寝ぼけた作家とJK

鍋谷葵

寝ぼけた作家とJK

 ううん……。

 ああ、また寝落ちしたんだ。

 しばらく切ってない長い髪を掻いて、窓辺に置いた月あかりに照らされた度の強い銀縁丸眼鏡をかけ、ぼやける視界の中で記憶を定かにする。


「またやった」


 少し痺れる腕を伸ばしながら、一行と進んでいないデスクライトに照らされた原稿用紙に目を落とす。新作のプロットが夕方五時から何も進んでいなかった証拠は、ただ私に現実を見せつける。

 悪魔のような現実と、背中を丸めて寝た弊害の痛みが、一挙が押し寄せてくる。今に始まったことじゃないし、仕事が捗らないことなんて編集も知ってる。だから特別な危機感は無い。というか編集は、それ以外のことで最近は怒ってくるからそっちに危機感を向けた方が良いな。

 阿保みたいな注意と、時間を浪費した虚無感が、私のぼんやりと煙った脳に満ちる。


「はあ」


 一文字も書けず、何も生み出せない作家はため息を吐き出して頬杖をついて、シャーペンを持つ。イキって買ったステンレス製のシャーペンは、今まで使ってた鉛筆に比べて酷く使いにくい。指の腹に疲れがたまって仕方がない。

 だから、シャーペンを投げ出す。そして筆立てから鉛筆を取り出そうと、まだ痺れる手を伸ばしてみる。けれど鉛筆はない。

 万事休す。

 倦怠と痺れに満ちた体を友人からもらったゲーミングチェアに預けて、天井を見上げる。家賃八万円のそれなりに広いアパートの一室の天井は、安っぽい木材だ。なんの面白味も無いし、だらけた作家を叱咤激励してくれるわけでもない。

 けれど天井を見る他ない。寝落ちしちゃったから、今から寝ようと思っても眠れない。かといって仕事をしろと言われても、鉛筆もモチベーションも無いからやる気にもなれない。

 だから天井を見上げる。

 そして神に祈る。

 どうか、神さま。何か面白いアイデアを私に下さい!

 とっ、まあそんなことでアイデアが浮かんだら、誰だって職業作家になれるし、今の世の中はもっと便利な世の中になってるはずだ。非現実的なことに執着してありえないことを祈っていても仕方がない。

 神は死んだって、ニーチェ大先生も言ってるんだ。過去の賢者を見習って、超人を目指そうかしら……。


「あーあ。どうしよ」


 行き場のない言葉が漏れる。

 二十代後半、一人暮らし、わんでぃーけーの部屋に独り言は虚しく響く。

 辛い。

 これだったら同人作家だった時の方が、よっぽどいい暮らしをしてる。活力に満ちてたし、アイデアはつまらないけど続々と湧いてきたし……。

 無いもねだりか……。


「もう、これ以上何があるんだろ?」


 ぼうっと、希望の見えない暗がりに声を漏らす。


「これ以上は自分で作るんですよ、センセ」


 聞き馴染みのある声と、覚えのある指先が、ハリが失われつつある私の肌を突っつく。


「自分で作れないから言ってるんだよJK。誰かに作ってもらわないと、私の希望は見えない無いんだよ」


 くるりと椅子を回転させて、半袖の制服を着た長くて艶やかな黒髪の今風の美少女に無為な説教節を垂れる。もっとも、寝起きのアラサーの説教なんてJKからしたら面白おかしい馬鹿話でしかない。

 だからJKは小生意気にも、くすくすと私を見て笑ってる。


「他力本願じゃないですか。孤高に生きるセンセには、一番似合わないですよ」


「うっさい。友達がいないのは、デフォルトだよ。生まれた時から私の友達は、ずっと本だよ。今も昔もね」


「センセ、青春とか無かったんですか?」


 何回もする話と、何回も向けられる残念な奴を見る目に私は口ごもる。

 答えが分かり切った問答に果たして意味があるんだろうか?

