢だ」
「現実逃避やめてよ、おじさん! わたし、本当にここにいるんだよ!」
光一は夢月に半身だけ向けて——「いいか?」
「俺は君が未来から来たなんて信じない。あのロボットも、〈リライト〉とやらも、君が俺の姪だってことも、全部信じない」
「なんで!?」
「……信じたくないからだ」
光一は歯磨きを済ませ、自室に戻り、マットレスと敷布団を敷いた。掛け布団にくるまり、枕に頭を沈め、これは夢だ、と何度も自分に言い聞かせる。
何もかもが信じられないわけではない。
今日、自分の身に起きたことは紛れもなく現実だ。そうと肌で感じている。
だが——
夢月が——あの子が十二年後にロボットに乗って、時を越えて、光一を守るために命をかけて戦う。それがどうしても信じがたいのだ。
そんな未来、受け入れられるはずがない。最悪の冗談としか思えない。
ぼすっ、と布団の中に何かが入り込んだ。怪訝そうに振り返ると——夢月の顔が大写しになっていた。なんの断りもなく、布団に潜り込んできたのだ。
甘い香りがした。どこかで嗅いだような——鼻孔を、脳をも優しく撫でるような匂い。目の前の夢月は「えへへ」と悪びれもなく、光一の枕に頭を沈めている。
「おじさんの匂いがするー。なつかしー」
「ばっ……馬鹿か、君は!?」
光一は布団を跳ね上げ、どんと壁に背中をつけた。
すると夢月は「一緒に寝ないの?」とすねたように言う。
「寝られるか、阿呆! 十六だろうが、君は!」
「久しぶりなんだからいいじゃない。すぅー、はぁー……」
「止めんか、匂いを嗅ぐの! 変態か!」
「でも、おじさんきっちりケアしてるでしょ? 昔からそうだったもん。いいシャンプー使ってるし、シーツもこまめに洗濯してあることも知ってるよ。うーん、洗剤の匂いにおじさんの匂いがミックスしてて、ほどよいフェロモンが出てる感じがする」
「止めろ! 本当に変態チックだから止めろ!」
「あ、でもちょっとだけタバコの匂いがする。体に悪いからダメって何度も言ってるのに、これだけは聞いてくれなかったんだよなぁ、おじさん。まったくもう……」
「…………大きなお世話だ」
枕についた匂いを堪能している少女を前に——光一は深々とため息をついた。
仕方なく押し入れからもう一枚の掛け布団を引っ張り出し、チェアーに腰かける。リクライニング機能があるものを選んでよかったと、心の底からそう思った。
すると、夢月が抗議の声を上げる。
「そこで寝るのー? 腰を痛めるよー?」
「余計なお世話だ」
「ぶー。おじさん、寝つきが悪いわたしの背中を、寝るまでずーっとさすってくれたのに」
「それは昔の話だろ……」
言って、光一ははっと胸を突かれた。
赤ん坊から幼児になりかけの時期——眠りにつきそうでつかず、ぐずっていた夢月の背中を叩いたり、さすったりした記憶が、ありありとよみがえったのだ。
なぜ、そんなことを知っている――
光一は頭を振った。
これは夢だ、これは夢……のはずだ。
「しょうがないなぁ、もう。……明かり、消すねー」
部屋の照明がぱっと消えた。本気で光一が使っている布団で寝るつもりらしい。
「おやすみ、おじさん」
優しく労わる、甘い声。一人暮らしが長い身にとっては、ひどく染みる声だ。
光一の
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