 まあ、私にそう聞いてくるこのJKにとっては少なくとも意味があるんだろう。そもそも日常会話に意味を求めること自体、馬鹿々々しいことか……。


「無いよ。勉強、創作、睡眠。これだけだね、私の学生生活は。だから、JK、私からのアドバイスだ。高校生活を無理のない範囲で楽しめよ」


「本当の教訓じゃん」


 花のJKには、私の辛い学校生活から来るアドバイスは重すぎるらしい。

 こうやって毎度毎度、ガチで引いてくるくらいには。

 少しだけ自尊心が傷つくなあ……。


「当たり前だよ。腐っても私だって先生だ」


「私からしたらセンセというより、親戚のお姉さんなんだけどね」


「こんなやつをお姉さんって呼んでくれるのは、JK、お前くらいだよ」


「そのJKって呼び方いつになったら直してくれるの? 私の名前は、春香(はるか)だよ」


 知ってるよ。

 けど、お前の名前は呼びたくないんだよ。親戚の子だと思いたくないんだよ。


「でも、馴染んでるから良いだろ?」


「良くないよ。いつもみたいに呼んでよ」


「お前のいつもは、ピンク色か。ああいうのは、雰囲気があるから良いんだよ。むやみやたらに呼んじゃダメなのさ」


 一夜前の過ちを、いや、ずっと前から連続的に続いている出来事に想いながら少しだけカッコをつけて言葉をかます。


「センセ、屁理屈だよ」


 そんな私の言葉に、JKはちょっと拗ねて、ジッと私を見つめる。

 整った顔だ。流石は私のおばさん。伊達に女優をやってるわけじゃないな。

 今度、女優を主役にした小説でも書いてみようかな……。


「屁理屈じゃないよ。正論さ。私の言うことに一度でも間違いがあったことがある?」


「間違いしかないよ。私と未だ一緒に居る時点で間違いじゃん」


「……まあ、そうだね」


 図星を突かれて、私は口ごもる。

 確かに未だ警察に出頭しないで、こうやって平気で会話し合ってる時点で私の言っていることと、やってることは全部間違ってる。それは確かにそうだ。

 ただ、年上の成人女性がこんなこと言うのは間違いだけど、警察に通報しないJKも間違いだと思う。いや、通報してほしいわけじゃないんだけどね。

 自分のやってることに呆れながら、眼鏡のブリッジをクイッと人差し指で上げる。そして呆れながら立ち上がる。

 私よりも頭一つ小さい、というより私が百七十近くあるせいで小さく見えるJKの頭に手を乗せる。


「まっ、間違いも全部私ってことでさ」


「間違いだらけだよ、センセ。裏切ったんだからさ」


「何を言う!」


 小悪魔っぽく笑うJKの頭をわざとらしい叱責をぶつける。そしてわしゃわしゃと、艶やかな髪の毛を揉みくちゃにする。

 ただ微笑ましかったのは、そこまででJKは私の手を厭わしいと思ったのか、私の手を突っぱねる。拒絶されたことに、ちょっとだけ悲しみを覚える。


「セットするの大変なんですよ」


「どうせぐちゃぐちゃになるんだからどうだって良いじゃん」


 グッと体を伸しながら、間延びした声で過ちを伝える。


「ねえ、春香?」


 そして眼鏡を出来るだけカッコよく外して、空っぽの原稿用紙の上に置く。


「そうなんだ。へえ、そうなんだ」


「そうだよ」


「また、間違うんだ」


「間違い続けるよ。そうすればきっとインスピレーションも浮かぶだろうし。きっと浮かぶよ。そう信じてるよ。じゃなきゃ、こんな馬鹿な真似しないよ」


「そっか。じゃあ、良いよ」


 間違いない間違いを私は今日も春香と犯すらしい。

 私は馬鹿だ。

 けど、多分、きっと、裏切って、犯しているんだからきっと仕事につながるはず。というか繋がってくれなきゃ怖い。


「ねえ、キスしようぜ」


 不安を隠すためやくざ者となった私は、私のために制服を着てるJK、いいや春香のふっくらとした唇に口をつける。


「あっ」


 甘い嬌声に私の脳は蕩ける。

 半袖の制服から伸びる綺麗なしなやかな腕は、私の首に回されて熱を帯びて、汗ばんで私の肌にしっとりと絡む。これに私は滾る。

 侵入を防ぐ春香の歯茎を舌でなぞって無理やりこじ開けて、深いキスをより求める。舌と舌を絡ませて、唾液と唾液を混ぜ合わせて、甘い声と甘い声を共鳴させて、より深い快楽の水底におぼれようと求める。


「ちょっ!」


「拒絶するの? 私に」


「センセ、激しすぎ!」


 私の求めに応じ続けて、軽度の酸欠になって全身を火照らせる春香は余裕のない言動を取って私を突き放す。そして怒るように可愛い声を上げる。

 ただ一度スイッチの入った犯罪者が、それで止まるわけはない。私はカラマーゾフにだってなれる。どちらかと言えば、ドミートリイだ。グルシェンカは春香。それじゃあ、あいつは?

 あいつは、いいや、あいつこそもグルシェンカだ。

 まあ、どっちみち私が愛する人だからどうでもいいや。

 最低最悪のことを心に決めると、逃れた遥かに詰め寄って折れそうな腕を取って、再び詰め寄る。少し怯える春香の顔に、私は強い性的衝動を、カッコよく言えばリビトーを覚える。


「駄目だぜ、逃げちゃ。これは私と春香の夜なんだからさ」


「か、カッコ良すぎですよ」


「悪い気はしないね」


 そうやって適当なセリフを吐いて、私は春香の耳元に顔を近づける。


「名前、呼んでよ」


 真っ赤で可愛い耳に吐息を吹き替えて、自分でも信じられないくらい甘い声を吐き出す。春香はびくりと背筋を震わせる。

 自然と口元に笑みが漏れる。


「お、桜花(おうか)……」


「良いねえ、良いよ、最高」


 そして私はまた深い口づけを春香にする。

 重くて、ドロッとして、甘ったるい罪の味を味わう。


「今晩もよろしくね」


 月光の中、私は恍惚の表情を浮かべながら、息が上がって取り乱した女子高校生を見下ろす。


「よろしく、センセ。狼みたいな鋭い目つき、最高にそそります」


 へなりと座り込んだ春香は、蕩けた表情で、赤らんだ頬で、甘い香りを放ちながら私を迎える。


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